第99話

 



 サラサラで真っ直ぐな、絹糸みたいな金髪を夜風に靡かせながら、穏やかに笑う美女。

 額には雫のような形をした宝石がティアラのように並び、それが真ん中で分けられた前髪から綺麗に見えていた。


 夜の焚き火に照らされているせいで本来の色が分からない筈だが、多分金髪でなんかキラキラした宝石を付けている事が理解出来るのは、オーギュストさんのスペックのお陰なんだろう。

 服装は、なんか、よく分からない布でぐるぐる巻きにしたみたいな、なんだろう、絵画に出て来る人が着てるなんかそんなアレに似てる。

 ほら、どっかヨーロッパとかの、海外の女神様が着てる、アレ。


 そんな若干アレな私の思考を他所に、美女は口を開いた。


「ワタクシはティリア、エルフの里の賢人であり、女王をさせて頂いております」


 賢人で女王様だったらしい。

 えっ、どうしよう、責任者居たら一回殴ろうと思ってたのに女の人なんて殴れない。

 いや待て落ち着け、もしかしたらこの人物凄く嫌な性格で腹立つタイプかもしれん。

 それなら容赦なくシバける筈だ。

 まずは観察しよう、そうしよう。


 そうと決まったら、まずは無難な行動を取るしかない。

 まだ微妙に紅茶が入っているカップを、ちょっと前に魔法で作った小さいテーブルに置いてから女王様に向き直る。

 貴族が王に向けてする礼、なんて言うんだろうねこれ、忘れたけど。とにかくそれをしつつ、口を開く。


「このような場所まで御足労下さり、恐悦至極」

「堅苦しいのは無しにしましょう、貴方もワタクシと同じ賢人でしょう?」


 何だか分からんが止められてしまった。

 はんなりと穏やかに笑う美女の表情や仕草を見るが、一切の裏が見えない。

 これがもし演技なら物凄い演技力で、更に策士という事になるのではないだろうか。


「……しかし、立場というものがございましょう」

「同じ賢人という存在と対話する事が、この森の外に出る事が出来ない女の唯一の楽しみなのです、どうかお願いします」


 緩く俯き、眉根を寄せながら悲しそうに笑う美女の姿は、どれだけ疑おうとも本心から言っているように見える。

 それでも何かを隠しているようには見えるけど、心根がひん曲がっているようには見えなかった。


 何より、オーギュストさんの勘が、このヒトは悪いヒトでは無い、と太鼓判を押していた。

 今まで外れた事が無い勘だが、どうしたものか。


 結局の所ある程度話してみない事にはなんも分からんけどな!


「……分かりました」

「ありがとうございます」


 しかし、森の外に出られない、とは一体どういう事だろうか。


「ここではなんですし、ワタクシの城で続きを話しませんか? ……あなたも、それで宜しいですね?」


 女王様の言葉と、その視線の先に釣られるように目を向ける。

 そこには地面に平伏するガッさんの姿があった。

 随分静かだから何してるのかと思ったら、もしかしてずっとそうしてたのこの人?


「陛下がそう仰るのでしたら!」


 大きな声で同意を示しているが、どこか怯えたような雰囲気なのは何故だろう。


「後程、此方から謝罪はしておきますが、あなたもきちんと謝りなさい」

「はっ! 賢人様とは知らず御無礼な態度を取ってしまい、大変申し訳ございませんでした!!」


 ガタガタと震えながらの、心から怯えた声での謝罪を受け、思う。


 ……怯えてる原因、私じゃねぇか。





 結局その後、何をどれだけって言っても怯えたまま何も信じてくれないガッさんの案内で、エルフの里、……というか本当はエルフの国だったみたいだけど、その中へと足を踏み入れた。

 あと一日は掛かると思ってたんだが、意外と近くに国があったらしい。ドラゴンが早いだけかもしれんけどまあいいや。


 なおガッさんは怯えててもイマイチ話を聞いてくれないという事を知ったが、それもまあいいかと思う事にする。

 怯えるという事は逆らわないという事だし、何かあった時の勝機はそこにある筈だ、多分。知らんけど。


 そんな事よりも予想外だったのは、エルフの国だ。


 賢人が統治するだけあって、文明が中世とかなんかその辺、つまり、他と大差ない。

 森の民っていうから、なんかこう、森ッ! って感じの場所かと思ってたんだけど、石畳あるし、煉瓦あるしで、耳が長くて美形以外にうちの国との違いが余り見付けられなかった。


 しかし、何か違和感がある。

 なんだろう、この、なんとも言えない違和感。


「ワタクシ達エルフは、若い姿で長い時を生きます、外から来た人間には不思議に見えますでしょう?」

「老人の姿が無いように見えるという事ですか」

「はい」


 あー、そういう感じなんですか、なるほどー。

 でもごめん、そっちじゃないんだ。


「それよりも、魔力が低い者ばかりに見えますが……」

「…………分かってしまいますか、この話も、後程致しましょう。貴方様の目的も把握せねばなりませんし」

「かしこまりました」


 そんなやり取りの中案内されたのは、大樹のような形をした城だった。

 ……というか、オーギュストさんの勘がこれは大樹だと言っているので、この城は大樹なのかもしれない。

 遠くから見た時には見えなかった大きな城が、近付くと見えるようになる、なんとも不思議な感じがした。

 オーギュストさんの知識から導き出されるのは、物凄く高度な隠蔽魔法ではないか、みたいななんかそんな感じだったけど、ファンタジーがよく分からないので、そうなんだー、としか思えなかった。残念である。


 そんな中ガッさんと分かれ王城に入った途端にあちこちから視線を感じたのだが、どうも剣呑だった。

 女王様と一緒に来たから通されてるだけで、そうじゃなかったら門前払いだ、みたいな雰囲気をビシバシ感じる。

 そうこうしている内に、新たな人物が現れた。


「女王陛下! お姿が見えないと思えば、今度は一体何を拾ってきたのです!」


 物凄いスピードでやって来たかと思えば甲高いヒステリックな声で文句を言うその人は、一言で言うと、肉団子だった。

 筋肉じゃなくて、贅肉の方の。


 ヒトってこんなに太っててこんなに機敏に動けるものなんだ? と疑問に思ってしまうくらいには、肉の塊である。

 他人の体型にどうこう言うのはマナー違反だし何より失礼なんだけど、一つだけ気になるので心の中で思う事は許して欲しい。


 あなたの性別が迷子になってるんだが私はどういう態度を取るべきですか。


「拾って来たのではございませんわ、訪問して来たので招いたのです」

「女王陛下ともあろう方が、人間を招き入れたと!? 冗談も大概にして頂きたい!」


 目上の存在である賢人女王にこの態度である。


 ……もしかしなくてもこの国は、少々腐っているのか。


「彼はただの人間ではありません、人間の賢人です」

「人間の賢人? ではたかが知れておりますな。賢人であるのは百歩譲って良いとして、“野蛮な人間”の賢人など何故招いたのです」

「……ですから、この方が訪問して来たのです」


 固い表情で返答する女王様と、小馬鹿にするように鼻で嗤う肉団子。

 心根がひん曲がっていたのは、女王様ではなく、こいつか。


「女王陛下、人間等という下等な生き物から生まれた賢人ですぞ? 慮る必要など皆無でしょうに、ついこの間も人間の医者などという無駄な存在を気にかけておられましたな」

「……もう良いです、ワタクシはこの方と話があるので失礼させていただきます」


 下卑た顔で嘲笑する肉団子の言葉で、私の頭の中のパズルがカチリと完成したような、そんな感覚がした。


 長命なエルフ族にとって、この間。

 人間の医者。

 そして、この吐き気がするような差別思考。


 オーギュストさんの師匠、不定形賢人さんの言葉が頭を過ぎっていく。


 ───賢人の中で、光属性の浄化魔法が使えるのは一人だけ───


 ───人間嫌いのエルフの、王───


 これは、エルフの王が人間嫌いという訳ではなく、人間嫌いなエルフの、上に立つ王、という意味だったのだ。


 不定形賢人さんめちゃくちゃ紛らわしい言い方してんじゃねぇか止めてくれよ。そういやちゃんとした説明とかなくて断片的な情報しか言ってなかったな?


 言葉って難しいなオイ。全然違うじゃん印象が。

 撮影現場だったらドヤされるよマジで。


 それはさておき、つまりはコイツが全ての元凶か。


「なるほど、理由が分かった」

「えっ?」

「私の妻が死んだのは、貴様のようなエルフが存在していたからか」


 この肉団子が人間の為に女王が動く事を良しとしなかったから、もしかしたら助かったかもしれないジュリアさんが犠牲になったのではないか。

 過去の事だからどうしようもないけど、いざ元凶を目の前にしたら腹が立ってしょうがないのは、仕方ないんじゃないだろうか。


 目の前の肉団子が、馬鹿にしたように嗤う。


「何の話だ、下賎で野蛮な人間の一人や二人、死のうがどうなろうがどうでもいい」

「そうか、では覚悟するがいい」

「なんだと?」


 ゆっくりと、偽装を解くイメージをした。

 肉団子と、自分の周りだけ。

 それ以外に出すとなんかヤバそうだから、そこだけに留める。


「貴様が言う、下等な生き物から生まれた賢人がどの程度の力を有しているのか、見せてやろう」

「……は?」


 全てを見せた瞬間、地面が揺れた。

 足元を確認したらなんかベコっと陥没してて、うん、えっとここまでにしとこう。私も怖い。うん、よし。おっけー。


 そうやって自分が自分に怯えたのを無かった事にしたのと同時に、肉団子が顔面を蒼白にさせて後ろ向きに転がった。


「っひ、ひいいいいィィ!! 化け物……! 化け物ォオ!!」

「化け物とは心外だな、貴様のような者の方が余程化け物だろうに」


 色んな意味で。


「や、やめてください! それ以上はいけません! 死んでしまいます!」

「死なせてはいけない理由が?」


 物凄く慌てて割り込んで来た女王様に、疑問が湧く。

 むしろこんなん処刑した方が良くない?

 国の最高権力者蔑ろにしてるような奴不必要でしょ。

 争いの元だし、なにより王としての威厳の為にもなんとかすべきでしょ。


 そう思った瞬間だった。


「その子はこの国で唯一、攻撃と迎撃の大規模魔法が使える、防衛の要なんです……!」


 女王様のその言葉は、城中に響き渡ったような気がした。






 ……その後、応接室にて事情というか、女王様のお話を聞く事になった。

 なお昏倒してしまった肉団子は救護室に運ばれ、精密検査の後に二、三日療養してもらうらしい。


 豪奢だけど華美すぎない、落ち着いた調度品の設置された応接室は、普段は殆ど使われない女王様のプライベートな客の為の部屋だそうだ。

 だからこその堅苦しく感じにくい、余り広過ぎない心地よい空間にしてあるのだろう。


 そんな事を考えていると、女王様がぽつりぽつりと話し始めてくれた。


「……この国のエルフ達は、補助、回復、防御など、サポート役の魔法しか使えません」

「……それはまた」


 よく分からんけどそれって結構大変なんだよね?

 この世界での魔法は、現代の科学技術と似たような感覚っぽい。

 それを考えると、攻撃等の魔法は銃火器や戦車、ミサイル等の軍事的役割を持っているような、なんかそんな気がする。


 あ、相当ヤバそう。

 つまり、ガッさんが筋肉を鍛え過ぎてしまったのはもしかしなくても、そういうことなのだろうか。

 攻撃手段が肉体的腕力をサポートさせるしかないとか、なんかそういうアレなんじゃ……。


「それもこれも全て、ワタクシのせいなのです」

「ふむ」


 悲しげに眉尻を下げながら、泣きそうな顔で呟く女王様の姿は、なんというか見ていて心を抉られるように痛々しい。


「この国を建国した際、民は邪神に呪われました」


 ……じゃしん……じゃしんってなんだ……。

 あ、邪神って書くの? オーギュストさんの知識マジすごいな。意味は……あー、そっか、悪い神様か。へえ。

 わたしを手違いで殺したあの神だったらよかったのに。全力で滅ぼすのに。

 しかし、そいつと邪神は同一ではない、とオーギュストさんの勘が言っていた。物凄く残念である。

この勘無駄に当たりそうなんだよなぁ。


「ワタクシの力は浄化や回復、防御に特化していたので、気付くのが遅くなったのです……、攻撃等の魔法を、ワタクシ以外誰も使えなくなっているのだと」


 そういうパターンもあるのか。

 呪いっていうから、なんかこう、体調崩すとかそういう感じの事を思ってたけど、なるほどなあ。


 このヒトもその裏をかかれた感じか。普通は呪われたら体調被害が出るとか思うもんね。

 使わなければ気付かないよなぁ、特に防御が完璧なら攻撃する必要無いし。


 ……賢いな、邪神。


「気が付いた時にはもう、呪いは完成し、手遅れの状態でした」


 女王様はそう言って、今にも泣いてしまいそうな程に顔を歪めた。


 この顔は前にもどこかで見た気がする。

 ……そうだ、オーギュストさんの友達で幼なじみの国王様も、同じような顔をしていた。

 どうにかしたかったけど、どうにも出来なかった、そんな顔だ。

 

「では、あの者は……」

「……あの子はエインフィリス、古代語で英雄の子という名を授けられた、この国唯一の、呪い耐性持ち」


 呪いに耐性がある、って事はつまり、呪いが効かないって事だから、なるほど、確かに貴重な人材だ。


「だからこそ、神の子として、とても、それはもうとても可愛がられながら育ちました」

「……なるほど」


 つまりめっちゃ甘やかされて育ったと。


「しかし、三百年程前でしょうか、あの子がまだ百歳にも満たない幼い頃です。人間で言うと12歳くらいですね、そんな頃にあの子は、人間に拉致されました」


 えっ。

 予想外な肉団子の経歴に、心の中でもそんな声が漏れた。


「森の外が気になって、出掛けてしまったあの子にも非はあるでしょう。しかし、それ以上に残酷なものを、あの子は見てしまった……、人間が、人間以外の種族を奴隷にしている姿です」


 子供の好奇心が、一番残酷な形で報いとして返ってきたのか。

 わたしでも相当ショックを受けるかもしれん。

 オーギュストさんの場合ですら、胸糞悪くて目を背けるだろう事が容易に想像出来た。


「……あの子を奪還する為に、沢山のエルフ達が犠牲になりました。その様子までもを見せ付けられたあの子は、歪んでしまったのです」


 そりゃあ歪むなぁ。

 成長期の思春期真っ只中にそれ見せられるとか、相当やばい。


 三百年前とはいえ、人間何してくれてんだマジで。


「……その後は、お察しの通り。完成したのは人間嫌いの差別主義者……そして、あの子の力を恐れ敬う者達に祀り上げられ、年月と共に増長して行きました」

「何故止めなかったのです」

「止められなかったのです、ワタクシの主たる力は防御と浄化と回復……、攻撃系の魔法は、あの子には敵わない。民の安全と引き換えに、ワタクシはお飾りの王になるしか道は残されていませんでした……」


 彼女は凄く、苦しそうだった。

 救わなければならない者を目の前に、救う事が出来ないまま、歪み堕ちていくのを見続けなければならない。

 それはどれほど口惜しく、どれほどの無力感だろう。


「……邪神の呪いは、浄化では解けないのですか」

「解いても解いても、どんどん強くなって戻って来るのです。……それが組み込まれているのでしょうね、ワタクシが浄化出来ない程に強力な呪いとして……故にワタクシはある日から解くのを止めました……」


 諦めたように微笑みを浮かべる女王様は、女王というより、一人の無力な女性だった。


「……邪神を倒そうとはしなかったのですか?」

「しましたよ、何度も。ですが、攻撃手段の少ないワタクシ達エルフが出来る事は……察して頂けますか」


 冗談っぽく笑おうとして上手く出来ず、儚く笑う彼女の姿は、今にも消え入りそうな程小さく、弱々しく見えた。


「エインフィリスは、あの子は今の地位が惜しく、協力する気などありませんでしたし、なにより、たった一人で邪神に立ち向かう勇気もありません」

「人々から糾弾されようと、ですか」


 それは自嘲するみたいな、何もかも諦めた笑顔だった。


「一言で言うなら、あの子は屑に成り果ててしまった……誰よりも誇り高く、清廉で居なければならない英雄が、ぬるま湯と甘え、享楽に浸りきっているのです……」


 なんと言うか、なんだろう、なんとも言えない。

 女王様は賢人だから、きっと物凄く永く生きてるんだろう。

 だからこそあんな肉団子でも、自分の子のような感覚がずっと続いているのか。


 オーギュストさんのお母さんも、こんな顔をしていたのかもしれない。


「……あの者が本気を出せば邪神に勝てるのですか?」


「…………無理でしょうね、たとえ鍛えても、邪神の周りには国があります、たった一人で出来る事など、そんなに多くありません」

「……国がある? どういう事です?」



「……ワタクシ達エルフは邪神の国と呼んでいますが、奴らは自分達の国を“聖フェルディナンド法国”と呼んでおりました」



 それを聞いて全てを理解した瞬間、私は叫び出したい衝動をこらえながら、心の中だけでブチ切れた。


 隣国てめぇまたお前らか!!!


 

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