第90話

 


 青い空が、ゆっくりと茜色に染まって行く。

 じわりと滲むように拡がるそれは、太陽が傾くのと同じ速度だ。

 その中に照らされ、茜色に彩られていくヴェルシュタイン公爵領サウスゲート。

 街並みは長閑で、それなりに栄えているように見える。


 だがしかし、街の中はそれを払拭してしまうほどに、酷くピリピリとした空気が満ちていた。

 行き交う人々はすれ違うたびに顔色を窺い合い、知り合い同士だとしても言葉少なに帰路につく。


 全ての原因は領主の帰還と、それを良く思わない若者達が街の教会に立てこもったから、である。

 空気の悪さは主に、立てこもっている若者達が食糧調達の際に苛立ちも隠さず集団で街を闊歩するせいなのだが、住んでいる人々にはどちらが原因だろうとどうでもよかった。

 それよりも、早く元の街に戻って欲しい、というのが人々の一番の本音である。


 彼等が領主館へ向けての声明を発表し、立てこもった日からふた晩は経過した日の夕方ともなると、街の空気は最悪だった。

 ふた晩も過ぎる前に何かしら起きるのがこの世界での普通にも関わらず、領主からは“勝手にしろ”との返答があってから何の動きも無い。


 困ったのは、無関係の街の人々だ。

 若者達という働き手がこぞって立てこもりに参加してしまった為、街の産業は完全にストップしてしまったのである。


 確かに領主に対しての不満はある。

 だが若くない彼等にとってそれはそういうもので、当たり前の事だった。

 惰性と言われてしまえばそれまでだが、事実上どうする事も出来ないからと放置する事しか出来なかったのだ。


 それでも気概のある何人かは若者達の暴挙を説得しようとしたのだが、案の定、領主の手先かと激昂され萎縮してしまった。

 結果、もう何も出来ないと人々は諦めかけていた。


 このままでは、この街はどうなってしまうのだろうか。

 そんな漠然とした不安感を抱えながら、太陽は無情にも何も変わらず普段と同じように暮れようとしていた。


 そんな、どこか物悲しい風景の中、ふと、見覚えのない人物が街の中を歩いていた。


 夕陽に照らされた色素の薄い髪は茜色に染まり、元の髪色が分かりにくくなっているが、端正な顔立ちをしている事は遠目からでも分かった。

 服装からして、どこぞの貴族なのだろう。

 随伴を数人付けただけの簡素な守りで、堂々と歩いていた。


 いくらなんでもこんな夕暮れ時に、しかも少人数で貴族が街の中を歩くなど不用心だ。

 そう思った親切な老人が声を掛けようと近寄り、そして、間近で見たその貴族の男の姿を認識した次の瞬間、がくりと崩れるように膝をつく。

 驚愕に目を見開き、亡霊を見たかのように身を震わせる老人は、はくはくと微かな音を立てながら呼吸を繰り返した。


「まさか……クリフォードさま……?」

「おい、じいさん、大丈夫か?」


 老人の余りの様子に、通りすがりの男が慌てたように駆け寄った。

 声を掛けるも、老人にはそれが聞こえていないようで茫然自失に宙空を見詰めている。

 男はというと、そんな様子の老人に困惑するしかない。


「おい、どうしたんだよ、具合でも悪くなったのか?」

「いや、確かに亡くなられた筈、では、まさか……」


 視点を右往左往させ、さながら迷子の子供のように誰にともなく呟かれた老人の言葉は、困惑する男を完全に放置していた。


「まさか、あれは、若様……?」


 ふと思い至ったその考えは、老人の中に納得とひとつの憶測をもたらした。


 もしかすると彼等は教会へ行くつもりなのではないか──────


 勢いよく顔を上げた老人が先程まで貴族の男が居たらしき方向へと視線を送るが、もう既にその姿は無く、慌てた老人は傍の男に詰め寄った。


「さっきの方々はいずこへ!?」

「へっ? さっきの?」

「そうだ! そこを貴族の方々が通っていただろう!?」

「貴族かは分からんが、何人かの集団ならそのままどっかに歩いてったけど……、ってじいさんどこ行くんだよ! おい!」


 男の言葉を途中に、老人は駆け出した。

 とは言っても老人故に速度は遅い。

 よろよろ、のたのたと、しかし必死に前へ進む老人を見兼ねて、男はガシガシと乱暴に頭を掻き乱した後、溜息を吐いた。


「仕方ねぇなァ! この、A級冒険者パーティ、“あかつきの雫”リーダー、リカルド様を足に使う事有難く思えよっ」










「旦那様、宜しいのですか?」

「かまわん」

「は、申し訳ございません」


 言葉少ななそんなやり取りに一体どれほどの情報と信頼が詰まっているのだろう。

 ほぼ目配せのみの動作のみだがしかし、そんなものはどうでもいいと思っているのか、はたまた、真逆の、信頼の表れなのか。


 とかなんとか、周りは勝手に色々とよく分からない事を思ってるんだろうけど、私は考えるのが面倒臭いからスルーしてるだけだったりします。


 基本的にノリと勢いで生きてきた“わたし”だけど、オーギュストさんの記憶と、賢人としての感覚のお陰でか色々と考える事が出来るようになった。

 要するに、さっきのおじいちゃんをスルーしたって結論は何も考えずに出したものじゃない。

 オーギュストさんみたいな怖い顔の人見て怯えてる人はそっとしとくべきなのである。


 正直な話、一度冷静になって考えてみるとオーギュストさんの復讐や、オーギュストさんのお母さんの治療、ジュリアさんの無念を晴らす事、全部公爵って凄い立場じゃなくても出来るのだ。

 私、賢人とかいう訳の分からない存在だから。


 周りの人達はきっとそれを望んでないし、かなりの悪手だとも理解してる。

 だけど、私個人がこの立場で居る事に引け目を感じてない訳がないじゃないか。


 だって私はどこまで行ってもオーギュストさんじゃない。

 オーギュストさんの記憶があって、身体があって、でも心はどうしてもオーギュストさんにはなれない。


 高田陽子にも、オーギュスト・ヴェルシュタインにも、どっちにもなれない、中途半端な状態が今の“私”だ。

 だけど、それが私なのだ。


 どれだけ認めて貰えても、必要とされても、それは“わたし”ではない。


 薄情で、ひねくれている自覚はある。


 責任逃れとか、オーギュストさんと同じ事する気なのかとか、個人的にも色々と思う所はある。

 だけど、それ以上に、“私”はこの世界そのものを信用出来ないのだ。


 過去の闇やらなんやらを見せられて、頭に血が上っていたから全部背負い込もうとしたけど、ちょっと落ち着いて考えて欲しい。


 本来、人々がこんなに優しい筈がない。

 こんなに色々と上手くいく筈がない。

 こんなに、私に都合のいい事ばかりが起きる筈がない。


 “わたし”がオーギュストさんに入ってから、確かに色々と理不尽な目には遭って来たと思う。


 だけどそれは中身である“わたし”のみが感じた事であって、“私”が受けたものではない。

 むしろ、外見であるオーギュスト・ヴェルシュタインという存在は、一切揺るがずに、楽にここまでこれた。



 ───────この世界は、“私”に優し過ぎる。



 これは一種の賭けだ。



 もし、ここで“わたし”の望むように事が運ばなければ─────


 私は、いや、この世界の流れは、


 何者かにとって都合のいいように操られているという証明になる─────


「やっぱりわたし達までご一緒する必要ないわ、足でまといよ」


 ふと聞こえた怯えたような少女の声に、意識が現実へと戻された。


「何言ってるのよねえさま、りょーしゅさまは賢人さまなんだから、そんな事気にするわけないじゃない」


 歩く振動でぴょこぴょことツインテールを揺らしながら、ツインテちゃんがドヤ顔でのたまった。


 いや待ってこの世界の賢人のイメージどうなってんの?

 もしかして聖人の上位互換とかそんなんじゃないよね?

 私やだよそんなん。


「ベル!」

「んもう、ねえさまは見たくないの? りょーしゅさまがわるものを退治するところ!」

「それは……、見たいけど……」


 見たいのかよ。


「ふふふ、小さなレディは旦那様の素晴らしさをご理解されていらっしゃるんですね」


 執事さんは穏やかに笑っていて、これから何が起きるのかなんて一切知らないだろう事は察せられた。

 というか、彼は例え何があっても私が何とかすると信じきっている。


 だけど、このままだと私は、証拠もなく糾弾されたと言う神父の悪意に、良いようにされるだろう。

賢人であるオーギュストさんの勘だって、その可能性が高いと警鐘を鳴らしている。


 だからこそ、私は賭けに出る事にしたんだけど。


 何が起きるのかは分かっている。

 これがどう転ぶかで、私の運命がどういう状態なのか理解出来るだろう。


 もしも、私が思った通りなら───────


「あたりまえよ! 精霊さまの声が聞こえるひとが素晴らしくない訳ないわ!」

「ベル! 失礼よ!」

「なにが失礼なのよねえさま、あたしは褒めてるの!」

「その態度が失礼なの! もう!」


 仔犬同士の喧嘩のように、じゃれ合いの延長のような姉妹のやりとりを聞きながら歩を進める。


「いやはや元気で宜しい事です、お小さい頃のローザ様を思い出しますね、旦那様」

「……ローザはもう少しお淑やかではなかったか?」


 ローザさんってオーギュストさんの妹で、姪っ子ちゃんのお母さんのロザリンドさんの事だよね?

 記憶の中だと、まあ少し活発なイメージあるけど、こんなに遠慮なかったっけ?


「活発さでは同じくらいだったかと」

「なるほど」


 執事さんの言葉を適当に頷いて同意しつつ、周囲の気配を探る。

 すると、街の人々が遠巻きにこちらを観察している気配と、それから少し歩いた先に団体で固まっているような気配を察知出来た。


 それは血気盛んな若い人達ばかりのようで、なんか物凄くイライラしているのが分かった。

 いや、別にそんなん分からなくても良いのになんなのこの凄すぎるスペックやだ怖い。


 ともかく、どうやらその集団が今回の立てこもり犯達なんだろうことは察せられた。

 全部で一、二……三十人くらいだろうか。

 正確に数えても良かったけど正直面倒臭いのでもういいや。


「旦那様、見えました、あれがこの街の教会です」


 執事さんが手で示す方向に視線を送ると、白い壁の、なんか地味に豪華な教会が見えた。

 夕日に照らされてオレンジ色だけど、綺麗にオレンジだからきっと真っ白な壁なんだろう。

 金かけてんだな。税金がどーたら、貴族がどーたら言ってんのに自分はそれなりに贅沢してんのかよ。クソだなやっぱ。


「それで、どうされますか?」

「ここで待機していたまえ」

「は、かしこまりました」


 ここから先は一人で行くのだと暗に伝えれば、恭しく一礼して一歩下がる執事さんを横目に、歩みを止める事なく教会へと近寄った。


 ふと、見張りの人間なのだろう男が二人、教会へ向かう私を見兼ねてか棒で道を阻む。


「あんた貴族か」

「この教会に何の用だ」


 普通の人間なら余りの剣幕に怯えて声も出せなくなるくらいの、怒気の篭った問い掛けである。

 見る限り、彼等のそれは演技でもなく、本気の怒りだということは、呼吸、心拍数、それから表情で理解出来た。


 正直、普通に怖いのでやめて欲しい。

 いや絶対やめてくれないんだろうけども。


「神父殿に用があるのだが、いらっしゃるかな」


 冷静に、そして堂々と言い放つと、彼等のこめかみに血管が浮き出た。


「貴族が、神父さまに何をする気だ!」

「ここは通さん!!」


 ですよねーとしか言えそうにない。

 なるべく穏便に行きたかったんだが、まあこうなるよなぁ。


 目の前の彼等が棒を振り回し、私を打ち据えようとして来るのを横目に、そっと通り過ぎる。

 自分でもどうやったのかイマイチ分からんけど、さすがはハイスペックイケオジである。


「てめぇっ!」

「いつのまに!?」


 大丈夫、私も何したのか分かってない。

 いや全然大丈夫じゃないんだろうけど。


「話は途中だった筈だが、君達はそんな余裕も無いのかね?」

「うるせぇ!」

「黙って帰れ!!」


 勢いよく振り回される棒を軽く掴んだら、なんか知らんけど割り箸みたいにペキっと折れてしまって別の意味で凹みそうになった。

 そんなに強く掴んでないんですけど、なんなのマジで……、怖……。


「くそっ! 何しやがった!」

「掴んだだけだが?」

「それだけで折れる訳あるか!!」


 うん、ごめん、それ私が一番思ってる事なんだな。

 なんで折れたんだろうね?


「この、化け物!!」


 そんな言葉と共に、もう一人の男が棒を振りかぶる。

 それを今度はそっと折れないように掴んで、引っ張った。


「うおあああああああああぁぁぁ!?」


 ……いや、あの、ホントに引っ張っただけなんだけど、なんでこうなったんだろう。

 結果として、男は凄い勢いで道を水平に飛んで行って、突き当たりの建物の壁に激突して、止まった。


 そのままだと死んじゃうと思ったので咄嗟に空気のクッションを作って助けたけど、意識は飛んでしまったらしくぐったりしている。

 うん、まあ、死んでないし、良いよね。


 棒を折っちゃった方の男は、金魚みたいにパクパクと口を開いたり閉じたりしていたので、チラッと視線を送ったら腰を抜かしたのか、その場に尻餅をつくみたいに崩れ落ちた。なんでや。


 仕方が無いのでそいつは放置する事にして、教会の扉に手を掛けて、両手で軽く押し、そして私は───────全力で後悔した。


 軽く掴んだだけで割り箸みたいに棒を折っちゃうような私が、大きな扉を軽くでもなんでも押しちゃ駄目だった。

 だけど、そんなん知るわけないじゃないか。

 いや、考えたら良かっただけなんだけどさ。


 結論から言おう。


 教会の扉、爆散しました。


 ………………うん、なんでや。






 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る