第11話 使命遂行

 一歩。二歩。中に進み、三歩目を踏み出したところで、足が踏ん張れなくなる。ふっと体が浮き、一瞬城の内装が視界に入る。きらびやかなシャンデリアが天井を彩り、クリスタルでできた大きな正面階段が光を受けて輝いている。壁の細かな装飾を見る間もなく、私の体は落下し始めた。

(……っ!)

 床が消えたのだ。急に。私が踏むはずだった場所から、どんどん景色が崩れていく。まるでガラスが割れるかのように、目に映る光景が細かな破片になっていく。

 虹色の城も、真紅の空も、黒色の砂漠も消えていく。散り散りになって、輝く破片になって、失われていく。私は世界が暗闇に包まれていくのをただ見ていた。

 真っ暗になった世界で、制服のスカートがめくれ上がるのを押さえもせず、私は落ちていく。ただひたすらの黒の中では、目を凝らしても何も見えない。変わらぬ黒に目が回りそうだ。

(……雨?)

 終わらない落下と、消えない黒に、頭がパンクしそうになったところで、何かが視界をよぎる。それはオレンジ色の種だった。今日は一粒しか見つけられなかったそれが、次々と落ちてくる。真っ黒な世界の中で、それは星のように輝いて見えた。

 私は空中でもがき、手を伸ばし、落ちてくる種をすべて拾おうとする。掴めたのはほんの数粒だった。でも溢れるほど上から降ってくるので、少しずつ集めていくうちに両手いっぱいになる。多幸感に酔いしれつつ、この前のようにありったけの種を集めようとした。だが急に落下速度が落ちていく。めくれあがっていたスカートがただ膨らむ程度に変わる。真っ暗だった景色も、下の方から徐々に色を取り戻していく。ガラスの破片が組み合わさっていく。

 私は種を握り締め、口を間抜けに開いたまま、その光景を見ていた。ゆっくり、ゆっくりと、足は床に近づいていく。ゆっくり、ゆっくりと、世界が作られていく。

 やがて私の足が床をとらえ、同時に世界が完成した。最後の一投とばかりに、オレンジ色の種がばらばらと落ちた。

 呆然とあたりを眺める。ここは、教室だった。黒髪ロングたちが、私と遊ぶ場所の一つだ。

 すると視界の端に、誰かが映る。それは黒髪ロングだった。いや、それだけではない。取り巻きもいる。教室内の傍観者もいる。あの女もいるし、ダーリンもいた。私にとっては、その目の前の光景がすべてだった。疑問も何も抱く前に、掌を口元に持っていく。

 やられる前に対策を。大口を開け、オレンジ色の種をガリガリと食らっていく。その間も瞳は油断なく皆を睨めつけている。

 私が種を食っているのを、周りの人間は無表情で見つめていた。私の無表情と瓜二つだ。

 右手に握った種を食べ終わり、今度は左手を使おうとする。左手には、いつの間にか種の代わりに包丁が握られていた。普段家で使っている大きい包丁だった。

 不意に気づいた。私の使命はこの包丁で目の前にいる人たちを殺すことなのだ。今までの思いを詰め込んで、皆を刺さなければいけない。

 強い感情が私の体を包み込む。ためらいはなかった。恐怖もなかった。歓喜だってない。殺すことが自然なことである。ただそれだけだ。

 私は一歩、前に踏み出す。二歩、三歩。床は消えない。

 皆に見せつけるように包丁をかざすと、あれだけ無表情だった人々の顔が恐怖に歪む。私はそれを事務的な視線で受け止める。そしてまず私をこの世に産み落とした女の元へ向かう。

「あ、頭おかしいんじゃないの!」

 女が叫ぶ。でもその場から動かない。必死に顔を振り、手を前に出し、私を止めようとしているが、脚だけは動いていない。周りの人間も、ダーリンさえも、止めに走らない。表情を見る限り恐怖で固まっているわけでもないようだ。皆、動けないでいる。この場で自由に動けるのは私だけだ。神からの祝福かもしれない。祝福があろうと、なかろうと、殺すことには変わりない。私はそれをしなければならない。

 動けない女の目の前に立つ。その瞳から涙が落ちる。その表情を見ても、何も感じなかった。ただどこを刺せば確実に死ぬのか、気になっただけだ。

 とりあえず胸のあたりを刺してみようと、包丁を持ち上げる。

「やめて……!」

 女の叫び。振り下ろされる包丁。

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