第9話 甘美なる雨

 この日、私はおそらく男の気が済むまで蹴られていた。そのあとしばらく放置されたけれど、男が帰った後に女が暴力を振るっていたと思う。しつけってやつだ。

 長時間痛みに晒されて、あの種の効果はずっと続くわけではないと知った。おそらく一定間隔で効果が切れるようで、その度にまた種を食らった。それで暴力の回数が増えようともどうでもよかった。

 女の気が済み、どこかへ消え、私の体の感覚も戻ってきた頃、私は這って部屋に戻った。もうドアノブにかけたままにしてしまっているベルトを、慣れた手つきで首にかける。

 初めてこれに首を通した時は、深い絶望しか心にはなかった。でも今は、希望だ。このベルトは輝く希望。

 私は希望に身を委ね、目を閉じた。

 私は希望に身を包まれ、目を開けた。

 世界が広がっていた。昨日よりさらに深くなり、もはや黒に近い紺色の砂漠。オレンジ色だった空は深い赤色に変わりつつある。初めてきた時より随分と夜に近づいた気がする。この世界に昼や夜の概念があるのかはわからないけれど。

 いっそ禍々しい世界を私は歩き始める。今日の種は何色だろう。最初がピンクで、次が赤。今度は黄色とかだろうか。

 相変わらず弾力のある砂漠を、私は歩んでいく。体が跳ねるのに合わせて気分も昂っていくようだ。笑みが漏れ出る。しかし種はどこにも落ちていなかった。昨日のように進み続けて、虹色の城が見えてくることもなかった。

 弾んでいた私の心は、恐ろしい可能性に気づく。種は毎日拾えるわけではない。当たり前に信じていたものが、崩れ去っていく。今までの人生で希望などなかった私にとって、これは初めての体験だった。鼓動が早まり、息が苦しくなっていく。女に殴られるときより、黒髪ロングに土を食わされるときより、なんだか苦しい気がする。

 制服の胸元を掴んで苦しむ私の額に、何かがコツッと当たった。雨にしては冷たくないし、感触が硬い。地面に目を凝らし、落ちたものを探す。暗い紺の中に、明るい部分がある。青色の何かだ。

 私は一筋の光明に文字通り飛びついた。案の定それは青色の種だった。無上の喜びを感じながら、私はそれを拾い上げる。

 それがきっかけかのように、また空から種が降ってきた。私は慌てて立ち上がり、種を掴もうとするが、手をすり抜ける。落ちたものを拾おうと頭を下げれば、その頭に何かがぶつかる感触が次々襲った。この場合何かとは一つしかない。

 赤色の空を見る。信じられないくらい大量の青い種が視界を埋めた。土砂降りの如く降る種を、私は必死でかき集めた。腕を伸ばし、その場を駆けずり回り、抱えられるだけ種を取った。ポケットに詰め、手に持ち、それでもまだまだ降ってきて、しまいには制服の裾を持ち上げて、受け取った。

 止まらない。青い種。幸せだった。体にぶつかろうと、目に入ろうと、この種は私の希望だ。その希望が嫌なわけがない。

 笑って、拾って、種と踊った。いつまでも降ってくる種と――

 ゴンッ

 軽い種が当たったとは思えない衝撃がやってきた。頭を強く打たれた私は、そのまま気が遠くなり……。

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