第6話 種

 目を開ける。ここがどこか……など、考える必要もなかった。よく知っている。私の部屋だ。

 私はまた床の上に転がり、目を覚ました。ドアノブにはベルトが引っかかったままだ。

 今度こそ成功だと思っていたら、またも失敗だったらしい。しかも今度は変な夢までついてきた。私はとことん死ぬのに向いていないらしい。死ぬことに向くも何もないと思うが。

 仕方なく身を起こし、身支度を始める。あの女の気配はない。あの女が帰ってくるか、一度家に立ち寄るかする前に、私は家を出る。早く出て早く学校に行ったところで、誰から暴力を受けるか変わるだけなので、本当にどうしようもない人生だ。

 鳥のさえずりが聞こえる。つられて顔を上げると、青い空に白い雲が浮かんでいるのが見えた。地面はコンクリートの濃い灰色。硬い地面を踏みしめながら、まだ人の少ない通学路をたどる。

 そうして歩き続けていると、やがて学校が見えてくる。高い塀の向こうから、どこかの部活動の朝練の声が聞こえた。その声を背景に、私は校門をくぐる。

「おはよぉ!」

 そのまま玄関に向かおうとしたところで、可愛らしいお声がかかった。語尾にハートでもつきそうだ。当たり前だがその声の主は黒髪ロング。もちろん取り巻きもしっかりいる。

「今日は朝早いんだね。じゃあこっち行こ!」

 何が『じゃあ』なのかはわからないが、私は抵抗せずについていく。ついていった先はひと気のない校舎裏だった。黒髪ロングは校舎の窓からも見えないよう、茂みの奥、樹の陰に行く。

 黒髪ロングが立ち止まる。髪の毛がふわりと揺れる。こちらを振り返る――と思ったが、その前に背後から衝撃がやってきた。私は取り巻きに背を蹴られ、顔から地面に突っ込む。

「あなた本当に土が好きなのねぇ」

 黒髪ロングの楽しそうな声に合わせ、取り巻きも笑う。鼻や口に入った土を吐き出したいが、ここで顔を上げては相手の思うつぼだ。何も言わず、突っ伏したままでいる。

 思い切り頭を踏みつけられる。もう既に地面に顔は到達しているというのに、顔で穴を掘らせる勢いで押される。鼻がつぶれ、口は開くことができず、息ができなくなる。

「思う存分、食べさせて、あげる」

 黒髪ロングはかかとを支点に、足を左右に揺らす。脳に走る鈍い痛みと、息苦しさで、意識が遠のく。でも恐怖はない。毎晩やっていることと、何ら変わらない。何ら。

 不意に眼裏に景色が映る。黄色の空と、青い砂。おかしな砂漠。

 私は頭を若干横にずらし、細い空気の通り道を作る。

「美味しい? だぁいすきな土。美味しいでしょ?」

 黒髪ロングが何かを言っては、取り巻きが笑う。そんな声などに構わず、制服のポケットに手を伸ばす。

 あった。

 昨日拾ったピンクの種の感触が、確かにポケットの中にある。もしかしたら倒れた際に入り込んだ砂利かもしれない、などとは思えなかった。この手触り、温度、伝わってくる全てが、あの種だと言っている。

 種を思いきり握りしめた。縋るように。これだけが救いかのように。

 ピシッと音がした。種にひびが入る。私はもっと力を込めた。ピシピシッとひびが広がる。そうしてしまいには、種は粉々になった。潰れた種から何かが漏れ出てくる。掌が濡れる。そう思ったら、液体はすぐに染みこんでしまった。まるで私の掌が紙になったかのように、あっという間に消えた。

「少しはお返事しなさいよ!」

 黒髪ロングの足が頭から離れる。そうしてまた蹴られる。はずだった。いや、確かに蹴られた。でも、感じなかった。

 蹴られた衝撃で頭が揺れる。体も揺れる。土が口から出ていき、新たに入ってくる。それはわかった。でも、痛くなかった。ただ体に伝わる衝撃としてやってきただけだ。

 すごい。この種はすごい。

 私は当たり前のようにこの効果が種のおかげだと考える。普段と違う要素はこの種だけなのだから、至極当然のことだろう。

「こいつ笑ってるよ」

「え?」

 取り巻きが一人、変なことを言った。黒髪ロングの間抜けな声が聞こえる。

「気持ち悪い!」

 また蹴られた。でも、痛くない。やっぱり痛くない。

 黒髪ロングが合図か何かしたのか、取り巻きも一斉に私に攻撃を始める。色々な角度から蹴られているのに、全く痛くなかった。

 そうすると私の笑みは止まらなくなる。この不思議でありがたい効果に、笑いが止まらない。

 蹴りと笑みの連鎖に、私はひたすら堕ちていった。

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