第2夜 まーくん、カサと戦う

 舞斗まいとは少し前まで、雨の日は好きじゃなかったのですが、最近少しだけ楽しくなりました。

 深緑の地に黄色い縞々が格好いいレインコートと、同じような黄色のレインブーツ、それに星の模様のカサを買ってもらったから。

 雨のあとの虹を見るのも、心がふわっと気持ちよくなります。

 ……でも、雨に濡れたレインコートと長靴はちょっとベタッとしていて、そこはまだ好きにはなれそうにありません。

 そんな、朝のテレビでお天気のお姉さんが「雨になるかも」と首を傾げていた日、お昼前からママと電車に乗ってお出かけしました。

 最寄りの駅から急行に乗って、離れた街まで行くのです。

 電車の窓から見える、流れる景色も楽しい眺めで、雨はイヤだけどお出かけは好きな舞斗です。

 まだ雨は降っていないから、レインコートはママが小さく畳んで持ってくれて、舞斗は長靴をはいてカサを持っていました。

 電車の車内では座ったから、リュックは前に抱えます。

 そのまま電車を降りて、駅の階段も、一人で上れます。

 ホームには人がけっこういて、みんな雨の用心でしょう、カサを持っています。

 舞斗たちと同じように、上の階にある改札に向かって階段に行く人もたくさんいます。

 少し上の段にいたスーツ姿の女の人が、持っていたカサを階段に当たらないように持ち上げて、濡れていなかったからか、その中ほどをつかみました。

 そして、そのまますっと手を下ろします。

 くいっと弧を描いたカサの先が舞斗の顔に向かってきました。

「わっ!」

 とっさに舞斗は体の前にしたままだったリュックを振り上げてカサを下から叩きました。

 カサはばしっと音を立てて跳ね上がり、女の人が振り返りました。

「何す……っ!?」

 驚きと怒りの混ざった顔をしていた女の人は目を丸くして、言いかけた文句を止めました。

「あっ、ごめんなさい! 当たっちゃった?」

「ぎりぎり、だいじょうぶだったよ」

「そ、そう――よかった。ごめんね」

 女の人は瞳を震わせて謝ってから、カサを反対側の手首に引っかけて、ママが何か言う前に足早に階段を昇っていきました。

「気をつけてほしいよね、もう。……大丈夫だった?」

「うん!」

 ママがしゃがんで、舞斗の頭をなでました。

 リュックの位置を直してから腰を上げます。

「まーくんが自分で守れたのは偉いけど、大人の方が気をつけなきゃいけないよね」

 階段を昇りきって、改札を出てから、舞斗は周りを見回しました。

 カサの他にも、カバンやリュックといった舞斗くらいの身長だと顔や頭に当たりそうになるものがあります。

 舞斗はママの手を握って、少し近寄ってから歩きはじめました。


 晩ごはんの時にパパが言いました。

「急いでいたりすると子どもがいるのが見えなくなってしまうこともあるからね。見落としちゃいけないことなんだけどね……」

 大好きな、ごろっとした具が入ったコロッケをまだ使い慣れないお箸で切っていた舞斗の頭を、パパが撫でました。

「自分で対処できたのは偉いけどね。でも、文句言っていいやつだよ」

「そんなので変なトラブルになったりしたらイヤよ」

 ママが眉をひそめて言いました。


★☆★


 ある日、舞斗は、一人でお出かけしていました。

 少し前まで降っていた雨はやんでいましたけど、まだ青空は雲の向こうでした。

 レインコートの入ったリュックとカサ、それにレインブーツをはいていました。

 線路を渡った先にある、広い原っぱのある公園に行くところでした。

 電車には乗りません。

 だから、駅に行くのとは少し違う道のりです。

 舞斗は急ぎ足気味で、ゆっくり歩いている人に追いつきます。

 その人が持っていたカサを振り下ろしました。

 カサの先が舞斗の目の前に迫ります。

 舞斗はそれをリュックで止めて、先へ進みます。

 歩道橋にさしかかりました。

 階段を上っていくと、上の方でカサを広げている人がいました。

 その人は舞斗のことが見えていないのか――舞斗とその人の他には誰もいませんでした――、カサを閉じて勢いよく開く、というのを何度か繰り返しました。

 濡れていたカサからたくさんの雨粒が降ってきて、舞斗はそれをパラパラとかぶってしまいました。

「うわぁっ……」

 カサの水を振り飛ばした人は、振り返って行ってしまいました。

 舞斗は歩道橋を上りきって、上から道路を行き交う車やバスを見ながら、髪や顔にかかった水滴を払いました。

 気を取り直して、歩くのを再開します。

 歩道橋の角で、また別の人がカサをバサバサを振っていました。

 水滴が飛びます。

 今度は舞斗は、自分のカサを広げて飛んでくる水を防ぎました。

 少し離れたところでは、舞斗のおじいちゃんと同じ年齢としくらいの男の人が、カサを逆さに持っていました。

 持ち手の方を下にして、体の横に上げてびゅん! と振ります。

 ゲームやテレビで見たことのある、ゴルフの振り方のようでした。

 何もないところで素振りしたつもりだったのでしょうけど、地面にあった小石に当たってそれが舞斗に向かって飛んできました。

 開いたままだったカサで、舞斗は小石を弾きます。

 歩道橋を渡りきって道をさらに進むと、カサを持った人やカバンを肩から下げたり背負っている人がいて、舞斗に次々に当たりそうになります。

 そのたびにカサを振って跳ねのけたり、よけきれなくてぶつかってしまったりしましたけど、舞斗はあきらめずに歩き続けました。

 道路の先に、踏切のある線路が見えてきました。

 線路を越えたら、公園まであと少しです。

 線路の向こうには人はなく、もうカサやカバンと戦わなくていいように見えます。

 踏切がカンカンと音を立てはじめて、遮断機がゆっくり下りてきました。

 舞斗は、踏切からちょっと離れます。

 電車がごう、とうなって目の前を走っていくのを、舞斗は目を輝かせて追います。

 電車が行って、遮断機が上がった先に――さっきまではいなかった、大きなカサが立っていました。

 大人の人くらいの大きさのカサでした。

 線路を渡って、横を通り抜けようとしたところで、その大きなカサが舞斗に倒れてきました。

「うわっ!」

 自分のカサを振り回して巨大カサを叩きます。

 巨大カサは反対側に倒れそうになったところからくるりと回って、水滴を振りまきます。

 開いたカサで水を防いで、公園への道の邪魔になっている巨大カサを「どいてよ!」とまた叩きました。

 何度か殴っていると、やがて巨大カサはばしゃんと音を立てて倒れました。

「やった!」

 舞斗は自分のカサを片付けて、公園に向かって走ります。

 公園の原っぱには丘があって、舞斗はそこも一気に駆け上りました。

 丘の頂上で舞斗は空を見上げます。

「うわぁ……」


 雲の合間から青い空がのぞきはじめて、その下には虹が大きな輪を作っていました。





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