第6話

 彼女は、助かった。

 私は見てしまった。連れて行かれる場面を、目撃してしまったのだ。

 「このことは、口外しないで下さい。」

 真っ黒な服に身を包む彼等は真っ青な鶴草さんをどこかへと運んで行った。

 そして、動転していた私は何も言えず、何も出来ず、ただ立ち尽くしていた。

 あまりにも、忘れることができなくて、私はまた夢を見る。それは鶴草さんに関する悪夢であって、私はいつもその中で呼吸ができずに喘ぐしかないのだった。

2

 鶴草さんは、お嬢様だった。豪邸でひっそりと暮らす優雅な女性だったのだ。なのになぜか尚保君と一緒にいたいと願っていた。

 鶴草さんと尚保君が仲良くしている頃、かくいう私は千田さんに夢中だった。本当に好きだった。大好きだった。だから周りが見えていなかった。

 「………。」

 私は今、立ち尽くす。

 鶴草さんがいるかもしれない、この豪邸の前に。

 作りは和風で、でも城といったテイストで、やっぱり豪邸という表現以外に当てはまるものが思い浮かばない。

 彼女は、こんな孤高の要塞で何を思って生きてきたのだろう。何が、彼女をあんなおかしな行動へと、誘ってしまったのだろう。

 一体、何が。

 「どうされました?ここは住宅ですよ。見た目には美術館とかお店とか、何らかの施設だと勘違いして間違って入ってきてしまう方もいらっしゃるんです。」

 「いや、あの…。」

 いきなり話しかけられてしまって、私はひどく動揺していた。

 どうしよう、最近の私はどうかすごく変だった。だって今はカフェの休憩時間で、私は衝動に任せて走り出してきたのだから。

 昨日知ったのだ。

 鶴草さんがお嬢様であり、この城に住むご令嬢であるという事実を。

 ずっと依頼していた探偵から報告があって、私は駆け出さずにはいられなかった。

3

 探偵は、私の顔を見て一つ息をついた。初老のおじいさんで、とても頼りなさそうに見えるのだが、町では評判の人間だということで、明美ちゃんから紹介された。明美ちゃんは交友関係が広くて、町の色々な人と知り合いだったから、困ったことがあれば相談出来る頼りになる女性だった。

 友達だけど、私にはもったいないくらいの親友だと思っているし、今も仲良くできていることがとてもうれしい。

 「それでね、アソコはまあちょっとおかしいのよ。町の中でも普通の住宅街の中に切り立っているでしょ?初めて来た人間はあのまがまがしさに吸い寄せられて、つい近づいてしまうんだ。私もね、何軒か依頼を受けたことがあるんだよ。あそこの家を調べて欲しいってさ。でも、何も分からないんだ。セキュリティーが万全で、なのに外部の人間とは一切かかわっていなくて、だから一つの情報すら手に入らない。不気味だよ、本当に不気味だ。だから私は正直関わりたくなかったんだけど、事情を聞いたからね。」

 そうだ、私はこの初老の探偵に鶴草さんが死んでしまったかもしれないという事実を話してしまったのだ。

 いや、正確には死んでいないのかもしれない。だって鶴草さんが黒服の男たちに連れていかれる時、応急処置を受け、息があるという様な話をしていたから。それに、私は動揺していて、しっかり見ていなかったのかもしれない。鶴草さんはそんなに深い傷を負っていなかったのかもしれない。私は、何かを見間違えたのかもしれない。

 そうんなふうの思考はこんがらがって、行き着く場所がない。

 どうしよう、私。

 「ああ、あなたも心配なんだね。そりゃ、そうだよね。あの圧倒されるお屋敷に入って、何かをしている得体のしれない連中のことだもの、神経もすり減ってしまうよ。」

 「いや…あの。私知りたいんです。鶴草さんが大丈夫なのか、今どこにいるのか、分からないから。」

 「うん、分かった。じゃあ調べたことを話すよ。」

 私は、最初に鶴草さんがあのお屋敷に住んでいるという報告を探偵からされた時に、ドキリとした。

 何か、怖い。それは感覚の話だった。本当に何かが起こりそうな気配があって、私は寒気を隠せなかった。それに、だから今こうやって探偵の講釈をつるつると聞いているんだけど、何だか彼も怖がっているように感じられる。ひどく恐ろしく思っている。あのお屋敷を、嫌がっている。

 「鶴草さん。鶴草まゆさんはね、あのお屋敷の子どもでは無いんだ。外から連れてこられた子、つまり養子ってことだね。」

4

 「養子…?だってあの人すごく可憐で美しい人で、きっと誰かに愛されて、愛されて育ったんだって、そう思ったのに。」

 「まあ、そうだよ。あの子は、鶴草さんはあのお屋敷の主に、鶴草夫妻によく大事にされて育ったんだ。」

 やっぱり、と思った。だって私とは違うから。私はいつもくぐもっていて、どこか濁った思考で世界を見ている。自分では分からないけど、たまに明美ちゃんだったり、尚保君だったり、大したことがないはずなのにひどく心配そうな顔で覗き込んでくる。

 「だからね、だから何かってわけじゃない。あの子はでも、ずっと外の世界を知らなかったんだ。夫妻が死んで初めて、外の世界を知ってしまった。それがいいことなのか悪いことなのかは分からないが、彼女は持ち前の気質が気が強くしっかりしていて、もしかしたら相当な抑圧を強いられていたのかもしれない。そのせいなのかもね、彼女が壊れてしまったのは。」

 探偵は静かに語り続ける。お屋敷に関する情報が摑めないと言っていたのに、どうやって調べたのかは分からない。

 ただ、やっぱり人は人の間で生きていて、だからどこかしらには情報が落ちていて、きっとそれを探して拾いあげたのだろうと察する。

5 

「確かに、派手という印象はありました。一目見ただけで綺麗、と思わせるだけの美貌の持ち主だったと記憶しています。」

 「そうだろうね。彼女は美しかった。だから選ばれたんだ、彼らのおもちゃとして、施設の中から連れてこられた。元々人見知りではあったようで、人を最初は避ける兆しがあったんだけど、慣れればどんどん自分を開示していって、その魅力に人は引き込まれる。そんな子だったらしいね。幼い頃にいたっていう、施設の人に聞いたんだ。」

 「…おもちゃ?おもちゃだから鶴草さんは選ばれたっていうの?そんなの、おかしいじゃない。私は。」

 「ああ、あなたも事情があるんだってね。ちょっと調べさせてもらったんだ。あなたも家庭環境に恵まれた方じゃなかったみたいで、大変だったね。」

 「大変なんて、鶴草さんの話を聞いていたら、そんな風に思わなくていいです。だって彼女はすごく辛かったんだろうから、すごく、すごく。」

 「まあそういう見方もできるよね。ただね、問題は一緒くたにしてはいけない。だって、あなた達は巻き込まれたんだ、鶴草さんの欲望に、吞まれたんだ。そもそも、なぜ鶴草さんが刺されたかって?それはね。」

 「…え?ちょっと待って。鶴草さんは本当に刺されたんですか?私が、気が動転して見間違えたのかもしれない、と思っていたんですよ。でも…。」

 「ああ、これは間違いが無いんだ。彼女は何者かに包丁で刺されていた。そして、良かったね。生きているよ。鶴草真由さんはもう回復している、そして多分いるんだろうね。彼女がずっと幽閉されてきたお屋敷に、きっといるんだよ。彼女にとってあそこは監獄であって、でもそこしかいる場所がないという存在でもある。きっと帰ってるよ、傷ついた自分をかくまうために、また監獄の中に閉じこもろうとしている。…そうだな。」

 「何ですか?言ってください。」

 「いいのかい?じゃあ言うよ。私はね、彼女の事情を深く知ってしまったんだ。だから、助けたい。そう思うのが自然なのかどうかは分からない。けれど、あんなに若いのにたった一人で、あんな場所にいるのは良くないと思うんだ。だから、誰かが彼女を連れ出さなきゃ。そう思うんだ。」

 「…分かりました。私が彼女に会いに行きます。だって、私と尚保君しか彼女と深く関係を持っていないんでしょ?だったら、乗り掛かった舟っていうか、もう何でもいいから彼女と話がしたい。彼女と、話してみたい。だから、私があのお屋敷へと向かいます。協力していただけますか?」

 「…もちろん、いいよ。私が吹っ掛けた様になってしまったけれど、でもやっぱりあなたの意志なんだよね。それが、いいのかもしれないね。」

6

 

 私は、だから向かうことにしたのだ。

 鶴草さんがいる場所へ、きっと彼女は縮こまっているんだろう。

 だったらこっちから出向いてあげる、そのくらいの意志を持って私は家を出たのだ。

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