第13話

「へぇ~。こんな場所があったんだ。知らなかったな」


「学校のマル秘スポット……って程じゃないけど、知ってる人はあんまりいないかな」


「流石三条さん。物知りだね」


 感心するような笑顔を浮かべる小太郎に、栞は内心でうぉっしゃああああああ! と激しくガッツポーズを取った。


 ジャンケンでは負けてしまったが、栞にとっては逆に好都合である。


 順番的に週末を挟む事になったので、その間に料理を特訓し、ロケーションなんかも色々考えた。


 まったく、千鳥ともあろうものが先手を取って喜ぶとは。


 才色兼備の生徒会長と言った所で所詮は子供だ。


 こういうのは事前準備が出来る後攻の方が有利に決まっている。


 手の内は見せてもらったので、遠慮なく踏み台に使わせて貰う。


 そういうわけで栞が選んだのは屋上だった。


 あまり知られていないのだが、この学校は普通に屋上が解放されている。


 端の方には園芸部の花壇もあり、ベンチも置いてあるから好きな子とお弁当を食べるには最高の場所である。


 雰囲気が良すぎて普通の生徒があまり利用しないという点も良い。


 利用者も数名の男子グループがフットサルの真似事をしている程度だ。


 快晴の空の下、涼やかな春の風に吹かれながら花壇のそばでお弁当。


 あぅ、あぅあぅあぅ、非モテのわたしが恋愛小説の主人公みたい!


 と、栞は完璧に取り繕った笑顔の下で大興奮していた。


 いかんいかん、クールにならねば。


 一挙手一投足に気を配り、精一杯可愛い女の子を演じて小太郎に好きになって貰わないと!


 気持ちを落ち着かせると、栞はリップを塗った唇に人差し指を当て、鏡の前で百万回練習した上目遣いのおねだり顔を作った。


「……出来ればわたしも、二人みたいに名前で呼んで欲しいなぁ……なんて」


 あぁ、なんて見え透いたぶりっ子だろう。


 普段はリア充爆ぜろ死に晒せと呪いを振りまく側の栞である。


 小太郎を誘惑する為とは言え、ものすごく恥ずかしい。


 心の中の非モテな部分が拒絶反応を起こし、ぞわぞわっと鳥肌が立ちそうになる。


「……うん。わかった」


 努力の甲斐はあったようで、小太郎は恥ずかしそうに視線をそらした。


 あぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああがわいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!


 純粋無垢なショタ系少年の照れ顔あざます!


 それだけで栞は奇声をあげながら床をゴロゴロ転げ回りたい衝動に駆られた。


 あぁ、ぷにぷにのほっぺに頬ずりしたい!


 ぷるぷるの唇をぷるぷるしたい!


 小さな体をぎゅっと抱きしめておへその匂いをクンカクンカしたい!


 小太郎は読書に集中していると完璧に周りが見えなくなる。その間に、栞はこっ

そり背後に近寄ってうなじの匂いを嗅いだことがある。


 小太郎は赤ちゃんみたいな良い匂いがするのだ。


 適う事なら、ボンベに詰めて常時吸気したいくらいである。


 言っておくが栞は変態ではない。


 恋する乙女ならこれくらいの事は当然だ。


 少なくとも本人はそう思っている。


「じゃあ、試しに呼んでみてくれる?」


 どろりと緩みそうになる口元に喝を入れて、栞はおねだり作戦を続行した。


 言葉で思考する以上、人の思考は言葉の影響を受けずにはいられないととある本で読んだことがある。


 言霊とは脳科学的に根拠のある事象なのだ。


 人は名前の呼び方によって相手との距離を整理する。


 逆に言えば、呼び方を変える事で距離を遠ざけたり近づける事が出来るのである。


「……栞さん」


 恥ずかしそうに眼をウロウロさせながら小太郎が言う。


 こちらの事を女として意識してくれているのだろう。


 それだけで、栞は爆散して昇天しそうだった。


 でも、ここで満足してはいけない。


 モブ女の自分が二人に勝つには、もう一歩踏み込まなければ。


「漆場さんみたいにちゃん付けがいいな」


 三人掛けのベンチに並んで座り、カタツムリみたいにじりじりと近づいてそれとなく肩を触れさせる。


 小太郎の身体が小さく震えて、感電したみたいに身をはなす。


 離れた分だけ栞は距離を詰める。


 ビッチだ。


 今わたし、完全にビッチだ!?


 破裂しそうな心音が聞こえてしまいそうで怖い。


 興奮しすぎて頭がクラクラしてきた。


 小太郎はあぅあぅ言って焦りながらも覚悟を決めたらしい。


 大きく深呼吸をして、今まさに名前を呼ぼうと――


「危ない!?」


 いきなり乱暴に肩を抱き寄せられ、栞の頭は真っ白になった。


 目と鼻の先に小太郎の股間がある。


 なんなら唇に制服のズボンの布地が触れていて、その先にあるなにかを感じている気がする。


 ここぞとばかりに深呼吸をしたい所だが、パニックで息が詰まっていた。


「危ないでしょ! 気を付けてよ!」


「はっ! そんな所でいちゃいちゃしてるからだろ!」


 どうやらボール遊びをしていた男子達の流れ弾が飛んできたらしい。


 声の感じからするにわざとのようだが。


 小太郎が千鳥の告白を断った事は学校中の噂になっているし、弁当の件もあって目の敵にされているのだろう。


 これだから体育会系の連中は嫌いだ。


 運動すると男性ホルモンが無駄に分泌されて凶暴化するのだ。


 でもグッジョブ!


 今回だけは許してあげる!


 気持ちが落ち着くと、栞は夢中になって小太郎の匂いを嗅ぎまくった。


 もしかしたらこんな機会、二度とないかもしれない。


 どうやら小太郎は飛んできたボールを咄嗟に蹴り返したようで、ボールはフェンスの外に落ちたらしい。暫く言い争いをすると、男子達の声は聞こえなくなった。


「まったくもう! 栞ちゃん、大丈夫?」


「最高の気分……」


「ぇ?」


「ぁ」


 うっかり本音が駄々洩れてしまった。


 でも仕方ないじゃないか。


 大好きな男の子の股間の匂いを思う存分嗅いだら誰だってトリップしてしまう。


 それとなくちゃん付けで名前を呼んでくれたし!


「な、なんでもない! それより、助けてくれてありがと。すっごく格好よかったよ。こ、こ、小太郎、君……」


 さりげなく名前で呼び返してみたのだが、恥ずかしすぎて栞は危うく吐きそうになった。


 今わたし、ものすごく頑張ってる!


 徒歩で歩いてたのを、スペースシャトルの速度で距離を詰めてる!?


 あまりの速度に心身がついていけず、自壊しそうである。


「栞ちゃんに当たらなくてよかったよ。絶対ワザとだし、女の子もいるのに最低だよ」


「……鶴川さんの事で嫉妬してるんじゃない?」


 その事に言及するのも忘れない。


 隙あらば千鳥を下げておかないと。


 卑怯な手だとは思うが、事実でもある。


 学校一の美少女と付き合うのは大変だ。


 小太郎は喧嘩が強そうには見えないから、今みたいに舐めた連中に意地悪をされるだろう。


 そんなのは可哀想だ。


 そうとも、これは小太郎の為でもあるのだ!


「千鳥さんも大変だよね。自由に恋も出来ないなんて可哀想だよ」


 小太郎は全然気にしていない様子だった。


 むしろ心から同情しているように見える。


 そういう優しい所も好きだし格好いいと思うのだが、栞としては複雑な気持ちである。


 本当はもっと千鳥を下げたい所だが、あまり露骨だと逆効果になるのでやめておいた。


 気を取り直して膝の上にお弁当を広げる。


 予想外のアクシデントが発生したが、ここからが本番なのだ。


「その、気付いてると思うけど、実はわたしも、二人みたいにお弁当作って来たんだ」


 リリカから情報を得て、週末の間に猛練習した。


 小太郎の好物だけを詰め込んだ最強のお弁当である。


「ありがとう。でも、なんか悪いな。僕ばっかりみんなにご馳走になっちゃって」


「気にしないで。わたしだって小太郎君に好きになって貰いたいもん。良いお嫁さんになれるって所を見せなくっちゃ」


 震えそうになる手を必死に抑えて、栞は自信作のお弁当の蓋を開いた。


「……わー。すごく美味しそう……」


 棒読みで告げる小太郎の表情は、これ以上ないくらいに引き攣っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る