第10話


 小太郎が幸せそうに唐揚げを頬張っていた頃、食堂の入口にはストーカーのようにこそこそ隠れて二人を監視する人影があった。


「鶴川の奴! 手料理なんかでこもりんの気を引こうとして! 許せない許せない許せない許せない……」


 ギンギンにかっぴらいた両目を血走らせて、がじがじと親指の爪を噛むのはリリカである。


 あの後やっぱり心配になり、ずっと後をつけていたのだ。


 大体、なんであーしが大島なんかと一緒にご飯食べなきゃいけないわけ?


 そんなの浮気じゃん!


 あーしはこもりん一筋なんだから、他の奴とつるんだりしないし!


 そんな心境である。


 小太郎はただの友達だとか寝ぼけた事を言っているが、こちらは三人とも真剣に小太郎が好きでマジで取り合っているのだ。戦争をしているのも同じである。


 栞の事はよく知らないが、千鳥は超ウルトラハイパーミラクルギガント級の危険人物だ。


 ハッキリ言って、親密度以外でなに一つ勝てる気がしない。


 辛うじて胸の大きさで張り合えるくらいだろう。


 行動力だって向こうの方が上をいっている。


 リリカがずっと出来なかった告白を、千鳥はあっさりやってのけたのだ。


 小太郎の事はずっと前から好きだったが、今の関係が壊れるのが怖くて言えなかったのである。


「……どうしよう。このままじゃ絶対こもりん取られちゃうよ……」


 リリカだって自分がダメな奴である事は分かっている。


 でも、仕方ないじゃないか!


 だってダメな奴なんだもん!


 変わろうと思って変われたら苦労はしない。


 人見知りだし、無駄に可愛いせいで小さい頃から女子には嫉妬されて仲間外れにされてきた。男子も色目を使ってくるから怖い。中学生の頃からパパ活してるとか酷い噂を流されて完全に人間不信だ。


 それで周りを拒絶して自分の殻に閉じこもった。正直寂しい。当然だ。リリカだって一人ぼっちはいやだ。生まれてからずっと寂しさを感じない日はない。


 たった一人でいい。一人だけでいい。心を許せる友達が欲しい。何度神様に祈ったか分からない。何度枕を濡らしたかわらかない。チャンスは何度もあったのに、リリカは悉くぶち壊してしまった。


 他人が怖い。信じられない。だから冷たく当たってしまう。それで離れていく人間を見て安心するのだ。ほらね、やっぱりその程度の人間だったんだと。


 なんて性格の悪い奴なんだろう。自分で自分が嫌になる。でも、それが自分なのだ。どうしようもなく自分で、否応なく自分で、自分は自分以外になれないのである。


 もし鶴川みたいな人間だったら人生イージーモードなのに。そんな事を思う自分も嫌だ。でも鶴川は好きになれない。なんでも持ってる完璧人間なんかどうして好きになれる?


 鶴川がいれば、自分みたいなダメ人間は必要ない。鶴川を見る度劣等感に苛まれる。あんな奴に助けられるくらいなら死んだ方がマシだ。そんな態度がリリカをますます孤立させた。


 千鳥はどこまで正しく、優しく、善意でリリカに手を差し伸べている。それを無碍にするリリカは悪であり、意地悪な捻くれ者だ。


 一生自分は一人なんだ。そういう星の元に生まれた欠陥品なんだ。そう思って絶望した。自業自得、身から出た錆、分かっていてもどうにもならない。


 だから救われない、救いようがない、救う価値もない。


 そんな自分に、小太郎だけは最後まで寄り添ってくれた。


 どれだけ拒絶しても、無視しても、罵倒しても、飄々と受け流し、そんな事はなかったみたいに接してくる。


 それでクラスの人間からハブられてもまるで気にしない。


 それでリリカは思ったのだ。


 これは神様のくれた運命の出会いだ。


 この子なら自分のような間違った存在でも受け入れてくれる。


 この子だけが自分のような欠陥品に耐えられる。


 この子だけは信じられる。


 この子といると楽しい。


 この子が好き。


 この子だけが好き。


 この子といたい。


 この子だけといたい。


 他はいらない。


 なにもいらない。


 たった一人。


 こもりんだけいればあーしはそれで十分。


 あとはパパ。


 それで世界は完成する。


 そう思っていたのに。


 鶴川だ。


 どうして。


 なんで。


 よりにもよってこの女が。


 なんでも持っていて、なんでも手に入って、なんでも好きに出来るはずなのに。


 どうしてあーしからこもりんを盗ってくの!?


 男なら他にもいっぱいいるのに!


 あんたはこもりんじゃなくても別にいいのに!


 負けたくない。


 この女だけには。


 盗られたくない。


 この女にだけは。


 失いたくない。


 こもりんだけは。


 それなのに、まるで勝ち目がない。


 だって、もし自分が小太郎の立場なら、迷わず千鳥を選ぶと思う。


 こんな面倒な女となんか付き合いたくない。


 顔が良くて胸がデカいだけのわがままな性悪女、絶対にごめんだ。


 絶望だ。


 絶望。


 望みがない。


 あぁ、自分はこうして小太郎を取られていく様を指を咥えて見ている事しか出来ないのか?


「うぇ、うぇえええ、ごもりいいいん……」


「ジャンケンで先手を取ったと見るや即手料理攻撃。まったく、油断ならない相手ですよ」


「ぎゃぁ!?」


 いつの間にか隣に栞がいて、リリカは飛び上って驚いた。


「さ、三条!? 脅かすなし!?」


「静かに。小森君に見つかります」


 ジト目で睨まれ、リリカは慌てて口を塞いだ。


「……こんな所でなにしてんの」


 声を潜めて尋ねる。


「漆場さんと同じです。鶴川さんがどんな手を使って小森君を口説くのか、敵情視察です」


「そ、そうなんだ……」


 リリカは気まずかった。


 栞とは全く面識がない。


 小太郎に告白したと言っていたが、どこから湧いて出た!? という感じである。


 それなりに可愛いようだが、なんか地味で根暗っぽいし、こいつには負けないだろうと思っている。


 そもそもライバルは鶴川一人なので眼中にない。


「漆場さん、わたしと手を組みませんか?」


「え? なんで」


 突然言われてリリカは困惑した。


「相手は完璧超人の鶴川さんです。普通にやったら勝ち目がありません。なので協力しましょう。漆場さんは小森君と仲がいいので、色々と個人的な情報を持っているはずです。それを提供してくれたら、わたしも漆場さんに協力します」


 それを聞いてリリカはハッとした!


 そうだ! あーしにはこもりんと過ごした一年ちょっとの時間がある。


 千鳥も同じクラスだったが、関りはほとんどなかった。


 これは圧倒的なアドと言える!


 上手く使えば、あーしにも勝ち目があるかも!?


「もしも~し。聞いてますか?」


 目の前で手を振られて我に返る。


「聞いてるけど、お断りだし。三条と協力して、あーしになんのメリットがあるわけ?」


 どこの馬の骨だか知らないが、同じクラスだったわけでもない。


 協力と言っても、出来る事などなにもないだろう。


「わたしは図書委員です。読書家で、沢山本を読んでいます」


「だからなに?」


「恋愛小説も沢山読んでいます」


「……アホくさ。本の知識が現実で役に立つわけないじゃんか」


「その言葉が事実なら、この世に教科書は必要ありませんね」


 確かにと思ってしまい、リリカは押し黙った。


「それに、考えてみてください。世の中の頭の良い人はみんな本を読んでいると思いませんか?」


 ……思う。


「漆場さんはお友達がいないようですし、小森君の事で相談する相手が必要なはずです。私もそうです。二人で考えれば、鶴川さんを出し抜く方法を見つかるかもしれません」


「……そうかもしんないけど」


 なにか裏がありそうな気がする。


 というか絶対ある。


 小太郎と父親以外は誰だって取り合えず疑ってかかるリリカである。


「この前の話し合いだって鶴川さんに主導権を握られました。わたし達が手を組めば多数決に持ち込めます。繰り返しますが、一番の敵は鶴川さんです。わたし達が足を引っ張り合う意味は全くありません。とにかくここは力を合わせるべきです。さもないと、小森君を取られてしまいますよ」


 リリカの本能が、これは悪魔の囁きだと告げていた。


 だからどうした。


 この女は言っていたじゃないか。


 小森君と付き合う為なら、悪魔にだって魂を売ると。


「……あんたが本当に役に立つって証明出来たら協力してもいいけど」


「望む所です」


 即答する栞を見て、リリカは考えを改めた。


 もしかするとこの女、とんでもないライバルになるかもしれない。


 それこそ、千鳥に対抗できる程の。


「じゃあ三条なら、あーしがアレに勝つにはどうすればいいと思う? 言っとくけど、手料理で対抗ってのはなしだよ? あーし、料理全然出来ないから」


 楽しそうに昼食を食べる二人を指さしてリリカが尋ねる。


 栞の返答を聞いて、リリカは背筋が震えた。


「……あんた、天才じゃん」


「図書委員は伊達じゃありません」


 澄ました顔で言うと、栞がキラリとメガネの位置を直した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る