第9話
「やだやだやだあああ! こもりん行っちゃやだああああ!」
翌日の昼休み、約束通り千鳥が迎えに来ると、リリカがぐずって小太郎の腕にしがみ付いてきた。
左腕がむにゅっと胸の間に挟まれてドキドキしてしまう。
「リリカちゃん! わがまま言わないで! 三人で話し合って決めたんでしょ?」
「そうだけど、やなものは嫌なんだもん! 鶴川は綺麗だし優等生だし、こもりん取られちゃうよ!?」
「ただ一緒にお昼食べるだけだから……。リリカちゃんだっていっつも一緒に食べてるでしょ?」
「なに言ってんの!? 鶴川はこもりん口説く為にお昼食べようとしてるに決まってるじゃん!? それでもいいの!?」
「それは千鳥さんの自由でしょ? 人にはみんな、好きな人を好きになる自由があるんだ。リリカちゃんの気持ちは分かるけど、あんまりわがまま言うと嫌いになっちゃうよ?」
ビクリとして、涙目になったリリカが悲しそうな顔で小太郎を見つめる。
「……なんでそんな事言うの?」
「リリカちゃんの事を嫌いになりたくないからだよ。三人で話し合って決めたなら、ちゃんと約束は守らないと。でしょ?」
「そうだけど……。こもりんがいなくなったら、あーし一人ぼっちになっちゃうじゃん……」
「むしろ、僕がいるせいでリリカちゃんが一人ぼっちになってる気がするよ」
そういう意味でも、少しリリカには厳しくした方がいい気がする。
「そんな事ないし!?」
「じゃあ証明してよ。僕がいなくても、他に友達を作って楽しくお昼休みを過ごせるって」
「……そしたらあーしの事好きになってくれる?」
「それとこれとは話が別だけど、見直しはするかな。好感度アップって意味では、好きになるかも」
「じゃあ頑張る。その代わり、上手く出来たら褒めてよね!」
「うん。むしろ、その決意だけでも凄い成長だと思うよ」
「とーぜんじゃん! こもりんと付き合う為ならなんだってするし!」
拳を握ってふんすと鼻息を荒げると、リリカはくるりと背を向けた。
「て事だから! 大島! あーしも仲間入れて!」
それを聞いて、小太郎の胸がドキッとした。
大島は慧伍の苗字だ。
「はぁ!? なんで俺が!?」
「こもりんの次に仲いいじゃん」
「一方的にボコられてるだけだろうが!?」
「うん。だから話しやすいし」
「そ、そうだよリリカちゃん。よりにもよって大島君じゃなくたって……」
どうしてこんなに嫌な気分になるのだろう。
胸を押さえて不思議がる小太郎を見て、リリカの口元が三日月形に笑った。
「あっれ~? こもりん、もしかして嫉妬してるぅ?」
「し、してないよ! するわけないでしょ!? 大島君はスケベだから、エッチな事されないか心配なだけ!」
「おい小森!? 誰がスケベだ!?」
お前だよ。
その他大勢のクラスメイトがそんな視線を慧伍に向ける。
モテ男の慧伍は彼女をとっかえひっかえ、何股もしてよく泣かせている。
休み時間だってしょっちゅうエロい実体験を話してクラスの男子にマウントを取っている。
スケベと言われても仕方のないエロガキなのである。
「うぐ……。まぁ、確かに、ヘタレの小森よりは積極的かもしれんが……。男らしいと言って貰おう!」
「うるさいっての!」
脛を蹴って減らず口を閉じさせると、リリカはあてつけるような笑みを小太郎に向けた。
「こもりんは他に友達作って欲しいんでしょ? あーしは大島のグループとよろしくやってるから、ご心配なく~」
「う、うん。頑張ってね……」
強がりの笑みを浮かべながら、小太郎は大いに反省した。
なるほど、これが友達を取られるかもしれないという不安か。
どうやら自分は、リリカの気持ちを全然分かっていなかったらしい。
小太郎だって友達は多い方ではない。
慧伍は長身でイケメンで女好きのモテ男だ。
そんな奴とリリカが昼食を一緒にするのは不安である。
リリカからすれば、小太郎が千鳥と一緒に昼食を食べるのも同じような感覚なのかもしれない。
正直やめて欲しいが、千鳥とお昼を食べておいてそんな勝手な事は言えない。
リリカの気持ちに応えられなかったのは事実だし、それで慧伍に取られるなら小太郎の自業自得だ。
だからと言って、胸のもやもやが消えるわけではないが。
ともあれ、リリカの件は片付いたので千鳥の元に向かった。
「待たせちゃってごめんね」
「……別に、全然待ってないが」
なぜだか千鳥は不機嫌だった。
頬は膨れて、唇は尖り、不貞腐れた目が明後日を向いている。
なぜ!?
「……もしかして、怒ってる?」
「……私が? まさか! 念願の小森君とのランチだ。怒る理由があるかね?」
怒っているようにしか見えない様子で言うと、千鳥の目がジトっとリリカを睨んだ。
「ただ、思っていた以上に君の中での漆場君の存在が大きかったようで困惑しているだけだよ」
†
不機嫌だったのは最初だけで、二人で廊下を歩きだしたら、千鳥はすぐに機嫌を直した。
「すまないね、小森君。無理を言って付き合わせてしまって」
「別に、友達とお昼を食べるだけだから」
誰でもしている事だ。
学校一の美少女だからと言って遠慮する事はないだろう。
千鳥が自分に好意を持ってくれている事は知っているし、本当に彼氏に相応しいか見定めて貰う為にも、一緒の時間を過ごす事に異論はない。
「まぁ、そうなんだがね」
苦笑いを浮かべると、千鳥は周囲に視線を向けた。
「私と一緒に歩いていると余計な注目を集めてしまうだろ? お昼を食べるとなれば余計にそうだ。まず間違いなくニュースになる。噂されたり、嫉妬されて目の敵にされる事も有り得る。すまないとは思っているが……。正直な話、小森君は嫌じゃないかね?」
笑顔を浮かべようと努力はしているようだが、千鳥の頬は強張っていた。
今後千鳥と交友を持つ上で、避けては通れない問題だろう。
「全然。そんなの千鳥さんの責任じゃないし。悪いのは意地悪をする人の方でしょ?」
「その通りだと言えればいいが。現実問題として、私と一緒にいたら不利益を被ることはある。ならば最初から恋などするなという話なのだが、そこまで私も達観できない。むしろ、障害が大きい分余計に憧れてしまうのかもしれないな……」
愛おしそうに小太郎の顔を見つめると、千鳥は不意に赤面して顔を背けた。
「す、すまない。柄にもなく自分語りなんかしてしまった。ただの言い訳だ。忘れてくれ」
「友達なんだし、愚痴ぐらい気にしないけど」
それこそ、千鳥のような境遇の人間は色々と溜め込んでいそうだ。
自分でよければ、幾らでも聞く。
「……ありがとう。そう言って貰えると幾らか気持ちが楽になる」
それで緊張が解けたのか、適当に雑談をしながら食堂に向かった。
なんでも千鳥は猫好きで、猫グッズを集めるのが趣味なのだそうだ。
食堂に着くと、先に利用していた生徒達がざわついた。
まるで芸能人がやって来たみたいだ。
千鳥は苦笑いを浮かべたが、特になにも言わなかった。
小太郎も特に言う事はない。
こういうものだと思って無視する他ないだろう。
適当に空いている席に座って弁当を広げる。
暫く雑談をしていると、不意に千鳥が切り出した。
「こ、小森君。じ、実はだね。その、なんだ……」
「どうしたの?」
「うむ……その、うん。べ、ベタな手だとは思うんだが、て、手作りのお弁当を持ってきたんだ」
食堂が静まり返り、肌に感じる殺気が強まった。
食堂中の人間が小太郎を見ている。
まるで、世界の中心に立ったような気分である。
「……迷惑だったかな?」
不安そうに千鳥が言う。
「ううん。びっくりしただけ。ありがとね」
本当にびっくりしていた。
学校一の美少女がわざわざ自分の為に手作りのお弁当を持ってきてくれたのだ。
嬉しい気持ちが胸いっぱいに広がってドキドキしてしまう。
「その、実は手料理というのは初めてで。レシピ通り作ったから不味くはないと思うんだが……」
もじもじしながら、千鳥は猫の顔をモチーフにした小さなお弁当箱を取り出した。
そんな仕草も可愛らしく、ドキドキは激しくなるばかりである。
もしかして、これが好きという気持ちなのだろうか……。
「可愛いお弁当箱だね」
「そうだろう! 私のお気に入りなんだ!」
無邪気な笑顔を浮かべて千鳥が蓋を開ける。
中には美味しそうな唐揚げがぎっしり詰まっていた。
「男の子なら唐揚げが好きだろうという安直な考えで恥ずかしいのだが……。食べて貰えるだろうか?」
「もちろん」
早速箸をつける。
なんの変哲もない普通の冷めた唐揚げだ。
味だって普通だ。普通に美味しい。
けれど、舌で感じる美味しさ以上のなにかがそこにはあった。
満腹感だけではない幸せな気持ちが胸を満たす。
「あ、味はどうかな? 美味くできていればいいんだが」
「美味しいよ。初めてとは思えないくらい」
パクパクパク。
小太郎は自分のお弁当そっちのけで唐揚げを食べていた。
食べてしまうのが惜しい気がするが、嬉しくてつい箸が進んでしまう。
「ご馳走様。あ~美味しかった」
「ふふ、そう言ってくれると頑張って作った甲斐がある。満足いく出来にならなくて三回も作り直したんだ。おかげで少し寝不足だよ」
ふぁ~っと、千鳥が小さくを欠伸をした。
「そんなに気にしなくてもいいのに」
「折角手料理をご馳走するのに、失敗作を物を持ってくるわけにはいかないだろ?」
悪戯っぽくウィンクをされて、小太郎の胸がキュンとした。
う~む、これはちょっと好きになってしまったかもしれない。
殺気立った無数の目に睨まれながら、小太郎は真面目に内心を分析した。
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