竜人の逆鱗です
駆ける。
迫りくる骸骨の群れを迂回し、隙間を縫って前へ。
振り翳される凶刃を弾きながら、繰り出される刺突を躱しながら、リュートの足は止まらない。
今も鼻をつく腐臭。耳障りな叫び声。身体を蝕んでいく死への恐怖に震えながら、それでも剣を握りしめ、ひたすらに死の権化へと踏み込んでいく。
『ギュっゥゥ――アアあぁぁァァァアアアア!!』
廃都の死骸の号令が、次々に生み出される骨兵の足を突き動かす。
しかし、
「雑魚は任せろ。振り返んな、リュート」
その声に、リュートは歯を食いしばる。
周囲を見回すことなどしない。ただ、リュートの視線は、空中の廃都の死骸一点を見つめている。
さらに一歩、彼はトップスピードに乗る。
直後、魔王の魔法が炸裂する。
骨兵の波を一掃し、リュートに飛来する凶弾を尽く弾く。その余波が廃都の死骸に届くたびに、今まではあり得なかった『怨恨』の感情が廃都の死骸の胸中に渦巻く。
無機質に死をまき散らすだけだった怪物が、目の前の光景に驚愕しているのだ。
「随分と感情的ですね。死骸を名乗るのには不釣り合いなほどに」
勇者は一言、嘲笑う。
『グゥゥウグウアアアアアアアアアアアッ!!』
「ほら、激昂するのは生者の特権ですよ」
怒りにも似た感情に、廃都の死骸は高らかに咆哮する。
だが、廃都の死骸は、自分でも気づくことのできない感情に、徐々に蝕まれていく。
地についていない足がどうしようもなく不安だ。
自身が生み出す尖兵どもが膨大な魔力に呑み込まれていく光景に、あるはずの無い心臓が掻き毟られる幻覚を感じる。
着々と自分の下へ足を進める少年を排除しなければと、意思を持ち始める。
「あなたが感じているそれは、焦燥です。失うことへの焦燥。傷つくことへの焦燥。失うものなど無く、傷つくことなど無かったはずのあなたには、初めての感覚なのでしょう」
廃都の死骸は、勇者の持つ剣を忌々しく睨みつける。
アレが輝き出してから、すべてが狂い始めたのだ。去来する無力感と、今まで機能していなかった思考のようなものが、髑髏の王の眼窩を暴れまわる。
「さぁ、どうしましょう。いまのあなたの命には限りがあります。魔力にも限りがあります。とめどなく溢れるのは感情だけです。まさに人間。私たちにそっくり。永遠だったはずのあなたは、落ちぶれ、我々の土俵に立った」
リュートは駆ける。
疾駆する。疾走する。
「高みの見物はもう充分堪能されたでしょう。——堕ちなさい、亡骸風情が」
廃都の死骸は危機を知らない。
このような状況に陥ることを想像すらしたことが無い。
学んだことが無い。失敗したことが無い。
追い詰められたことも、まさか死を間近にすることも。
ただ、なにかを殺すことしか知らない。
跳躍する。
肉迫する。
今まさに眼前に迫った“リュート”という危機に、対抗する手段を持たないのだ。
立っていれば、それだけで恐怖するはずなのに。
睨めば、それだけで何者も動くことなどできないはずなのに。
触れれば崩れ落ち、噛めば掻き消える脆弱な存在なのに。
『がっ、あっぁぁ゛ぁっあ、あ゛っあアアアアアアアア!!』
死骸は、明確な死の予感に喘ぐ。
痛みを想像し、半狂乱で魔力を纏った。
魔力は黒く堅牢な盾を形成し、廃都の死骸を守るために蠢く。
「防御ですか。らしくもない……それは――最大の隙ですよ」
勇者は憐れむように目を瞑る。
猛追する。
リュートは、自分の足を止めようとする骨兵どもを足場に宙を駆ける。
一度堕ちたはずだ。
一度折れたはずだ。
なのに彼は、再び恐怖に剣を向けるのだ。
そうだ。彼は一度折れている。
それを思い出させてやろう。
『ァァあああ……ギャばっばアァァアあッ』
骨を鳴らし、死骸は哄笑する。
どうせ恐怖する。また膝を折る。
人間は、弱いのだから。
宙に舞い、リュートは剣を振りかぶる。
そんな彼の双眸と、廃都の死骸のぽっかりと開いた眼窩が目を合わせた。
リュートの顔は、恐怖に歪む。
涙が溜まる。今にも剣を取りこぼしそうなほどに手を震わせる。
もう一本しか残っていないその右腕も、奪ってやろう。
ニタリ。動くはずの無い骸骨が、そう表情を変える。
落ちろ。墜ちろ。堕ちろ。
もう一度地上で膝を折り、見上げていろ。
もう二度と立ち向かうことが無いように。
もう三度こうして目を合わせないように。
落ちろ。堕ち———。
「なぁ、骸骨」
そして彼は、恐怖したまま口を開く。
その口調は、怒りに満ち溢れていた。
「てめぇさっき、ルルノア様を狙おうとしたな」
リュートは、剣を手から離す。
恐れたからではなく、ここで終わらせるために。
廃都の死骸と目が合っているリュートには、原始的、本能的な恐怖が刻まれているはずだ。
自分の身体が腐っていく幻覚や、じくじくと身体を蝕む疼痛が襲っているはずだ。
しかし彼は、怒りを充填する。
「それは――俺にとっての逆鱗だ。あの人が死ぬくらいだったら、身体が朽ちた方がマシなんだよ」
銃の撃鉄を引く様に、腕が失われた左半身を引き絞る。
廃都の死骸が選んだのは迎撃でも回避でもなく、防御。
大きすぎる隙に、彼は――――憤怒を放出する。
「——『
『憤怒による『
失われた左腕の断面から魔力が象るソレが伸びる。
およそ人間の腕ではない。真紅の鱗と頑強な外皮に覆われた――覇者の腕。
外気が蒸発するほどの魔力の発露。腕に溜められた次の一撃は、廃都の死骸でも想像がつかないほどの破壊の可能性を秘めているのだろう。
「一撃でぶっ殺す——
『ギぃッ、あ―――――――』
死骸は、放たれる一撃を鎧で受けることしかできない。
焦燥から迎撃を諦め、恐怖から回避の選択を取れなかったのだから。
命乞いにも似た声音が響くときには。
すでに。
怒りの感情を魔力に変換した砲撃が、射出される。
「
竜人の左腕が、死の権化に振り抜かれた。
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