嘆きと切望の果てに
命あるものは何とやら。
当然の摂理として受け入れられる『果て』は万物に平等に降り注ぐものだ。
終わりであり、暗闇であったり、深淵であり、断絶だ。
人はそれを死と呼び、絶望の象徴として崇め奉る。
命と表裏一体の概念でしかないその影に怯えながら、本能のままにそれを理解する。
しかし例えば、その死が形を成して人々の前に姿を現したとしたら。
地を這うように嫌悪が伝染し、天を覆う嗚咽が溢れ、人は膝を折るのだろう。
かの全能の女神ですら排斥することが出来なかった概念が、その足で立って、無貌の瞳で世界を見渡す。
宙に湧いた蛆。大気を踏み鳴らす髑髏の群れ。
それを引き連れる顔のないヒトガタは、ただ嘆く。
『————オ゛……おっ』
嗚咽する。
泣き咽ぶ。
かつて彼が人であった名残の肉片をまき散らしながら、腐臭のする呼吸を繰り返す。
暗雲と赤黒い稲妻を背負った怪物が、廃都より降臨した。
■ ■ ■ ■
この感覚はなんだろう。
自室で巨大な虫を見つけた時のような、通学路で動物の死骸を見つけた時のような。
安全だと思っていた場所に突如として入り込んだ異物。
安心できる日常を塗り替えてしまう非日常。
この世界でのあれこれには慣れたはずだった。
だけど……あれはっ……!
「どうする青少年? いや、どうすることもできねぇよな」
崩皇仙女はくつくつと喉を鳴らす。諦観と共に白けたような声音は、彼女もあれを歓迎しているようには思えない。
「ルルノア様……お願いします。退避を」
「リュ、リュートッ……」
「お願いします」
問答の余裕はない。
空中のあれから目を離せば、次の瞬間には何が起こるかわからない。
どうにかして注意を俺だけに引き付けるには、ルルノア様の存在はあまりに危うい。
「命を捨てるわけではありません。その考えは捨てました。……ですから、退避をっ」
「……おまえはあしでまとい。はなれろ」
「……っ」
バビロンの言葉に一度強く俺を抱き締めたルルノア様は、ゆっくりと背から降りる。
「バビロン。できる限りでいい。ルルノア様を遠くへ」
「……ばびろんもいっしょに」
「頼む。もう残り時間も少ないだろ」
余裕がない。
脳が回らない。
久しく足が震え、背中を流れる汗は止まらない。
鼻が曲がりそうな腐臭に、とめどなく流れる涙に視界がぼやける。
「リュ―――」
「はやく行けッッ!!」
ああそうだ。俺には、あれからルルノア様を守る自信は微塵もない。
弱さを隠すように叫べば、ルルノア様は涙ながらに走り出した。
どこまでも俺を案ずるように、ルルノア様は何度も俺を振り返ったかもしれない。
「つかって」
数瞬後、手に持っていた白刃を地に刺すと、バビロンはルルノア様を追って姿を消す。
『————お゛あ』
「——ッ」
それが鳴き声に似た何かを発した瞬間、俺の足は地を蹴った。
バビロンが残してくれた剣を片手に、死骸の群れに飛び込む。
「うおおおおおおおおおおおおおッ!!」
心底から沸き上がる恐怖をかき消すために叫ぶ。
勇ましい理由ではなく、みっともなく泣きじゃくるように声を張り上げる。
「……それは無謀だよ、青少年」
廃都の死骸を追い越すように宙を闊歩する髑髏たちはその矛先を俺に定めたように動き出した。
十、百……どんどんと迫る群れに、俺はがむしゃらに剣を振るう。
カラカラと音を鳴らす手応えのない骸骨を屠りながらの決死行。五感はもうとっくに機能していない。
現実を直視してしまえば、たちまち戦意は泡となって消えるだろう。
廃都の死骸は、ただ立っているだけで俺の本能を直接壊す。
時間の感覚が狂う。
俺が地面から足を離してからどのくらい時間が経っただろう?
距離感が狂う。
何故、廃都の死骸との距離が詰まらない?
平衡感覚も、暗闇をもがき続けている様に不明瞭だ。
「————あ」
声が漏れたのは俺からか、別の誰かからか。
俺の目の前で手を翳した廃都の死骸は、ぬるっ――と俺の顔を撫でた。
「——————ッッッッ」
叫ぶな、叫ぶな叫ぶなッ!
喉からせり上がる絶叫を噛み砕く。
今叫べば、必ずルルノア様は戻ってきてしまう。
感情を直接撫でつけられたような激情の氾濫に、俺は地に墜落する。
外傷はない。怪我もない。
何をされた!? 今俺は……
「『
崩皇仙女はあれを見上げながら、当然のように宣う。
「触れた生物の寿命を半減させる。まったく馬鹿げてるよったく。しかも一回限定でもない……何度も触れられたらその度に半減だ。つまり――いつか、青少年の寿命は今日に収束するよ」
「ふ……ざけっ……」
あまりにも馬鹿げた話に立ち上がろうとして――――ふらっと、横に倒れこんだ。
身体の片側が、あまりにも軽い。
恐る恐る自身の左側に目を向ければ――。
「そしてもう一つ……アレは、噛んだものをこの世から消滅させちまうんだよ」
俺の左腕は、跡形もなく消し飛んでいた。
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