第六界—7 『海ノ開界』


「ッァ……あぁぁ……!」


 俺の嗚咽は、掠れた呻き声は発せられてすぐに、波が波とぶつかり合い、空気を押し潰す音によって掻き消される。

 掻き消されたのは俺の声だけではなく……アーマードバトラーの声も出会った。


「ッ……た……!」


 波の音に隠れて聞こえないが分かる。

 その視線の先には、伸ばされた手の先には俺が居て……そして救いを求めて、生き長らえようと必死に絶叫しているのだと、そう理解出来た。


「助け……なきゃ……」


 そう言うが、建前ではアーマードバトラーの願いに応えようとする——が、俺の身体は動かない。

 動かない、ではなく動こうとしない……あの時と同じ様に、助ける事も逃げる事もせずに停止し、アーマードバトラーが沈んでいく姿を呆然と眺めていた。


 視界が眩む、耳鳴りが鳴り響く、頭が冷たくなっていく——


 今すぐに崩れ落ちてこの荒れ狂う海にゲロを吐いてやりたい様な、そんな気分だった。

 本当に今、苦痛を味わっているのはアーマードバトラーの方だというのに、俺は全身を震わして、涙目になって、声にならない何かを喉から漏らしている——

 そんな姿を見ても尚アーマードバトラーは俺に手を伸ばし救いを求めていた。

 きっと、俺が動かないのは助ける方法を模索しているからで、いつか行動に移すと、そう信じている……そのはずだと願っているからなのだろう。

 でも俺はそんな事は考えていない……過去と現在を重ねてただ怯えているだけで何も思考していない——しようとしていなかった。


「ッ……仕方ないだろ……」


 そう……仕方がないんだ。

 だってどう考えても救いようがない、思考するのが無駄な程に絶望的な状況を前にして生身の人間の俺が、朝日 昇流に何かが出来るわけが無い。

 あの日だって、今この時だって、俺が川に……海に飛び込んだとしてもただ流され無駄死にするだけ——心中するだけになっていたし、なるだろう。

 でも……このまま動かず、死ぬギリギリまで、絵に描いた餅の様な希望を与えるくらいなら……


「逃げ……ッ!」

「逃げるな……背を向けるな……!」


 逃げた方がマシだ——と、そう言い、そして行動に移そうとした時だった。

 ナイトの残骸が俺の左足に纏わりつき、逃避の精神と行動を妨害する。


「ッ……逃げるなって……じゃあ助けに行けと……生身でこの波の中に飛び込めって言うのか!?」

「それがお前の理想だろ!」


 俺の反論に対して、ナイトは何度か共闘したとはいえ出会ったばかり俺の事をよく知っている様な口振りで叫ぶ。

 あの日俺が白波を見捨てた事も、あの日以前のヒーローに憧れていた俺の事も、あの日以降の虚ろに生きる俺の事も……今の俺の事だってよく知らないというのに俺の理想を断定し——そして断言していた。


「そんなわけないッ……俺の事何も知らないくせに断言するな……!」

「俺は本当の朝日 昇流を知っているから言っている!!!」

「ッ……」


 気迫に溢れた叫びに思わず押され、言葉を詰まらせ反論する事が出来なくなる。

 ナイトの声は真っ直ぐ、震えなく放たれておりそこに偽りがある様には思えなかった。

 その言葉の内容は有り得ない事で、嘘でなければ現実と矛盾する……だが真実だと、直感でそう感じさせられる。


「俺の知っていた……好きだった朝日 昇流の目を月の如く輝かせ! そして馬鹿みたいにヒーローに憧れ続けていた……成れもしない、現実にもいない存在への希望を抱いていた! 初めは愚かだと思った……だが俺はそんなお前を! あの頃のお前を自らの主人として認めたんだ!」


 ナイトは語る、切羽詰まった様な声で……感情を溢れ出させる様にして言葉を連ねる。


「……それは昔の話だ」


 昔の、あの日よりも前の話。

 今は違う、だってあの日の後だから、ヒーローへの憧れを捨てた後なのだから。


「いいや、本当は今もお前はヒーローに憧れている……それこそがお前の理想なんだ、だから今、ここでこの海に飛び込む事こそがお前の理想を叶える手段なんだ」

「何言ってんだお前……たとえ俺の理想がヒーローに成る事だったとしても意味が無いだろ……飛び込んでも助けれず死んだらその理想は叶えられない!」


 ヒーローは人を助ける者。

 たとえこの波の中に飛び込んだとしても、アーマードバトラーを救えず死んでしまったらヒーローには成れない。

 無意味に、無駄死にするだけとなってしまう。

 だから俺は飛び込まない、朝日 昇流は動こうとしない——


「違う、お前の理想はヒーローに成る事ではない」

「は……? じゃあなんだって言うんだよ、さっきまでの流れならそうなんじゃ……」

「……後は自分で考え——」


 言い切る直前、ナイトの残骸は力尽きた様に崩れ、左足の拘束を解く。


 朝日 昇流の憧れはヒーローに成ることでは無い——


 ヒーローに成る事ではないけれど、ヒーローへの憧れは理想の1部……それが真実だというのなら、一体俺の理想は……


「あぁ……そうか、そうだな……」


 そして答えを見つける。

 ナイトの提示してくれたヒントを、ほとんど解答であるその言葉を聞いて、整理して、俺は朝日 昇流の理想を思い出す——


「アァァッ……!」


 そして、その理想への1歩を踏み出す為に、その決心の為に……


「ゼアァアァァァァアアア!!!」


 全身全霊の咆哮を、これまで抑圧してきた理想を解き放つ。

 その立ち姿には生気に溢れており、見開かれたその瞳は……あの日からずっと一切の光を持たない、暗闇の夜空に染められていた瞳は、夜空に瞬く星々の事煌めきを放っていた。


「俺のッ……理想は!」


 その答えを言い切る前に、俺は海に飛び込み……そして荒波の中に姿を消した。


「何をする気……だァ?」


 界獣は入水を図る様に生身で海に飛び込んだ朝日の姿を見て、困惑した様に……警戒する様に呟き、展望台付近の海を注視する。


「……死んだな」

「朝ッ……あぶぃ……!」


 約3秒、何も起こらず、沈黙が続いたのを見た界獣とアーマードバトラーは朝日は死亡したと、そう認識した。

 完全に希望を失ったアーマードバトラーは頭まで沈み、どんどんと奥底へ引きずり込まれていき……死を覚悟し、生を諦めたその瞬間——


「ゼアアァァァァア!」

「ばっ……」

「アァァア!?」


 突然、海中からトビウオの如く朝日が姿を現し、そして海面から飛び出し、アーマードバトラーを抱えて空高く舞い上がった。

 その光景を見て界獣は混乱し……困惑した様な声で叫ぶ。

 何故朝日が生存しているのか、何故空を飛んだのか……その理由は朝日の手が掴んでいた——


「あの鬱陶しい鎌か!」

「ナイトサイザーッ……だ!」


 さっき界獣の喉を貫いたナイトサイザーが奇跡的に俺の元に辿り着き、そしてそれを掴み取った、という訳である。


「あれだなァ! そうやって誰かを助ける奴をヒーローって言うんだったかお前らの世界じゃあよォ!」

「別にヒーローに成れなくてもいい……!」


 俺の理想はヒーローに成る事ではない。

 あの日失い……いや、自ら捨てた物を、無理やり封じ込めていた心を取り戻す事——


「ヒーローへの憧れを持ち続ける事!」


 だから助けられなかったとしても、ヒーローに成る為に行動しているのならば、その時点でもうヒーローには成れないのだとしても……それでも誰かを救う為に行動する事。


「それこそが朝日 昇流の理想ッ……だァァアア!」


 ようやく、6年経って受け入れる事が出来た。

 ずっと自分を騙して、自分の望みを否定していた——だが、それも今日で終わり。

 これからの俺はあの日より前の様に、馬鹿みたいにヒーローに憧れる少年として生きて、そして戦い、自らを犠牲にし……やがて死ぬ。

 心の世界の白波が言っていた通り、俺の理想は俺の死で完成するらしい。


「カカッ……カカカカ! ハハハッハハハハハ!」


 界獣は俺の姿を見て、言葉を聞いて愉快そうに、軽快な笑い声を上げる。

 その声はさっきまでとは違い、憎しみや怒りとかそういう物ではなく、歓喜する様であった。


「面白くなってきたなァ朝日 昇流ゥ! どうやら貴様は俺を本気で楽しませてくれるらしいナァァア!?」

「楽しむ間なんてやらねぇよ!」

「もう既に! 俺は楽しんでいらァ!」


 灰色の静かな空の下、黒い荒れ狂う海の上、朝日 昇流は上から下へ見下ろし、界獣は下から上を見上げ……人間と怪獣は互いに睨み合い、そして咆哮を放つ——

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