第六界—1 『海ノ開界』


——いつか、あの日が訪れる前



 俺は薄れ、消えゆく意識の中、ある場所に漂着する。


 その場所で、ある物体に入り込み、意識を再生させようと、必死に生き長らえようとしていた。


 だが所詮は借り物の肉体……というより本体、俺の、最上位の生命体の意識を収めておく事など出来ない。


 だから俺は覚悟していた。

 このままこの粗末な器の中で存在を失うのだと、そう理解しながら、ただ呆然として最期のひと時を安らかに眠り、過ごそうとしていた。


 そんな時、全てを諦めようとしていた時、彼が来た、帰って来たのだ。

 彼は部屋に入るとすぐに、迷いなく俺の事を纏う。


 最初は戸惑った、何故人の子如きの物として扱われなければならないのかと、そう不快に感じていた。


 だが、俺はすぐに理解する。

 彼は俺の入ったこの器をただの物とは考えていないと……宝物……そんな言葉では表現出来ない程大切な、彼にとって重大な物であると気が付いた。


 俺はこの器を粗末な物と認識していた。

 だが彼は違う、彼はこのボロボロの器を大切にして、そして気が付いていないのにも関わらず、意志など無いと思っているはずなのに器に、器の中の俺に語りかけてくれた。


 その行為は意志を失いかけていた俺に、再び自分自身の存在を認識させる物であり、俺は生きる事が出来た。


 つまり、簡単に言えば俺は彼に救われたのだ。


 だが、いつからか、あの日から彼は俺を纏わなくなった。

 それどころか地下に封印する様に閉じ込めたのだ。


 でも、それでも、捨てられたと理解しながらも俺は待つ。


 彼がまた俺を纏ってくれると、語りかけてくれると、そう信じて待ち続ける。


 ……結局、そんな時が訪れる事は無く……再開した時、彼は瞳から光を失っていた。


 そして……光を失ったと共に彼は憧れを捨て去っていた、俺との時を無かった物としていたのだった。



——


「おい朝日、朝食出来たらしいから食いに行くぞ」

「ん……あれ、もう朝になってる……」

「気が付いてなかったのか……」


 俺は、朝日 昇流は、意志を持つ鎧であるナイトの声でループする思考から解放され、夜が終わり朝が始まっていた事に気が付く。


「何か悩んでそうな感じだったがどうかしたか?」

「……別に、何も起こってない……何も変わっちゃいないから大丈夫だ」


 朝日 昇流の理想を俺が知らない、という事実を知っただけで別に俺の何かが変わった訳では無い。

 俺の理想はずっと同じ物……不変的な物であり、それを俺が知っていようと、無知であろうと理想は存在している。

 だから問題は無い、気にする必要なんてない……はずなんだ。

 なのに……だというのに、あの世界を破壊してから……俺の心には理想という言葉が、白波の声が染み付き、何度も何度もいつまでも壊れたCDプレイヤーの様に再生させられていた。


「……お前は変わったよ」

「え?」


 ナイトは突然、何処か諦めた様な、まるで俺に失望した様な声で呟く。

 変わった……というのは直前の会話の脈絡から見れば、心の世界に囚われる以前の俺と、以降の俺の差の事だと判断するのが正しいだろう。

 だが、何故かは分からないが俺はそのナイトの言葉はまるでずっと昔の事を指している様に思えた。


「俺が変わったって……いやお前昔の……小さい頃の俺なんて知らないだろ?」

「……」

「ッ……なんだよ……」


 ナイトは見つめる……目を細めていないにも関わらず、その大きな目からは、その視線からは強い威圧の様な、嫌悪の様な意志が感じられた。


「まぁ……たとえどんな人間に変わり果ててしまおうと、お前は俺の主人だ……だがこれだけは覚えておけ……」

「なんだ……?」

「俺が主人と認めたのはお前であってお前じゃない……少なくとも今のお前は俺の理想とはかけ離れている……それじゃあ先降りてるから、早く食いに来いよ」


 ナイトは忠告する様に、警告する様に言うと空中を滑空する様にして屋根から玄関に向かい降下する。


「……理想か」


 朝日 昇流の理想、それは幸せとはかけ離れており、その結果には俺の死が存在しているらしい。

 だが、そんな理想は人として正しいのだろうか。

 そんな理想を持っている俺は生物として間違えているのではないだろうか。


「俺は……」


 俺は一体、どのように変わってしまったのだろうか。

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