第五界—4 『心ノ開界』


——


 鼓膜を震わせる程の轟音……波の音が鳴り響く中、1人の青年は目を閉じて、目の周りを赤くしていた。


「ッ……はぁぁ……!」


 俺は……朝日 昇流は気が付くと、荒れ狂う黒い波から解放され、足元の無い水の中ではなく、足元の確かな地面の上に立っていた。

 今目を覚ましたはずなのに、さっきまでは気絶し……身体は脱力していたはずだというのに、俺の身体は立ち上がっていた。


「ワールデスの世界の中だし……まぁおかしくはないか……」


 と、そう言って自分を納得させる。

 たった一言呟くだけでフラワーワールデスは世界の光景を全く別の者へと変質した……塗り替えたのだから、あのハート頭のワールデスの世界でどんな異常が発生しようとそれはおかしくはない……むしろ通常である。


「はぁ……なんかダルい……」


 俺の身体には何が原因かは分からない倦怠感が、何に対してかは分からない嫌悪感が、荒波の如く渦巻いていて、この世に存在している事さえも嫌になる様だった。


「それにしても……どこだここ……」


 私が立っていたのは、今にも朽ちそうな、黒ずみ全体にヒビを広げる橋であり、その周りは、直前まで私達を水流で弄び、水圧で押し潰そうとしていた川に、海と見間違える程広大に広がる川に囲まれていた。


 橋、荒ぶる川……その2つの要素を数秒眺めて俺は、ここがどこなのか、いつなのかを理解する。


「……もし自分の意思で選んでるなら相当性格悪いなぁ……今回のワールデス……」


 選ばれた、もしくは偶然現れた空間は、6年前のあの日の、白波が死んだ光景を元に作られた空間である事は間違いなく……はっきりと言って不快な物だった。


「いや……俺が選んだんだよな……きっと」


 よく考えてみると、思い出してみると、あの濁流はおそらく俺の心がこの世界に影響した結果であり、だから白波の死と直接結び付くこの空間に俺は立っていたのだろう。


「心の世界なら理想を見せてくれよ……」


 俺の知らない俺の理想……それがこの世界に反映されたくれたならこの身をもって知る事が出来るというのに。

 何故うわべだけの理想を映すのか、今の様にトラウマを映すのか理解し難い。

 まぁこの世界を開いたのはワールデス、つまりは俺と敵対関係にある存在な訳で、その敵が俺にとって得になる事なんてするはずがないのだけれど。


「最も君を簡単に殺す方法、それは君の理想を映すという行為だと、そう言っても君はそれを願うか?」

「ッ……」


 突然波の音が消え去り、同じタイミングで背後から問いかけられる。

 その声は人語を、日本語を使い文章を構築していた……が、別の国の言葉を使う際、発音の違和感が生まれるのと同じ様に、その声の人語には違和感が、妙な、反響音の様な訛りがあった。

 人語を発音すると違和感が生じる……それはつまり、声の主は普段人語扱わない存在……人外である、ワールデスである、という事を意味していた。


「俺の理想が……俺を殺す事……?」

「そうだ、君の理想は君の死が前提に……というより最終的な結果に存在している」

「いや……それは無いだろ……」


 確かに、例えば白波の死の事を考えた時なんかは自分自身の存在を否定してしまいそうにはなる。

 だが俺はアーマードナイトになったあの日、生きる事を、生き続ける事を決意したんだ……死が俺の理想なんて事は有り得ない。

 そんな事は人として、いや生物としてあってはならないのだ。


「……何故振り返らない?」

「え?」

「君は背を向けて会話する人間なのか……? もしそうだというのならそれで構わない、君の生き方を尊重しよう」


 ワールデスは背後から、俺の背に対し困惑した様に問い、そして存在しない俺の人間性を肯定してくる。


 こいつ、さっきから敵なのに、話し方は他人行儀な物なのになんか発言がフレンドリーだな……


「いや別にそんな面倒な人間性は持ち合わせてないけど……」

「そうか、なら振り返ってもらいたい、せっかく椅子と机を作ったのに使わなかったら勿体ないだろう?」

「椅子ッ……!?」

「あぁ椅子だ」

「椅子だ……」


 その言葉に驚いて振り返ってみると本当に、灰色の橋の上に2つの椅子と机が並べており、1つは空席で、更に人に適応した物で、もう1つは異様に高く、それにはワールデスが座っていた。


「……座らないのか?」

「座った方がいいのか?」

「座ってくれたら嬉しい」

「……なるほど」


 まぁ……立って話すより座って話した方が楽だし、何よりこの……今俺の前に存在しているワールデスからは敵意を、悪意を感じない、むしろ好意じみたものが感じられる。

 というわけで、このワールデスがご丁寧にも、俺と会話する為に作り出してくれたという椅子に座ってみても良いだろう。


「それじゃあお言葉に甘えて」


 ワールデスの向かい側に、洋風の机……というよりテーブルを境にして椅子に腰掛ける。


「座り心地はどうだ?」

「まぁ……普通、可もなく不可もなくスタンダードな感じだな」

「失敗でないなら良かった」


 よくある硬い木の基盤に薄めのクッションをくっ付けたタイプの椅子……黒姫の家の椅子には遠く及ばないが良くないわけではなく、座って話す分には全く問題無い。


「にしても……どうした姿を見せてきたんだ? この世界を使えば俺の事くらい簡単に始末出来るだろ?」


 さっき言っていた俺の理想が俺の死を結果としている、というのが真実ならばそれを映せばいい。


「……私がやるべき事はアーマードの排除……殺さずともその片割れを無力化してしまえば目的は達成出来る……それに……」

「それに……?」


 ワールデスは少し溜めて、続きの言葉を発音する事を迷う様にしばらく黙り込んで……そして……


「君達2人にはこの世界の中で幸せになってほしかった」

「……は?」


 その意外な、敵に対する言葉とは思えない発言に思わず素っ頓狂な、腑抜けた様な声を出してしまう。

 アーマードを排除する為にわざわざ俺と黒姫を殺す必要は無い……それは理解出来る。

 だが何故敵を……仲間を3人も殺した相手の幸せを願っているんだこのワールデスは。


「……問おう」


 ワールデスは重たい声色で、改まった様に言う。

 おそらくその言葉に対する答え、そしてそれに連なる会話でこのワールデスとの談義は終結すると、そう思わせる様な空気感を感じた。


「君は、朝日 昇流という人間は、幸せな世界でこれから一生、永遠を緑煙 白波と過ごすか? それとも現実に帰り、あの希望の無い世界で死ぬまでの時を過ごすか?」


 それは究極の選択であった。

 前者は白波も提案していた、そして俺が受け入れそうになった禁断の選択肢であり、後者は物語としてはきっと正解の、正義の選択肢であった。


「幸福か不幸か……」


 どちらを選ぶのか。

 前者を選べば、偽物の白波と共に幸せになれる、いつまでもその幸福に浸る事が出来る。

 だが後者を選んだとしても、翌日には新たなワールデスにより死んでいるかもしれないし、そして何より幸福が存在しない。

 だから、つまり、天秤にかけた場合選択されるのは前者、後者が選ばれる事など有り得ないのだ。

 そして、上記の条件を踏まえて、俺は選択する、その選択を答える——


「俺は……朝日 昇流は現実に帰る」

「……そうか」


 何故あの条件で後者を選んだのか。

 それら決して逆張りなどではなく、れっきとした、2つの理由がある。


 1つ、偽物の白波を本物として捉え、扱うのはあまりにも白波に対する、死者に対する侮辱となると考えた事。

 2つ、本物の白波が生きていればおそらく……いや、ほぼ確実に俺の事を憎み、殺意を抱いている。

 だというのに、白波の心を捏造してそれを真実として扱うというのは彼女の存在を否定する事になると、そう解釈した事。


 この2つの事から俺は、朝日 昇流は崩壊世界を……あのろくでもない現実を選択したのだった。


「なら私を……このハートワールデスを殺せ、私の心はもう崩壊寸前……君でも私の頭を砕けるだろう」

「はっ……いや別にお前が死ななくてもこの世界を閉じればいいだろ?」

「世界を閉ざすにはワールデスを殺すしかいない」


 その言葉は覚悟そのものであった。

 ハートワールデスは敵を罠にはめる為に騙っているのではなく、俺の望みを叶える為に語っていると……そう心で理解出来る。


 いや……違う、ハートワールデスは俺を救いたいんじゃない……


「お前、ひょっとして死にたいのか?」

「……正解だ」


 ハートワールデスは死んで、そして自分が救われたいんだ。


「もう嫌なんだ……誰かを不幸にして、誰かの心の悲鳴を聞くのは……もう耐えられないんだ……!」


 ハートワールデスは前屈みになって、俯いて、絞り出す様な声で己の苦悩を、絶望を、語る。


「だから……頼む、殺してくれ……私の心は自害出来る程強くない……恐れてしまう……だから君に殺してほしいんだ……」


 頭のハートにはヒビが広がり、輝きはどんどんと失われ、くすみ、暗闇色に染色される。

 だが完全に壊れる事はなく、崩壊寸前で止まる……あと少しの衝撃が加われば砕ける所で破壊は停止した。


「……分かった」


 一言、それだけ言って机の上に立ち、ハートワールデスと視線を合わせる。


「朝日 昇流は現実に帰る……その為にハートワールデスを殺す……!」


 宣言する様に言い、右拳を強く、爪が手のひらに刺さり流血する程の力で握り締めて構える。

 ハートワールデスを殺す為に、ハートワールデスを救う為に……


「……最後に、私の最期に1つ忠告しておこう……」


 ハートワールデスは落ち着いた様子で、何処か安心した様子で最後の話をする。


「人の心を決め付けるなよ」

「その為に俺は帰る、お前を殺すッ……」


 そして俺は——


「ゼァァァアアァァア!」



 心の世界を破壊した。



——


 現実に戻った時、俺と黒姫は塀の前で……ハートワールデスと初めて遭遇した場所で目を覚まし、現実では一切の時間が経過していなかった。


 そして、まるで何事も無かった様に朝食を食べて、日常を過ごして、あっという間に朝日は沈む。


 朝日の無い世界で、夜の世界で……俺は1人、屋根の上に座り、夜空に浮かぶ星々を呆然とした様子で眺め、思考に浸っていた。


「俺の理想……白波と一緒に生きる事じゃなくて、俺が幸せにはなれない……死で完成する……」


 何度も、星1つ1つを新たに認識する度に口にする、言葉にする……だが分からない。

 不正解の解すらも浮かばず、脳内にはただ白波のあの必死な顔が、声が映されるだけだった。


 俺は、朝日 昇流は一体何を願い、何の為に生きているのか——


 その答えが出る事は無く……気が付けば朝日が昇り、浮かぶ星々は1つ残らずその姿を消していた。

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