第5話 通過

 拷問部屋と言っても大したことは無い。天井の梁に縄を括り付けただけの拘束具と、水責め用の甕があるだけの小部屋だ。二人の衛兵は、そこで俺に拷問を始めた。俺は粗雑に殴打を加えられた後、鞭を浴びせられ、甕に張った水へ顔を沈められた。標準的な拷問と言って良かろう。だがしかし、かつて町道場にて拷問のような扱きに耐えてきた俺だ。この程度の拷問なぞ、痛くも痒くもない――などということはなく、痛いものは痛いし、苦しいものは苦しい。忍耐が身に付いた人間とそうでない人間の違いとは、痛覚の鈍麻や感受性の麻痺ではないのだ。忍耐に出来ることは、苦痛を拒絶しないこと、絶望して苦痛を身に受け、希望の時を待つことである。

 一刻ほど経ったろうか。衛兵たちも拷問に疲れてきたようで、手が止まる。俺の反応が鈍いので、遣り甲斐も無いのだろう。そんな折に、衛兵長が部屋に入って来た。

「どうだ? 証言は得たか?」

「それが、難航しておりまして……」と衛兵。

「チッ、仕様が無いな」衛兵長は眉を顰める。「今日はもういい、取り敢えず牢屋へぶち込んどけ」

「はっ」

 俺は牢屋にぶち込まれた。

「痛ってぇ……」

床に転がされる。粗い木板だ。ごつごつするしざらざらする。ガシャン、と錠の鍵が掛かる音。衛兵が去っていく。牢の格子は太い木組みで、疲労困憊の生身で蹴破るのは無理だろう、そも破る気も余り無いが。寝床は筵が一枚、便所は壺が一つ。部屋の幅は俺が三人寝転がれる程度、天井が高めなのは嬉しいが、採光の窓が高めで手が届きそうにないのは残念だ。

「それにしても――」瞼を閉じる。世界が真っ暗になった。「飯は出るのかな?」

 食事の無いまま夜になった。

「明日こそ出るんだろうな」

体力を回復する見込みが無いのはちときつい。少しでも体力を温存しようと、横たわったままじっとしていると、足音が聴こえてきた。足音は牢屋の前で止まる。

「おい、生きてるか」

衛兵が立っていた。手に持った盆には、パンと椀が載っている。匂いからして、椀の中身は豆の羹のようだ。

「お、夕食か?」期待を込めて訊ねる。

「ああ、俺のな」

そう言って衛兵は座り込み、パンを半分に千切り始める。千切ったパンをどっぷりと羹に浸す。俺はそれをぐったりして眺めた。

「思い出した。あんた、俺に“運が無かったな”とか言っていた奴だろう、門の前の立哨……」

男は無視して羹に浸けたパンをかじっているが、間違い無い。

「不味いな」男は呟いた。「仕事をくれてやる、残飯処理だ」

そう言って格子の下部に有る差し入れ口から、残りの羹と半分のパンを盆ごと寄越してくる。

「任された」

実に美しい夕食である。

「いつもこうなのか?」男に尋ねた。この関所の検問と、通行希望者の扱いについてである。

「衛兵長が詰めている時はな」と男。「商人と貴人以外からは必ず金品を没収している」

「いいのかよ」

「それ自体は職務に違反していない。怪しい者の通行を防ぎ、違法な物品を持ち込ませず、持ち出させない。その為の措置は殺人や重篤な怪我を除き許容される」

「ならその規程を悪用しての横領か?」

男は押し黙った。

「俺の荷物は返してくれるんだろうな?」

「不審者から没収した物は証拠物品として保管、検査の後に返却もしくは破棄される」

「なら返してくれるわけか」

「……不審者が犯罪行為に及んでいた場合その限りではない」

「ああ、左様で……」

つまり、俺に拷問で有りもしない罪を認めさせ、持ち物を根刮ぎいただこうという腹か。

「何か明るい話題は無いのかよ」

「犯罪の証拠が無い場合、拘留して良いのは三日までと決まっている」

「あと二日耐えろ、と。その場合、どっち側に追い出されるんだ? 俺はアマリデモに行きたいんだ」

「この関所の本来の目的は通行制限でなく、魔物の侵入阻止と魔境産物の流通管理にある。持ち込んだり持ち出したりする物が無い分には、どちらへも出られる」

「それを聞いて安心した」

 男は立ち上がった。

「行くのか?」俺は尋ねる。

「ああ」

「そうか、世話になったな」

「気にするな。こちらも夜食を馳走になった。旨かったよ」

「え? いや、これはあんたが……。まさか――」

この夕食は元々俺の分か?

「じゃあな」

男は立ち去っていた。ちゃっかりしていやがる。流石はこの関所の衛兵と言ったところだ。ああ、もう、寝よ寝よ。

 仰向けに寝転がると暗闇が見える。あの男が俺に情報を与えた理由を考えた。そういえば俺は、うっかり犯罪を自供したらどうなるのか訊いていなかった。その場合、恐らく監獄にでも輸送されるだろう。そうなると、輸送の手配が済むまで俺はここに居ることになる。ははぁ、それであの男は俺に希望を与えたわけか。俺がここに居る間は、飯の用意やら糞壺の処理やら遣らされるわけだものな。

 そこまで考えたところで、俺は睡魔に無抵抗で負けた。

 翌日、朝から衛兵長直々の拷問だった。二人の衛兵に連行され、拷問部屋で拘束される。衛兵長の振るう鞭で肉が裂けた。

「そろそろ吐いたらどうだ?」と衛兵長。

「朝食もまだだぜ、吐けるかよ」

「ならたっぷりとその腹に詰めてやろう。――おい」

衛兵長の合図で、二人の衛兵が動く。俺は腕を背中側に縛られた状態で逆さ吊りにされ、その真下に水甕が据えられた。それから、俺を吊る縄を下げられ、頭が水に浸かる。暫くした後で縄が引かれて始めの状態に戻る。次は棍棒で身体を殴打される。その工程を繰り返したり、水に沈めた状態で殴打が加えられたり、鞭で叩かれたりした。

 そういう拷問を経て一日が終わり、また夜が明ける。

 外では雨が降っていた。

 拷問部屋。

「喋れば楽になるぞ? どうだ?」と逆さまの衛兵長。

「どうしてそう拘るかね」

喋るのも少し辛い。

「俺にはな、愛する妻と可愛い子供が居るんだ。そんな二人に少しでも良い暮らしをさせてやりたい。その為に勤勉になるのは当然だろう?」

棍棒での一撃が加えられる。

「それに俺は正義感が強い気質たちでな。お前のような悪人を放ってはおけないのさ」

棍棒でもう一撃が加えられる。

「さて、そろそろ観念したらどうだ? 自供するならここまでにしよう。飯もたらふく用意してやる。その後は移送の日まで静かに過ごさせてやる」

「それじゃあ、少し言わせてくれ」

「いいだろう! 言ってみろ」

「俺は“勇者”になって血沸き肉躍る冒険の日々を過ごす予定だったんだ。それがどうして未だに、冒険するどころか冒険を始める以前の段階でこんな目に遭ってるんだろうな。俺の冒険が一冊の本なら、もう全体の十分の三は終わっている頃だぜ? 話の展開が遅いなんてもんじゃないよ」

「余計なことを言うな、こいつめ!」

棍棒に拠る全力の一撃が与えられてしまった。

 明日みょうにち、衛兵長に依る追い込みを耐え切った俺は、牢屋から出され、簡単な手当と一緒に顔を拭われた。少しは身綺麗にしておかないと、何処から追及が来るか知れたものではない、という思し召しなのだろう。その後、事務処理に使っているのであろう一室へ連れて来られた。

「おい聞いているのか」と衛兵。

「聞いているよ、だからもっとゆっくり喋ってくれ」

少し意識が朦朧としている。衛兵が説明しているのは、俺から奪っていた物品の返却についてだった。名目上は一時預かりなので、俺の確認を以て返却完了の旨が帳面に記載されるのだという。因って、俺は署名を求められている。

 俺は財布の中身を確認した。

「減っているぞ」

「知らんな」と衛兵。「気の所為だろう」

「おい」

「ごねるのか?」

暫し衛兵と睨み合ったが、俺にそれ以上の元気は残っていなかった。不承不承に帳面への署名を済ませて、漸く関所を後にする。

 関所の外では晴れの陽光が出迎えてくれた。緑の森と空の青が広がる景観の手前に、円弧型に建てられた石造りの橋が在る。無論、その下には渓流が流れていた。攀じ登るには難儀しそうな高さは有るが、幅の有る渓谷ではない。水量も多くはないようで、端の方は石礫の土色で縁取られている。魚など獲れないであろうか。

 兎も角、石橋を渡る。そして随分と久しく感じる、左右に茂る森林の鬱蒼たる圧迫感。地面の轍を辿っていく。

 前方に柵塁の壁が見えてきた。入口の門は開いている。

 門を抜けると、集落が在った。砦の内側であるのが意外な程に広く、奥行きも有る。木と石とで建築された立派な家屋が並んでいる。聞くところに依ると、人口は三百人程度なのだそうだ。小さな町と言える規模だ。尤も、魔境の発見された土地の人口としてはウィンタージを含めて数えても極端に少ない。それは近くにアラクレスムの巌窟という資源に富んだ魔境が在るからであり、そして当地の魔境における資源回収率の低さに由来するのだという。要するに儲からないのだ。

 だが何にせよ、ここからようやっと俺の冒険が、“勇者”としての第一歩が始まるのだ。

 俺は門の内側のすぐ脇に居た見張りに訊いた。

「御免下さい、魔境管理協会が何処に在るかお尋ねしたいのですが……」

「それならここを真っ直ぐ行けば、一目でそれと分かる建物に着くが……」

「どうも有り難う」

早速、魔管会のアマリデモ支部所へ向かおうとした俺だったが、この見張りに呼び止められた。

「お前、大丈夫か?」

「え?」

「顔色が悪いようだが……」

「ああ、御心配どうも。平気ですよ」

そう告げて、俺は見張りに背を向けた。

 足取りは疲労の為に重かったが、気は急いていた。魔管会では新米の“勇者”に寝床と呼べるだけの物件は供出してくれるそうだし、何より魔管会は“勇者”たちの拠点として機能する都合上、食堂が併設されているものなのだ。食堂以外にも施設は在るだろうが、今の俺に必要なのは食事と睡眠だ。取り敢えず早くまともに食事をしたい。

 で、早速見えてきた幅の有る建物。こいつは周囲の建物の三倍は横にでかい。俺の首くらいの高さの木の柵を方形に巡らせて、この土地への来客にどっしりと構えたような二階建てだ。

 出入り自由のようなので、お邪魔させてもらう。正面の踏み固められた道を進み、木の柵の内側へ。そして目の前に両開きの扉。ぐっと押し開くと、中は広間になっていて、前方には階段と、その両脇に奥への通路。右手側は壁を大きく刳り貫いたように右の棟と連なり、こちらは魔境管理業務に関する受付とその待合室らしい。中に“勇者”と思しき人物が多数。受付台で仕切られた向こうの従業員と何やら遣り取りしている。そして左手側も壁を大きく刳り貫いたように左の棟と連なり、こちらは、間違いない、食堂だ。

 俺は食堂の方へ足を運んだ。

 受け渡し用の、壁の上半分を切ったような台の向こうに厨房が見える。その手前には大きな机が並んでおり、食事をしている人物がちらほら居る。遅めの朝食といったところか。

 さて、注文はどういう仕組みなのだろう。“勇者”でないと利用出来ない、とかではないだろうな。一先ず厨房の人に声を掛けてみるか――。

 そう考えながらきょろきょろしていた俺の許に、一人の人物が近寄ってきた。





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魔境冒険勇者 宇原芭 @delicioustakuan

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