第2話 欺瞞を基礎に立つ幸福

 彼女――シオン・キズカは、いつもの白と黒を基調にした給仕服ではなく、普通の村娘のような私服姿だった。傍らには大き目の雑嚢が置いてある。割と膨らんでいるのを見るに、私物が纏められているのだろう。

 俺は冗談めかした口調を心掛けた。あまり深刻そうに思われたくない。

「お前も家を出たのか?」

「はい」と澄ました風にシオンが返してくる。「私の奴隷契約は、ギルデバルトー家ではなく、カジーク様個人との間に結ばれたものです。カジーク様の個人的所有物はカジーク様に帰するとのことでしたので、御随行させていただきたく存じます」

蛾眉の下の切れ長の目が、揺らぐことなく俺を見据えている。落ち着いているというよりは、意地を張っているような、意志の強さを感じさせてくる。やれやれだ。

「俺は強姦魔の一味らしいぞ? うら若い乙女の随行する相手にしちゃ物騒だ。それに、俺はこれから“勇者”になるつもりだ。魔境へ向かう。俺に付いてきても危ないばかりで旨味が無い。それよか、父ッ――、おっと、グレイウス様に言って、引き続き家で働けるよう取り計らっていただく方が良いのではないか」

シオンは途中から既に反論したいのを、相手が俺だからというので遠慮して、口を強く結んでいたようだった。故に俺が言い終わると、堰を切ったように言葉を出した。

「カジーク様は潔白です! 家の者があの場に駆け付けた時、カジーク様はナッタブを取り押さえておいででした。それがどうして共犯だということになるのか……、シズル様も、他の者も、皆信じられません!」

「仲間割れしたのかも」

「あの場でそんなことをすれば、何もかも終わりだということは子供にだって分かる仕儀です。一体どれ程の愚か者であれば、そのようなことをするというのですか……」

あからさまな苛立ち混じりに、シオンは暗い顔をする。まさにその愚か者というのがあの家におけるナッタブや俺への認識というわけで、その辺、シオンも理解はしているのだろう。

「ともかく」シオンは俺の手を取り、決意に満ちた瞳で俺の目を見た。「私はこれからもカジーク様のものであり、誠心誠意お仕えする所存です。どこへなりともお供致します」

耳長族特有の尖り耳が朱く染まっている。こうも健気に言い寄られて、悪い気はしないというものだ。仕方無い。

「奴隷契約書は持っているか?」

「あ、はい。これはカジーク様の物ですので、ギルデバルトーの家に置いておく物ではないと……」

シオンは雑嚢からそれを取って、俺へ差し出す。丸められた二枚綴りの羊皮紙だ。俺は自分の荷物から魔墨筆を取り出す。魔力を込めると筆先に装填された墨粒が液状に変化し、いつでもどこでも字を書くことの出来る優れ物だ。

 二枚綴りになった奴隷契約書の一枚目は、契約の内容と契約者の名が記された契約書であり、二枚目は奴隷解放の代行手続きの申請書だ。俺はそこに必要事項を記入していく。

「あの、カジーク様……」とシオン。「私は契約を解いていただかなくとも結構です。カジーク様にとってはその方が何かと都合の良い場面もございましょう」

「見事な忠誠心だ」

「私にとっては当然のことです。親を殺され、奴隷商の虐待に死すら願っていた私を救って下さったのは、他でもないカジーク様なのですから。御恩は一生掛けてもお返し致します」

「ああ、それな……」懐かしい話だ。「俺が仕組んだ」

 二人の間に、沈黙が挟まる。シオンは了得しかねるとばかりに、眉を顰めた。

「あの、それは、どういう……?」

「言った通りだ。俺が奴隷商に命じてやらせた」


―――

――


 シオンを見付けたのはスカポンタン時代の俺だ。あの時の俺は従者を一人連れて、街を闊歩していた。目的の場所は勿論、奴隷商の館だ。初めて奴隷商の許に、それも主体的に訪ねた俺は緊張していて、門番をしていた変哲も無い男に、「貴殿が館の主人か?」と訊いて恥を掻いたのを今でも良く覚えている。

 ギルデバルトーの子息ということで、奴隷商は俺を応接間に通してはくれたが、やはり怪訝な目を向けた。従者を連れているとはいえ子供が来るような場所ではないのだから当然だ。

「――それで、坊ちゃん」

と奴隷商が切り出す。机を隔てた長椅子から、奴隷商は見下ろすように威圧感のある眼差しを俺へ向けていた。俺は両膝の上で拳を固く握り締めていた。

「本日はどんな御用向きで……?」

「無論、奴隷を買いに来たのだ」俺は胸を張って言った。

「坊ちゃん、いいですか、奴隷ってのは安い買い物じゃありません。ギルデバルトーの名はうちも十分に承知していますが、子供の小遣いでは無理でしょう。それに維持費――食事や服を与えたりする金銭も必要になってきますからねぇ……」

「馬鹿にするな」

少し怒りを込めて言った。ここまで言われては、この奴隷商がどういう目線で俺を見ているかなど、嫌でも察する。もう少し真面目に商談をしろという意思を含めていた。

「父上に話も通してある。金も十分に用意している。一人前の客として扱ってもらおうか」

「それは御無礼を致しました」奴隷商は表情を変えた。客向けの愛想笑いの一歩手前、大仰な、驚きと侮りを含んだ明るい表情。「ちなみに、本日お一人でお越し下すったのには、何か事情がおありで?」

「父上たちは忙しいし、そもそも私が一人で来るのを望んだのだ。私が、純粋に、私の目で、私の物を選びたいのだ。父上たちには社会見学ということで納得していただいた。何か文句あるか?」

「いいえ、承知致しました」ここで漸く奴隷商は、客に応対する慇懃な振る舞いを見せた。「これまでの御無礼をお許し下さい。それでは早速、商品の方を御覧なさいますか」

「うむ、そうしよう。案内せい」

「ははーっ」

芝居掛かった反応である。今から思い返すと、この奴隷商、微妙に俺を揶揄っていた。

 奴隷商は先ず、特に曰くの無い標準的な奴隷を見せてくれた。その者たちは職業訓練を兼ねて、商館内での雑務をこなしていた。彼らの殆どは家族を助ける為に身売りした者や、或るいはさせられた者であり、他には傷病を理由に、それまで就いていた職業から引退せざるを得なかった者のうち、一般的な家事や労働においては支障を来さない者などが居た。しかし、そういう単純で良質な奴隷はこの時の俺の望む物ではなかった。

「もう少し撥ねっ返りの強いのが良い。居るか?」

そう尋ねると、奴隷商は俺を隣接の館へ通した。否、それは館と言うより、倉庫と言った方が適切であったろう。二階建てのその倉庫は地下と合わせて三階層になっており、そここそは奴隷の居住区であると同時に、何らかの理由で人前に“展示”出来ない商品を保管しておく場所だったのだ。各階層とも、牢のように柵で幾つかの部屋に仕切られていた。

「この時間ここに居るのは、まともに働かせられない奴です」と奴隷商。「ただ、性格に難有りで、っていうんじゃなく、もっと根本的なところに問題が有るって様ですね」

「根本的なところ?」

「へえ、片腕が無いとか、言葉が通じないとか。その分は割安に出来るんで、人に依っちゃあむしろ好まれるんですが……」

「取り敢えず見てみよう」

そうして、牢獄のような部屋を一つ一つ見て回る。俺は或る部屋の前で足を止めた。それまでに目を通してきた奴隷たちは成人していた。少なくともそう見えたし、若い者でも自分より年上ではあったろう。それに対しその部屋の少女は、自分と同年代で、しかも後で判ったが年下だった。俺が足を止めた理由はそれが一つ。まあ単純に可愛いと思ったからというのもあるが、それはおまけだ。俺は子供である、という点に、俺の目的に適う素質を感じたのだ。

 一旦、応接間に戻り、奴隷商に尋ねる。

「先程の少女だが……」

「ああ、あれは最近入荷した、耳長族の子供ですね。知り合いの奴隷商のところから引っ張って来たんですがね、村が山賊に襲われて、親を失ったそうで……。泣いてばかりいるって言うんで、私が相場より安くその奴隷商から買い取ったんですよ。親は美人だったそうだし、将来上玉になりそうな顔立ちはしている。今は使い物にならなくとも、そのうち良い商品になるだろうと思ってね。ま、投資って奴です」

子供相手にするような話ではないし、実際この時の俺はこの奴隷商の言っていることを十全に理解していなかった。しかし奴隷商が自慢気にこの話をしていたのを鑑みるに、自分が上手い商売をしたのだ、という話を誰にでも良いからしたかったのだろう。この時の俺は舐められないように振る舞っていたし、聞き役としてそう悪くもなかった筈だ。それはともかく――。

「彼女が欲しい。いくらだ?」

「へえ?」

俺の問いに、奴隷商は渋い顔をした。

「坊ちゃん、今言ったように、あれは将来、高く売ることを見込んだ品なんですよ。安くはないし、今買ったところで、あの通り子供ですから、労働力は知れてます。性格も親を失ったばかりで、面白いもんでもねえし……。悪いことは言わない、やめておきなさい。話し相手なら他にも居ます」

「誰が話し相手など欲しいと言った」

俺は望みに適いそうな者を見付けて、若干興奮していた。その為、はきはきとした口調になっていた。これが説得に利いたかも知れない。

「金なら払う、その将来の見込みとやらも含めてな。それで不足有るまい。むしろ不慮の事態や、思う程に成長しなかった際の損失を思えば、得をする取引の筈だ」

「それは、ええ、確かに……」

奴隷商はこめかみを掻いた。それ以上は特に考える素振りもなく、値段を提示してきた。

「一切負かりません。どうです?」

「良いだろう、但し後から値段を上げるなよ」

「――勿論ですとも」

あっさりと商談が纏まったことに、奴隷商は意外そうだった。もう少し吹っ掛けられそうだったか、みたいな微妙な顔をしたのを俺は見逃さなかった。その欲望を見て、俺はほくそ笑んだ。金で仕事をする気配を感じ取ったのだ。これからする依頼にはそういう気質が望ましかった。

 奴隷商は長椅子から立ち上がる。契約書の用意なり何なりをしようとしたのだろう。それを呼び止めた。

「待て、一つ頼みがある」

「なんです?」

「支払いはすぐでも良いが、引き取りは、そうだな……、一月後だ」

「はあ」

「そしてその間に遣って欲しいことがあるのだ。その仕事に対する報酬も弾もう」

「構いませんよ。可能なことならね」

「可能さ。彼女を虐待しておいて欲しいんだ」

「はあ?」

流石の奴隷商も、俺のこの発言には呆気に取られていた。大事な商品に瑕疵を加えるなど論外だし、そもそも人として虐待を要請するなど言語道断、言うまでもない。我ながら何とも幼稚な発想であり行動をしたものだと思う。

 奴隷商の白けた様子に、俺は責められるのではないか、取引を中止されるのではないか、と内心で焦った。そして取り繕うように言った。

「ああー、大きな傷が残るようなのは止してくれ。怪我はさせても良いが、痕も無く治る程度に頼む。体ではなく、心を圧し折るような感じで……」

「何の為に?」奴隷商は低い声で尋ねた。

「ふむ、最近、従順な奴隷の作り方というのを本で読んでな。試してみたいんだ」

そう、これこそ俺が個人的に奴隷を求めた理由であり、少女を気に入った理由だった。始めから従順では意味が無い。暴れられては困るが、適度に心を閉ざしてくれているようなのでないと、実験にならなかったのである。奴隷商は、呆れた目で、目の前の子供ガキを見下ろしていた。

「まさか、虐待されているところを颯爽と助けて、恩を着せようって作戦で……?」

「そうだが?」

「ま、良いでしょう」

奴隷商は擦れた社会人らしく、お客様の御依頼を飲み込んだようだった。

 約束の一月が過ぎる。

 再び奴隷商を訪ねた俺は、通された応接間にて、奴隷の仕上がりを尋ねていた。

「まあ――」と奴隷商。「身も世も無いと言った風情で……。御要望の通り、怪我は軽い痣程度にとどめております。坊っちゃんには御満足いただけるんじゃないかと……。」

「それは重畳」

「諸々の手続きは済んでおりますから、後は引き渡しだけです。早速、連れて参ります」

「まあ待て」俺は奴隷商を掣肘した。「最後にもう一仕事して欲しい。――これを」

奴隷商に台本を手渡す。

「何です? これは」

「見ての通りだ。ただ引き渡したのでは、ただ買われたようにしか思われないだろう。なので救い出されたのだということを演出するのだ」

奴隷商は俺の渡した台本に目を通すと、鼻で笑った。もはや感情を隠す気も無い奴隷商だったが、俺もこの時点で観念していたというか、大分開き直っていたので、この反応には却って安心すらしていた。変に持ち上げられるよりは気が楽だった。

「大した内容ではないだろう。そこに書かれている台詞や流れに拘らなくても構わぬ。そちらが普段通りにしているところへ、偶然、現れた私が助けに入る。そこに関して辻褄合わせの展開と台詞を演じてくれれば良い」

「仰せのままに致しましょう」

奴隷商は肩を竦めながらそう言った。

 それから俺は奴隷商と共に、少女の居る別館へと足を運んだ。少女は元々住まわされていた部屋から、地下の一室へ移されていたらしい。奴隷の世話役兼躾役を務める下男の先導で、俺は奴隷商と共に暗がりの階段を下りた。段数は少ない。下りた先の右手側にはごつい扉が設けられていて、床は狭い。先導の下男が床に立って扉の前に立つと、俺と奴隷商は階段で足踏みをすることになる。下男は俺に振り返って言った。

「では手筈通りに……」

「うむ、宜しく頼む」

小声で言い合うと、下男は扉を開けて、中へ入って行った。

 扉の向こうで燭台に灯りが置かれた気配。金属音は、部屋という名の牢屋に掛かった鍵を開ける音か。

「おい起きろ!」下男が怒鳴る。「今日の職業訓練を始めるぞ、とっとと準備しやがれ」

普段から何らかの訓練をしていたようだ。

「どんな訓練をさせているんだ?」奴隷商に尋ねる。

「へえ、大豆を皿に盛ってですね、箸を使って、別の空き皿に移させます」と奴隷商。

「それに何の意味が?」

「それ自体に意味なんざありませんよ。手間の掛かることをやらせて、適当に難癖付けて、やり直させて、それを延々と繰り返させてます」

「うわ、それって、酷いな……」

「酷いことをしろという御要望でしたから」

事も無げな奴隷商。そうこうしていると、扉の向こうから下男の怒鳴り声と、鞭の音が響いてきた。

「鞭で打ってるのか?」

俺の血の気が引いた。

「まあ、大体は脅しですが、当てることもあるでしょうね。あいつは鞭の扱いに手慣れてるんで、そうそう力加減は間違えませんよ」

「じゃあ当たっても痛くはないということか」

「いえ、肉が爆ぜないってことです」

いよいよ気分が悪くなってくる。この時に俺は、どうも自分の認識が甘かったらしいことを、漸く察し始めていた。この頃の俺は、所詮“坊ちゃん”であって、残酷であるということ、虐げられるということ、それらがどういうことか真に理解していなかった。残虐の尺度がとても浅く軽い物だったのだ。

 演技のようなもの、習癖であって、そこに本心が無いと分かっている下男の怒鳴り声が、むしろそれ故に恐ろしくなってくる。隣の奴隷商の存在感に戦慄する。自分と違う世界を生きてきた人間たちであることに気付いた。自分が守られていたことを知った。異質なものに対する恐怖が忽然として湧いて出た。逃げ出したくなったが、まだ事は済んでいない。

 扉の向こうから、何やら水音、水を激しく掻くような音が聴こえてきた。

「お、おい、今度は何をしているんだ?」

「あー、これは、水に沈めてますね、顔を」

「何故そんなことをっ?」

「何故って、傷を付けないように虐待するなら、これが一番でしょう?」

「う、確かに……」

つまり今、あの女の子は扉の向こうで溺れさせられているわけか。拷問じゃないか。早く助けに入ってやりたいが、まだ合図の台詞が聞こえない。

 まだか、まだか? まだかまだか、まだか――。

 俺の内心の焦りが、足の震えに表れた、丁度その頃合い――。

「いい加減、鶏冠に来たぜ! ずたずたに切り裂いてやるッ」

来た! 俺は大急ぎで扉を開けた。

「待て待てーい!」

無駄にでかいだんびらを持った下男が、こちらを見る。蝋燭の灯りに妖しく光るだんびらの切っ先には、怯えた表情の少女が、頭からずぶ濡れになった状態で、尻餅を突いた体勢になっていた。ただの生理的な反応として、目は俺の方に向いていたが、その瞳に俺が期待したような、救いに歓喜する光は無かった。

 それはそれとして、俺は事を進める。

「年端もいかぬ少女に何たる仕打ち! おのれ下郎、ええい、控えい、控えいっ」

「な、なんだお前は、俺の邪魔をするってのか!」

「この愚か者!」と、奴隷商がここで加わる。

「だ、旦那様!?」下男、退がる。

「このお方をどなたと心得る、ギルデバルトー家御曹司、カジーク・ギルデバルトー様にあらせられるぞ!」

「へ、へへーっ」平服する下男。「大変な御無礼を致しましたーっ」

うーん、こいつら、意外にノリノリというか……、それか仕事はきっちりこなす性質たちなのか。

 俺は少女に側寄って、その手を取った。

「もう大丈夫だ、本当にすまなかった」

そう言ってやると、少女は暫く茫然とした後、俯いて、俺の手を強く握り返した。

「この娘は貰っていく、文句有るまいな」と奴隷商に告げる。

「へへーっ!」と奴隷商が平伏する。

これで台本は終わりだ。

 その後、引き渡しを終えた俺は奴隷商の館を出て、馬車に乗り込んだ。少女は生まれて初めて馬車に乗ったらしく、物珍しそうな顔をしながら、自らの行く先を案じて身を縮込ませていた。

「自己紹介が遅れた。私はカジーク・ギルデバルトー。家ではカジーク様と呼ぶようにしてくれ。君の名は?」

契約の段階で知っていたが、話の種にした。少女は躊躇いがちに名を告げた。

「シオン。シオン・キズカ。……あの、カ、カジーク、様?」

「ん?」

「わたしはこれからどうなるの?」

「良い質問だな」何はともあれ、当初の目的に変更は無い。「お前は今日から、私の使用人だ」

 それからはまた大変だった。奴隷商の許でまともな訓練を受けられなかったので、出来ることと言えばそこいらの子供と変わり無い。仕事を教えるにしても、受けた虐待の所為で仕事を教えようとする大人に対して過剰な恐怖心を抱いてしまい、教育にならない。なので俺を介して手取り足取り仕事を教え、不安感を和らげるように愚痴や悩みを延々と聞いてやり、時には添い寝すらしてやった。一時期はまるで臆病な令嬢に仕える従者といった有り様で、どちらが主人なのかと兄上や姉上に笑われた。仕事をそこそこ覚えてくると、今度は他の家人と仲良くなれるよう取り計らった。執事や家政婦長に根回しをして、シオンには積極的に仲間を作るよう、社交について教え諭し、宥め賺して、家人の中に馴染ませた。そうやって成長を促して、一年、三年、七年と、年を経た。次第にシオンの俺への甘え癖も抜け、自律して行動出来る立派な使用人になる頃、それと同時に、優秀で忠誠心に厚い奴隷が一人、誕生したという訳だった。


――

―――


 シオンは、縋るような目で俺を見ていた。

「嘘、なのですね?」

そう言った口元は、曖昧な笑みに歪んでいる。

「本当だよ」

事実なので仕方無い。俺はシオンに、奴隷契約書を差し出した。

「これをあの奴隷商に渡してくると良い。ついでに、今の俺の話が真実かどうか、訊いてみろ。彼奴とは今でも懇意だから、普通に話してくれるだろう。あ、俺がこの土地を離れることも言っておいてくれると助かる」

シオンは、契約書を力無く受け取った。俯き加減になって、小さく唇を動かす。

「きっと、カジーク様は、私が未練無く奴隷の身分を脱せるよう、気遣って下さっているのですよね。私には解ります。だって、カジーク様はずっと一緒に居て下さって、あんなにも愛して下さった、優しいお方なのですから、そんな、そのようなことを、する筈が……」

こうも打ち拉がられると、嘘だよー、とか言ってやりたくなる。しかしこれからはシオンも独り立ちせねばならないのだから、甘やかしてはやれない。ここは厳しく接してやるべきだ。

「シオン、とっとと行け。もう俺にお前は必要無い。お前もこれからは自由に生き――」

言い切る前に、シオンが駆け出した!

「あっ、おい!」

凄い勢いで、街の方角へ走っていく。それは良いのだが……。

「おーい、荷物を忘れてるぞ、おーいっ、……茂みに隠しておくからなーっ!?」

もう見えなくなってしまった。仕様が無い奴だ。

 俺は辻道の脇の茂みに、シオンの雑嚢を置いた。

「さて、と……」

日の高いうちに移動しなければならない。俺は大きく一歩を踏み出した。





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