第11話 やまつ=かみ☆

「そうか、いきたいか」

その声は、山という山を反響して聞こえた。


俺は一体、何をしていたのだろう。

たしか、後輩から送られたメッセージを読んで、織田の山奥に……ダメだ。

思い出せない。



霧の濃い場所だ。

辺り一面は、霧のかかった山と目の前の林。

聞こえてくる水の音、田んぼの数々と遠くに見える民家。


民家だ。誰かがきっと。

歩みだして気づいた。


自分が立っていた場所は、田んぼのど真ん中で……泥濘に膝まで沈んでいた。

田んぼ作業をあまりしたことはないがわかる。


動けないし。田んぼの土はここまで深くない。

「誰かいないか?」

沈むわけでも、抜け出せるわけでもない田んぼの真ん中。

空は徐々に明るくなり、やがて太陽が見えるだろう時間。


何者かが歩み寄る。

(ひたり。ひたり。)

静かではあるが、濡れた皮膚が泥に当たる音。


そいつは、足音の割には大きかった。

向こう側の林から現れたのは、軽トラック程はありそうな……蛙とトカゲのキメラのような生物だった。


でっぷりと出た腹と後ろ足は、田んぼによくいるツチガエルやトノサマガエルを思わせて、前足と顔はワニや恐竜といった印象だ。

尻尾はなく、ヒキガエルのように田畑の上を歩く。


怪物として、普段なら認識する。

俺はまるで、のように、田んぼに埋め込まれている。


あぁ、そうだった。

俺は夏目さんを助けようとして、山肌を走ったんだった。

まんまと、罠にでも引っかかったんだ。


コイツは、きっと山の怪異で俺たちを食らうために、仕掛けた……。


「お前は、生ける者か。生きぬ者か。」

それは、蛙のような高い子供の声。

目の前の怪物が話始める。


唇のない口からは、考えられないほど流ちょうな日本語を話す。

「お前はどっちだ」

声は静かな山脈にひびいている。


「アンタは、何者なんだ。」

俺は相手の質問に答えることなく、問いかけた。

そうでもしないと、目の前の怪物を受け入れられないんだ。

は、畑ノ神ハタノカミでーす。」

まるで狂言のような、古き美しい言語口調。

気づいた。

目の前にいるのは、怪異ではなく、神。


ハタノカミ・畑ノ神・火田ノ神


「アンタが夏目さんをあの祭りに、閉じ込めているのか?」

俺は、問い続ける。

「閉じ込めたわけではない。自ら閉じこもった。」

「?」

畑の神は、目をつぶると右前足は俺に向けた。

「お前のを我が手のひらに着けよ」

どういうことだろう。

解らないが、やつの泥まみれの手のひらに、頭をつける。


――1983――

「ねえ、お父さん浅草って?」 「しばらく、人通りも少ないから母さん音楽かけてくれ」 「はーい」

      「今日の夜には着くよ、」 

          「浅草楽しみ」

          「そっか」

           「そっか」


          ―どぉぉん―


シートベルトで、支えられたからだ、血まみれのおなか。

前か上かわからなくなった感覚で、前部座席を見つめて。


変わり果てた、両親を見つめる。

割れてぐちゃぐちゃなフロントガラスと、ハンドル。

両親は、とっさにガラスの破片から我が娘を守るために、身を挺して庇っていたんだろう。


背中越しでもわかる、きっと両親は剣山のように、破片が刺さっているんだ。


少女は絶望する。

足先と指先が冷えている。


両親の決死の覚悟はむなしく、愛娘のきれいな腹に大きな破片が刺さってしまっていた。


「あっ、あっ」

涙を流しながら、すぐに訪れるだろう死を待つことしかできない。

「やっ…」

抗えないし、早すぎる死が少女を追い込んでいく。

すでに呂律は回らない。


回ったとしても、山奥では少女の悲鳴は誰にも届かない。

絶望的な状況で、少女の最後の意識がわずかな力を作り出した。

「いきたい」

ー息を吐き切るように、こぼれ出た一言。


絶望の中にある、わずかな希望。

それは、奇跡か偶然か神の耳に入ったのだ。


「そうか、生きたい逝きたいか」

少女の体が浮き上がる。


「うらの名は、畑の神……気高きヤマツカミの成れの果て」


――raison d'être――




「うらは、元は山の神……信仰のため畑の神となり、山を下り田畑を活かした。」

畑の神は、奥に見える大きな山を見つめながら、話を続ける。

「人々がうらをあの山に、返さなければ……山に帰ることはできず、この土地にとらわれなければならない。


だから、あの娘と約束を交わしたのだ。」

「約束?」

俺は、疑問を持つ。

約束は何かという部分を強調し、話を促すためにそんな相槌を打つ。

「そうだ、約束だ。

|逝きるか、生きるか、どちらかの迎えを待たせてやる変わり、迎えが来るまでの時間、うらを祀れと申したのです」

「それが、あの祭りというワケか」

お祭りというのは、単に四季や町おこしのイベントというワケではなく。

神々を祀るための、祭事で行われることは本来だ。


夏目明日夏との契約で、行われた祀りは、祭りとなり。

祭りを楽しむ無垢なる童こそ、もっとも神を祭ることにつながるという価値観なのだろう。


自然崇拝をする地域では、このような価値観はたびたび目にする。

単に子供や初潮を迎えた少女などを、祭事のクライマックスで踊らせたり、酒を飲ませ酔わせる儀式に近しいもの……それらの原始的なものがこの祀り祭りなんだろう。


しかし、疑問が浮かぶ。

「なら畑の神であれば、なぜ秋の祭りではないのか」

山の信仰……つまり山岳崇拝は、秋の終わりに畑に降りた神を山に帰すための祭事がある。


しかし、この異界も現実も、感覚的には夏だ。

寒さはなく、寧ろ明け方というのにやや熱いくらいの気温。


祭りの内容も、どこかなつまりを思わせる。

「うらを祀るのであれば、形は何でもいい。

あの娘がうらを祀るのに適した形になったまででーす。」

そうか、祀られることに意味がある。

これは、山に送り返す儀式ではなく、祀る儀式。

「山に帰りたいのであれば、なぜ夏目さんに還す祭事を行わせなかった。」

俺はさらに疑問をぶつける。

「子供は風の子、大人は火の子という。

山に帰るために、火が必要だった。」

畑の神は俺の目をじっと覗き込む。

それは、夏目明日夏の記憶の断片を見るときにみえた、瞳とおんなじだった。

「そうか、だから俺のような大人を待っていたのか」

理解した。

ようやく、すべてがつながった。

解かったんだ。


子供を迎えに来るのも、連れていくのも大人であって。

大人がやってくれば、火を焚き山へと還してくれる。


「わかった。 俺は何をすればいい。」

そういったとたんに、はまって抜け出せなかった泥濘から、あっさりと抜け出せた。

「落ち葉を集めて、鳥居の前に二つの山を作り、燃やしてくれ。」


そういって、畑の神は右前足で、廃集落の神社のある場所を指さす。

「一番手前の門でいい。」


そういうと。畑の神は泥濘の中に体を埋めた。

「神を返せばいいんだな」


――時間はいくらかながれて――


落ち葉を集めまわった。

夏だというのに、高揚した落ち葉が散乱している。

集め切るまでに、そう時間はかからなかった。


それを門の足元、両足それぞれに山を作り、ライターで火をつける。


炎は現実では考えられないほど、大きく燃え上がると鳥居に映っていく。

炎の色は、赤から黄色に変わる。


「これでいいんだな」

そういって、何となくで手を合わせた。

日本人特有の宗教観で、俺なりの我流で。

神を祀り、送り出そうとする。


【祀るのであれば、形は何でもいい】


形よりかは、気持ちなんだろう。

手前の鳥居が燃え、縄を伝って山奥まで火が移っていく。

暖かい。


そう思ったとき、後ろから声がする。

「ありがとう。」

蛙のような声。


畑の神だ。


「これでいいんだな?」

「そうだ。感謝する。」

神は、懐かしいものを見るような眼をして、燃える鳥居を見つめる。


「見返りに、これをやろう。」

そういうと、畑の神は土の中から大きな木箱を取り出した。


「これは?」

木箱を持ち上げると、中に何か重たいものが、入っていることがわかる。

「縁というものは、魂の通貨だ。」

「は?」


訳が分からない。

ただ、神はそう呟くと鳥居の奥へと進んでいく。

木箱を持ち上げた俺を見ることもなく、山の奥へと進んでいく。


――円――


気づくと、そこはあの神社であった。

俺は木箱を持ったまま。


再び霧の濃い、早朝のような空気間の場所へと飛ばされたんだ。

「ここは?」

畑の神が向かった先……俺はとっさに鳥居の向こう側、石畳の階段の下をのぞく。

火は上がっていない。


また違う空間に、飛ばされたんだろうか?

「こんどは……」


――レゾン・デートル――


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