第十話 夏目 明日夏

明け方の生ぬるい風が俺たちを撫でている。

どんよりとした光が、民家からこぼれている。


彼女の手を引っ張り、黒煙の元へと足を進める。

廃墟だった集落を越えて、山道へと出た。

黒変は山道の先にある。


嫌な予感がしていた。

あの時のガードレール……


山道を歩く。

夏目は、頭痛がするのか頭を抱え始めた。


――そうか、行きたいか――


「私は……」

暗い声色で、少女は話始める。

「私は……行きたかった」

ラジオのようなノイズが混じって聞こえだす。

「えっ?」

ノイズが大きく、ところどころ聞き取れない。

だから聞き返した。


そこには、誰もいなかった。

つないでいた手も、いつの間にか感覚が消えて。

最初から誰もいなかったかのように、薄明るい山道と田畑が見えた。

冷たい風を感じる。

7月だというのに、この風はまるで高西風たかにしのようだ。


ま祝福された暖かい時期が過ぎ去って、孤独が残るように……この異界は静かだった。


「そうか……彼女は――」

俺は歩き出す。

黒煙のほうへ。


彼女……夏目明日夏は、元居た場所にいるハズ。

車の中……あのガードレール。


彼女は、家族と浅草に……。


ソアラがガードレールを突っ切っている。

おそらく、山道のカーブを曲がり切れなかったんだ。


生々しいタイヤ痕がそれを教えてくれている。

そんな気がするんだ。


「夏目さん」

ガードレールの先を見つめる。

茂みの先、大きな杉の木に車は衝突していた。

黒煙を上げている。


俺は慌てて車のもとに、近づいた。

遠目から、どんどんと……明確に見えていく。


フロントガラスが顔や喉元に刺さり、すでに息絶えた両親と後部座席でぐったりとする彼女夏目・明日夏の姿が……


「夏目さん!」

衝撃でドアが開かないが、不幸中の幸いだ。

窓ガラスが割れている。


彼女を窓ガラスから抱えだすと、急いで山道へと戻る。

「くそっ」

後ろを見ると、車は一気に燃え始める。

潤滑油か何かに、引火したんだ。


「畜生がよぉ」

足場が悪い中、少女を抱えた男が山道に向かって走る。

爆発する。


ガソリンに火があたれば、西部警察の車並みにでかい爆発が起きる。

「私は……」

気づまみれの少女が口を開く。

間違いない、彼女は死の直前に――


後方から大きな音が鳴った。

例える必要のない大きな音……鼓膜どころか全身の細胞が震えている。

視界の隅が明るくなって、背中から熱を感じる。

「んぁっ」

その爆発に気を取られた。

足を滑らせる。


こんな急斜面の山で、足を滑らせてしまえば……

「私は……浅草に行きたかった。」

彼女がそう呟く。


爆風と体勢を崩し、体中の力が抜けていくとき……やけにはっきりと聞こえ始めた。


そして、時間が止まった。

空気は一瞬で滞り、世界中の男が消え去った。

かすかに聞こえる耳鳴りと彼女の声だけがクリアに聞こえる。



そして、世界はまぶしい光……まるでマグネシウムをなん十個も炊いたような光に、包まれる。



「そうか、生きたいか」

誰かの声が聞こえだす。

まるで山彦のように反響する大きな音……

あゝこれが……









――神域――


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