第3話
私は山が怖い
私が山というものに漠然とした恐怖を抱いたのは小学生の頃
祖母の家に遊びに行ったときのことだった。
祖母の家があるのは山間の谷にできた小さな村で周囲が山に囲まれているから夏は暑く冬は寒いというエアコン生活に慣れた私からすればつらい環境だったがそれでも祖母に会えるというだけで私には天国のように感じられた。
その年の夏は特に暑く、夜になっても収まるどころか寝苦しさは夜が深まるほどに増すほどであった。
いい加減に目を瞑って布団の上でうごめくのにも飽きたころ、ふと庭先に出てみようかと思いついた。
このころはまだ夜中に出歩くことを許されておらず、みんなが寝ているはずの今なら自由に歩き回れると思ったのだ。
その日は満月で庭はどこかひんやりとした明かりに照らされて昼間のそれとは別世界のようであったことを覚えている。
私は5分ほどあてもなく庭をさまよったところで、家の裏手に回った。
家の裏には小山があった。
その山は代々うちの家系を守ってくだっさている神様がいる、と祖母から聞かされていた。
毎年大晦日になると山頂にある社へ行き、社をきれいに掃除した後にお供え物をするらしい。
私はまだ小さいからと社まで行くことを許されず祖母の家でふてくされていた。だが今ならだれにも邪魔されず社まで行くことができるのではないかと思い私は山頂まで続く石段を上ることにした。
石段を半分ほど登ったところで山頂にある社の屋根部分が見えてきた。すでに足の筋肉には乳酸がたまり足を上げるのもつらくなってきたところだったが、私はさあここからだと気合を入れなおし一歩踏み出した
ぼちゃん!
「きゃっ」
突然の物音に私は心臓を鷲掴みされたかと思うほどビビり散らかした。
ちぎれんばかりの速度で首を横に振るとそこには夜を切り取ったかのような真っ黒な猫が月の光に照らされていた。
猫の隣には直径1mほどの小さな沼があった
沼には大きな波紋が浮かび上がっており、どうやら先ほどの音はこの沼に何かが落とされて出たものらしい
心臓はいまだ早鐘を打ちながらも私はその黒猫から目を離すことができなくなっていた。
闇夜に浮かぶ金色の瞳が私をまっすぐ射貫いていた。
スゥと黒猫の瞳が鋭くなり、その視線に私は何か責めるような意思を感じ、自身が祖母を裏切って山に登っていることに猛烈な後悔が襲ってきた。
にゃ~お
私の表情から自責の念を感じたのか猫が短く鳴いた
その鳴き声に徒競走のスタート音替わりに私は勢いよく石段を下り始めた。
先ほどまでの好奇心や足の疲れ、黒猫への恐れなど頭の中から吹き飛んで、ただ祖母の胸に飛び込んで謝りたいという一心で足を前へ前へと送り、最後の数段など半分転がり落ちるように駆け降りた。
「うわあああああああん」
私はぼろ泣きで家に駆け込み、祖母の寝ている布団に潜り込んで泣きながら謝った
ここら辺の記憶はすでにあいまいで気が付いたら朝になっていたことだけは覚えている。
翌朝私はこっぴどく怒られ、それに加えて階段を駆け下りる際に足をくじいてしまったらしく、祖母の内にいる間家の外から出させてもらえなかった。
祖母の家から帰る車の中で両親に黒猫について尋ねてみた。
両親は言いにくそうにしながら、私が泣きながら石段を降りた翌朝、つまり私が両親からこっぴどく怒られた後に石段の下で一匹の黒猫の死体が見つかったのだという。
私はその黒猫が本当にあの黒猫なのか気になり、確かめるために死体となった黒猫の目が金色だったがどうか聞いた。
するとまたもや両親は言いにくそうに、
その黒猫には頭が無かった とだけ答えた。
あのとき責めるような視線に心底怖がっていた私だったが、もしかしたらあの黒猫は私を助けるためにあの場にいたのではないだろうかと思うようになった。
そのように思ったのは訳がある。あの日の夜、なぜ私以外の家族は起きていなかったのか、あの日私の両親は隣の布団で寝ていたのになぜ私だけが暑さに苦しみ寝ることができなかったのか。なぜ隣で寝ている娘が布団から抜け出し、ましてや庭を歩き回っているのに誰も気づかなかったのか。
もしかしたらあの社にいるらしい守り神とやらに私は呼ばれていたのではないだろうか。私はそう思わずにはいられなかった。
そして山に近づくたびにその大いなる存在が私を狙っているような感覚に襲われるのであった。
真鍮の蠅 @skri
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