第8話 - ヨウコ、来襲

ユイと住み始めて1週間ほど過ぎた日、二人で買い物に出かけた。

色々と買い込んで家に戻った数分後、チャイムが鳴った。


液晶画面には警察官と女性が写っている。

「渋谷警察署のものです。伊藤誠さんでしょうか?」

「はい」

「そちらに、相沢結さんは居ますか?」


買い物の後の訪問ということは、ごまかすことは難しいだろう。

玄関を開けた。



「原といいます」警察手帳を見せられた。そこには確かにのっぺりとした同じ顔が写っている。

もう一人の女性は無言で立っている。

雰囲気は似ていないが、顔立ちはユイに似ている。


原が続ける。

「捜索願が出ておりましたので、結さんにお聞きします。こちらに居るのはあなたの意志でしょうか?」

「はい」

ユイは答える。


「正直にお答えください。彼に言わされている訳ではないのですね」

「はい」

「承知しました」

原は一緒に来た女性に向き合う。


「娘さんは自分の意志でこちらにおりますので、行方不明者ではなく家出人扱いとなります。外傷もなく事件性は無いようですので、後はご当人達で話し合っていただく形となります。必要であれば同席しますが」

「いえ、ここまでで結構です。捜査ありがとうございました」

ユイの母親はきっぱりと言う。


それでは何かあれば相談ください、と原は名刺を皆に渡して去っていった。



「伊藤さん、ですね。相沢洋子と言います。娘が世話になりました。では連れて帰りますね」

にこやかに、でも畳み掛けるように話しかけてくる。


「僕はユイさんの意思を尊重します」

「なるほど、尊重。丁寧な方ね。でも娘の意見を聞く必要はありません。考える力が不足している人間の言葉なんて価値ありませんから」

「そうは思えませんが」


「ねえ伊藤さん。あなたは賢そうなので分かってくれると思っていたのですが。勘違いでしょうか。ああ、ちょうど良い質問がありました。ここに娘が居ると分かったのは何故だと思います?」


それは警察を見た時に考えていた。

「娘さん名義の携帯電話を僕のクレジットで買ってしまったからですか」


「やはり見込んだとおりですね。まあそこで現金を使わなかったことは減点ですがカード社会では仕方ありませんわね」

「次は気をつけますよ。あと、彼女が望むのであればこれからも会わせていただきたいのですが」

「あら、娘だからといって私の所有物ではないので許可は不要ですが、あんな愚か者に関わると不幸になりますわよ。ああ、失礼しました。迷惑料をお渡し忘れていましたね」

そう言って分厚い封筒を机に置いた。


「結、帰りますよ」

彼女はびくっと震えた。そして母親に付いていこうとする。


伊藤はユイに言う。

「ここに居たいのであれば、帰らなくてもいいんだよ」

ユイが何か言おうと口を開くと母親が止めた。

「結、同じことを何度も言わせないでくれる。頭の悪い人間は黙ってなさい。あなたの言葉には何の価値もないし、あなたの選択はいつも周りを不幸にするのよ」


ユイは口を閉じる。この呪いをずっと受けてきたのだろう。


伊藤は口を開く。

「ずっと彼女を家から出さないつもりですか?」

「勘違いされているようですが、これは世間様のためでもあるのですよ」

「彼女が周りを不幸にする、は思い込みでは?」

「いいえ、だって事実、娘は姉を」


「母さん」

ユイが大きな声を出す。初めてのことだ。

「だからあなたは黙っていなさいと言っているでしょう。疫病神であることを自覚しなさい。…まあいいわ。伊藤さんにはお世話になりましたから今回は義理立てしましょうか。結、あなたは自分の意思で家に帰る、でいいわね」


ユイは無表情で頷いた。

この場は伊藤の負け、ということだ。


「彼女の荷物を渡します」

「あら、ありがとう。お願いしますわ。ほら結、あなたが動かなくては。まったく気が利かないね。そうだ、買っていただいた携帯電話は置いていきなさい。前のは勝手に伊藤さんとの連絡に使ったから壊してしまったけど、あなたには必要ないことが分かったでしょう」


ユイは無言で部屋に行き、ボストンバッグに元々持っていた荷物を入れ始める。

洋子は娘の挙動に目を配っている。

伊藤も準備を進める。



荷造りは数分で終わり、別れの時が来た。

「ではお世話になりましたわ」

玄関で洋子が言う。

「迷惑は受けていないのでこちらはお返しします」

伊藤は封筒を返す。手切れ金の意味があることは伝わっていた。

「そうですか、ではお言葉に甘えて」


次にユイへ文庫本を渡す。

「あと、借りていた本を返すよ。カバーを少し汚してしまってごめん」

ユイは戸惑いながらも受け取った。


洋子が口を挟む。

「あなたが本?…アルジャーノンに花束を、良い本ね。ではお邪魔しましたわ」

そう言って洋子は娘を伴い、あっさりと出ていった。


ユイは何も言葉を出さなかった。

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