第6話 - 黒髪の尋ね人
望みを持てば、また失う苦しみがあるかもしれない。
しかし何も試さなかった後悔には替えられない。
伊藤は、ユイに会える手立てがないか考えた。
まずは契約結婚募集サイトやメールアドレスで連絡してみる。
そして18時頃、渋谷のハチ公レリーフに向かった。
いつものように混んでいる。
ユイの姿を探して回る。いない。
前と同じ辺りに立ち、周囲を眺める。
夜が深まり人がまばらになった頃、伊藤はその場を去った。
彼女からのメール返信もなかった。
次の日、仕事を早上がりして17時頃から同じ場所に立つ。
周囲を歩き回ってユイを探す。
また、出会えずに帰る。
次の日、雨が降る。
ほとんど人がいない中、伊藤は傘を持ち立ち続ける。
ユイはいない。
次の日、ユイに似た女性に近づいて不審がられる。
次の日、警察官から声をかけられる。
次の日、伊藤がハチ公レリーフに着いた時、ユイが座り込んでいた。
見るからに憔悴し、服もよれていた。
「ユイ」
顔を上げた彼女は伊藤を見て、涙を溢した。
その様子が、出会えた嬉しさをかき消した。
「とりあえず、僕の家で休もう」
首を振る。
「誰かと待ち合わせしているの?」
また、首を振る。
「何も聞かないから、おいで」
手を伸ばす。
彼女はその手を弱々しく握った。
タクシーをつかまえ、目黒のマンションに向かう。
彼女は小さめのボストンバッグしか持っていなかった。
まずはお風呂に湯をため、彼女に入ってもらう。
彼女が着れそうな服を選び、声をかけてタオルと一緒に置いておく。
冷蔵庫を開け、あり物で味噌汁と混ぜご飯を作る。
彼女が風呂から出てきた。
表情は暗いが疲れは少し取れたようだ。
「ご飯、食べる?」
彼女は頷き、ゆっくりと食べはじめた。
食事の後、ベッドに案内する。
「おやすみ」と電気を消して部屋を出ようとすると、ユイが裾を引っ張った。
一緒にベッドに入る。
髪を撫でながら、「ゆっくり休んで」と囁いた。
しばらくすると彼女は寝息を立てはじめる。
伊藤も、夢の中に沈んでいった。
朝、目を覚まして見ると、ユイはまだ寝ていた。
そっとベッドから出る。
仕事を休む連絡をし、チームに業務の引き継ぎをした。
コウには「彼女にもう一度会えた。助言、助かったよ。ありがとう」と連絡した。
彼女に恋い焦がれる気持ちは凪のように引いていた。
嫌いになった訳ではない。
ユイを自分のものにしたい欲求は消え、彼女の不幸を取り除くことを考えている。
彼女が起きた。
周りを見渡すと、うつむいて荷物をまとめようとする。
「ユイ」
優しく腕に触れる。
止めることはできないけれど、また会えなくなることは避けたい。
「今、服を洗濯するから終わるまで待って」
彼女は自分の服装に気づき、頷いた。
洗濯機を回している間、彼女に質問をする。
「また会うことは難しい?」
無言のままだ。
「会いたくない?」
彼女は急いで首を振る。
「あんな始まり方だったけど、ユイのことが好きなんだ」
彼女は驚き、顔を伏せた。
「だからできるかぎり、会いたい」
鞄一つで座り込んでいた昨夜の姿を思い出す。
「もし行くところが決まっていなければ、しばらくここに居たらいいよ」
胸の中で彼女は逡巡している。
「契約の延長だと思ってさ」
彼女はしばらくしてから、小さく頷いた。
一通り室内の説明をした後、お金を入れた封筒を渡す。
「取り敢えず今月分として」
まとまったお金を渡すことで、彼女も変に恋人扱いされなくてやりやすいだろうと考えた。
「一人で居て何か困ったら、メールか何かで連絡してね」
彼女は恥ずかしそうに言った。
「携帯、ないの」
事情を聞きたいが、飲み込む。
今はお互いに前を向いていたい。
「今日、買いに行く?案内するよ」
彼女は頷いた。
無言になった二人に、洗濯機の回る音がかすかに聞こえる。
ユイは伊藤の手を取り、胸に当てた。
「契約、だから」
顔を赤らめて彼女は言った。
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