第5話 - マコト、働く

伊藤はユイのメールをずっと待ちながら、何か事情があるのだろうと考えた。

しかし数日経ち、彼女はもう会うつもりがないのだと理解した。


辛かった。

そして、彼女を好きになっていたことに伊藤は気づいた。

今まで自分の恋愛とは「好きになってくれる人を好きになる」だった。

改めてその浅さに情けなくなる。

心ない言葉で相手の気持ちを囲い込みながら、自分の中には決して受け入れなった。


ユイの、人そのものを知りたい。

知って、受け止めて、一緒に過ごしたい。

自分の力で喜ばせたい、笑わせたい、幸せにしたい。

ただそれは、もう叶わない。


でも、と言い訳たちが慰める。

彼女を理解できない気持ちを、恋と勘違いしていただけだ。

相手の何らかの不幸を想像して勝手な庇護愛を持っていたに過ぎない。

あのまま続けていたら、長くお金を引き出されて終わっていただろう。


そうかもしれない。

しかしそれらの理屈は何の救いにもならなかった。



他の誰かが相手だったら、連絡が途切れても傷つくことなく次に向かっていただろう。

しかしユイと出会ってしまい、人が「恋」と呼ぶ感情が伊藤の中に生まれてしまった。

赤子が覚えた初めての感覚のように、愛情と執着が芽吹いた。

それが生長して木になり、風雨にさらされて傷付いた後の別れならまだ良かった。

ユイとの断絶は、瑞々しい若葉を根本から刈り取ってしまったのだ。



伊藤は仕事に集中した。

心を閉ざしたまま、機械のように行動し、会話を組み立てた。

しかしどれだけ心を無いものと扱ってても、理性の皮一枚めくると感情が渦巻いている。

漏れ出さないよう押し込み、壁を塗り立て続ける。

今までにない営業成績を出しながら、伊藤の温かさはハラハラと剥がれ落ちていった。


「先輩、メシ、行きましょ」

働き続ける日々の中、コウが誘ってきた。

「すまない、仕事があるんだ」

「じゃあ仕事終わるまで待っているっす」

いつにはなく、強い意思を感じた。


顔を上げた。

「…何か相談か」

「そうっす」

「5分待ってくれ」

業務に区切りをつけると、彼と外に出た。

昼頃と思っていたが夕方に近くなっていた。



適当なレストランに入り、目に付いたものを注文した。

「それで何かあったのか?」

「先輩、俺にできることありますか」

コウは普段の声で言った。


何も返せない。

心のどこかにヒビが入る。気持ちが、漏れてしまう。

「事情は聞きませんけど、何でもいいので手伝わせてください」

「本当につまらないことなんだ」

コウは何も言わない。

「ある人を好きになったと思ったら音信不通になった、ただそれだけなんだ」

「それは辛いすよ」

「そうか」

「っす」

血が通い始めた気がした。


「お前みたいになりたかったよ」

素直に言葉が出てきた。

「そんな。どこがいいんすか」

「ちゃんと真摯に周りと向き合っているところに、ずっと憧れていたよ」

コウは珍しく黙っている。

伊藤は静かに続けた。

「でも、この自分でやっていくしかないんだよな」

「俺、先輩のこと尊敬していました。落ち着きとか、仕事できるところとか。でも、そういうものではないんすね」

「だな」


久しぶりに食べた料理は温かった。

契約のことは避けて、コウに事情を伝えた。


「彼女に対して、特に嫌われることをした訳ではないんすよね」

「無理に話させようとしたのが悪かったかと思っているんだ」

「でもそこで止めたので関係ないと思うっす」

「そうだといいが」


「連絡ないのは、携帯を壊してしまったとか、事故にあったとか、色々理由はありそうすね」

「確かに」

「先輩、まだ好きなんすよね」

「ああ」

「じゃあもう少し、諦めるのは先伸ばしにしてもいいかもっす」

「そうしてみるよ…コウ、ありがとう」


伊藤は久しぶりに微笑んだ。

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