第34話 王と裏切りと
サリーザが立ち上がって男を見下ろしていた。
「サリーザ……? お前、なにして……」
「股間を膝で蹴ってやったわ。男はそこが弱点なんでしょ? 柔らかい感覚がして、それを潰したと思うけど……、震えてるってことはまだ死んではいないみたいね」
「うわー……」
想像しただけで痛みがやってくるジンガーである。
弱点を膝で蹴られた男は、悶えて動けそうになかった……ということは、今ここでサリーザと二人で相手の男を拘束し、部屋のクローゼットにでも押し込んでしまえば、正体がばれたことを隠蔽できる……?
サリーザとジンガー、二人で見合い、考えていたことを共有する――そして。
『今しかチャンスはない(わ)!』
男を拘束するため、近くにあった工具を握る二人が飛びかかる。
相手は一人、こっちは二人だ……、数の利で、相手の無力化は簡単にできると思っていたが……、不利を覆す、一発逆転の手がまだある。
プレゼンツ。
頼れる武器は、こちらの有利を覆す脅威にもなるのだ。
「……こっちはお前らと違って、敵対勢力を相手にする『戦闘員』だ。いつでもどこでも、戦える準備はしているさ。
まあ、お前ら二人ごとき、道具に頼らずとも制圧できるが、ここは恐怖を植え付けておこう――、俺のプレゼンツを紹介するぜ」
作業服の内側から伸びる黒い影が、ジンガーとサリーザを拘束する。
自在に動くロープかと思えば、本当に生物の肉で『肉付け』されたそれは、まるで触手のようだった。……万能型プレゼンツ。
男は知る由もないが、ジオ=パーティへ提供されたプレゼンツの自立型と言えばいいのか? 手元で扱う自由度は減るが、その分、自動追尾機能がついているため、標的を定めてしまえば、近づいた標的をすぐに拘束する。
部屋が狭いため、どこへ逃げようと拘束範囲内だ。
「なによ、これ……ッッ、締まっ、って……ッ」
サリーザに巻き付いた触手が彼女の体を締め上げる……、まるで蛇のように――。
骨まで砕ける余裕がまだあった……が、男の中でまだ私的利用の躊躇いがあるからか、圧迫して壊すことには踏み切れないようだった。
ジンガーを壊さないのは、土竜族という仲間意識ゆえに、だろう。
「ふ、二人ともっ」
「君も、お望みなら締め上げるけど?」
「――フィクシーに手を出すな!」
分かりやすく初めて見せたジンガーの敵意に、男も覚悟を決めたようで、
「よし、このままクランプ船長に報告をしよう――どんな結果になるか、楽しみだ」
「その必要はねえよ」
扉の隙間から――声よりも先に、『見られていること』への恐怖が体を固めた。触手によって拘束されている以上に、内側から指先まで、微動だにできないほどの、恐怖による束縛……。
隙間から覗く鋭い視線が突き刺さる。
蛇に睨まれた蛙の気持ちがよく分かった……本当に動けない。悲鳴も上げられない。パニックにも……。思考が停止し、流れる時間と光景を、ただ呆然と見つめることしかできなくて……。
絶対的な強者が扉を開け、部屋に入ってくる。
彼からすれば小さな扉だった……、引っ掛かりはしないが、それでも頭を下げなければ入れないほどの大男である……。
現、土竜族の船長であり、王の――クランプ。
対立中の兄妹の、片割れ……兄の方だ。
「え、クランプ船長……? どうしてここに?」
「あー……翼王族の匂いがな……この部屋からしたんだよ」
「はぁ!? わたしっ、臭くないし!!」
「臭いとは言ってねえだろ。種族が違えば体臭も違うもんだ。良し悪しじゃねえんだ、ただ滅多に嗅がない匂いが漂ってくれば、確認するだろ……。
異物が混じってる、とサインが出ているようなものだからな」
……ということは、だ。
どれだけジンガーがサリーザを匿っても、早い段階で気づかれていたことになる。
船員を誤魔化せても、今、こうして匂いでばれているように、船長であるクランプの鼻は誤魔化せなかったのだ――。
「翼王族を匿ってやがったのはこいつらか……ジンガーと、フィクシー」
末端の土竜族の名前を覚えているのか……? それとも事前に目を付けられていたのだろうか。いつ、どの段階で、怪しいと思われていたのだ?
それも強者にしか分からない、『匂い』なのだろうか。
「船長、こいつらは翼王族を匿っていた罪人です。罰するべきですよ!
……それに、もしかしたらこの翼王族も、使用済みかもしれませんが……」
「バカでしょあんた! 誰がジン……っ、この土竜族なんかと!!」
……別にいいけれど、ちょっと『むっ』としたジンガーだ。
サリーザがジンガーとの近い距離感を隠したのは、匿っている場面を見られた以上、不要な配慮だったかもしれないが……彼女なりに考えた結果だろう。
「どうでもいい」
と、脇でわーわーと騒ぐ部下の声を一蹴したクランプ。
「離してやれ。……安心しろ、拘束を解いたからと言って、解放する気はねえよ」
船長からそう言われれば――最初から拒否する気はなかったものの――従わないことはできない。実際の肉で肉付けされたロープを基にしたプレゼンツが、サリーザとジンガーを解放する。
ずるずると地面を這う触手が、男の服の内側へ収まっていき……、
「ご苦労だった」
クランプの労いの言葉に戦闘態勢を一瞬だけ解いた男だった――油断、ではないだろう。
警戒は怠らなかった、が――まさか目の前ではなく、横からくるとは想定していなかった。
大きな手が、船員の首裏の襟をつまみ――大きく肩を回して振りかぶる。
そして、
「――フィクシー、窓を開けろォ!!」
怒号に両肩が跳ねたフィクシーだったが、土竜族としての本能なのか、王の言葉に『従わない』ことはできなかった。
どれだけ怯えが勝っても、恐怖で動けないということはなく、言われてすぐに近くの窓を開けた――窓の外は、上空である。
雲の上。
飛空艇を離れてしまえば、掴まるための
「船、ちょ」
「悪いが先に下で待ってろ――お前はなにも見なかった……いいな?」
振りかぶったクランプが、掴んでいた部下を窓の外にめがけて――ぶん投げたっ!
球体のように回転する船員は、窓の枠の中に綺麗に収まり、するりと抜けて上空へ投げ出された――。
手を伸ばしても掴めるのは空気だけである。彼はもう、戻ってはこれない――
「……いや、まだね」
しかし、寸前でギリギリ、彼の服の内側の触手が、窓の縁をかろうじて掴んでいた。
放っておいてもやがて外れ、地上へ落下するだろうが……、それを待つ必要もないわけだ。
窓際にあるベッドに膝をつき、窓の縁にしがみついている触手のその……指? を、サリーザが丁寧に一本ずつ、剥がしていく。
さっきまで苦しい思いをしてきた腹いせに、彼女が進んで手を伸ばしたのだ。
「――船長!? あんた、なに考えて――」
「うるっさいわね。土竜族なんだからさっさと落ちなさいよ――、
理由は知らないけど、裏切られたのはあんたの方なのかもね」
暴風を受け続ける旗のように、ばさばさと体が振り回されている男へ、サリーザが告げた。
「地上で待ってなさい、と言いたいところだけど、戦争の準備を終えた人間があんたをもてなしてくれるかしら?
人質にはならないだろうし……、実験動物にされるのが一番マシな末路じゃない?」
実験動物……もしくはストレス発散のために遊ばれるおもちゃか。
翼王族とは違う扱いをされることは明白だった。
……それから。
最後の触手の指が、剥がされた。
「やめ、」
「わたしをいやらしい目で見てきたあんたを、助けるわけないでしょ」
サリーザの冷たい瞳。
……野太い悲鳴が、遠ざかっていく。
雲の中に落ちた彼の姿は、もう探しても、見つけられなかった――。
自力で戻ってくることは、ない。
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