第2話 もう一人

「はぁ……はぁ…はぁ」

 私は広く薄暗い森の中を走っていた。

 なんでこんな事になったのか。どうしてここにいるのか。

 深く考える時間も無く、ただ無我夢中で走っていた。私の中にある、恐怖に従って。

 あれに捕まったら死ぬ。

 本能がそう告げていた。

 薄暗い森の中を一人、知らない誰かに追いかけられて、私はほとんど意識のないまま走り続けた。


――怖い。

――逃げなきゃ。

――死にたく…ない………


 あれからどれだけの時間走り続けて居たのか。

「あ…れ?」

 突然森が開けた場所に出て、踏み込んだ足の違和感に顔を上げた。

 今までの柔らかく歩きにくい森の地面では無い、固く舗装された人が通るための道。

 そして、目の前に凛と構えた大きな門。

「大きな館…」

 整備され、見るからにお金持ちが住んでいそうな館が森の奥に建っている。不思議に思いその門に近づくと、ギギギギ……とひとりでに門が開いた。

 私を招いているの……?

 その時、ハッと思い出し慌てて後ろを振り返る。

 私は追われている。こんな所で止まっていてはいけない。

 思い切ってその門を通り中へと入る。

 綺麗な花が咲いたお庭。噴水には澄んだ水が流れている。とても丁寧に育てられている。風に揺られる花たちは、どれも綺麗に咲き誇っていた。

 まっすぐ歩いていくと、館の入口があり、無造作に……というかわざとなのか、その扉が開いていた。

 辺りには誰もいない。

 さすがに黙って入るのは躊躇われる。

「ご、ごめんくださーい……」

 扉まで近づいて呼びかけてみるも反応はない。

 ゆっくり顔を出して中を覗く。

 誰かがいる様子もない。

 けれど、門を開けたと言うことは、私が入って来る所は見ていたはず。入ってもいい……ってこと?

 恐る恐る警戒して進む。

 立派な館にはたくさんの部屋があり、廊下も見たことの無い高そうな装飾が施されていた。

「すみませーん……誰か」

 呼びかけても返事は無い。

 このままだと不法侵入になりかねない。

 私は左側の一番近くにあった扉をノックしてみた。

「………」

 反応はない。ノブを回してみる。

 ……開かない。鍵が掛かっている見たい。

 他の部屋もいくつか調べてみる。……やっぱり開かない。

 全部調べてみてもいいけど、ここまで物音を立てても反応が無いのであれば、こちらの部屋には誰もいないのかもしれない。

 多分、反対側の通路も同じなんだろう。

「わっ、回った……」

 適当に掴んだドアノブ。今までは鍵か何かで開かなかった扉がほんの数ミリ動く様子を見せた。

 しかし、何かが突っ変えているようで扉はそこから先には進まない。

「鍵が無い部屋もあるんだ…」

 その事実を知り、その隣も確かめる。

 すると、ここは普通に開いてしまった。

 不安になりながらゆっくりと入ると、そこは大きく長いテーブルと、等間隔に置かれた椅子がある、広く横長の部屋。

「食堂かな」

 白いテーブルクロスは漫画でしか見た事がない。

 やっぱりお金持ちの家?

 テーブルの下になら隠れられそうではある。

 けど、もしもあれがこの館に来てしまったら、こんな場所、簡単に見つかってしまう。

 一階には隠れる場所も人もいなかったので、少し急ぐように二階に駆け上がった。

 二階もほとんど変わらず、同じような部屋の配置。

 またほとんど開かない部屋ばかりなんだろうか。

 違う点があるとすれば、廊下の一番奥。

 一階には部屋があった筈なのに、謎の空間になっている。ここからだとよく分からないけれど、もしかしたら奥に続く通路なのかもしれない。

 確認のために私は廊下の端まで歩く。

 窓の外は不気味なほど暗く、森の木々が呪いのようにザワザワと揺れている。

 あれは、まだ来ていないんだろうか。

 それとも逃げ切ったんだろうか。

 不安になりながら端の空間に辿り着いた。

「ひ、広い…」

 実際に歩いてみて分かる。この館の広さを。

「あっちは後で……」

 この館の人を探すため、来た道を戻る。

 少し足早になって廊下を歩く。

 ずっと独りだ。不安が恐怖に変わっていく。

――その時。

 私の視界の隅に映ったものを見て、私は発狂しそうになって慌てて自分の口を塞ぐ。

(やっぱり、やっぱり追ってきてたっ)

 それは私が逃げてきた者。

 恐怖がぶり返す。

 足が震える。

(隠れなきゃ)

 逃げるにしても、一階に居られてはここから降りる事は出来ない。慌てて一番近くの部屋に入ろうと動いた。

「…?」

 その時、足で何か固いものを踏んだ感触があった。

 しかし、足元を見ても何も無い。

 しっかり確認している時間は無かった私は、気の所為だと思い扉のノブを捻った。

(開いた…)

 少し安心して中に進むと、そこは客室のような家具の揃った一室だった。扉を閉め、扉の外の音に聞き耳を立てる。無闇に動いて音は出せない。

 しばらく緊張状態のまま、扉に耳を当てて止まっていた。すると、

「〇〇ー?いるのかー?…って、酷いなこの階は」

 嫌な声が聞こえた。

 背中が震えるのを感じる。

 か、隠れなきゃ…でも何処に?もうこの部屋からは出られない。隠れられそうな場所は…。

 部屋中を見渡して、唯一隠れられそうなクローゼットを見つけた。

 私は急いでそこに入り扉を閉める。

 口元を手で塞いで、息を殺す。

 心臓の音がやけにうるさく動いている。


ギギィ……


 私が入ってきた時よりも重く汚い音で扉が開いた。

 扉は壊れていなかったはず。

 別の場所に入口があったのか。

 そんなことまで考えている余裕は、今の私には無かった。

 鼓動が早くなり、嫌な汗が垂れる。

「ここにもいないか…」

 そう呟くのが聞こえた。

 私は少し安心し、ほっと肩をなでおろす。


ガシャンッッ


 次の瞬間ものすごく大きな音が、真上の天井で響く。何かが倒れた音。安心したばかりの心臓が締め付けられる。

「上かっ」

 男は少し動揺した声を発して部屋を出ていく。

「はぁ……はぁ…」

 私はしばらくその場を動けなかった。

 恐怖で震えた足と、息が詰まった喉を落ち着かせるため。けれど同時に、早くここから出なければと焦る気持ちが募る。

 呼吸を整えて、無理やりに足を動かして何とかそこから這いでると、一目散に館の出口を目指した。

音だけは立てないよう、慎重に。

 階段を駆け下りて、目の前の扉を強く握る。

「っ…!あ、あかない?!どうして?」

 入ってきたはずの扉は、何故か鍵がかかっていて開かない。あれが鍵をかけたの?

「そんなっ……」

 しかし、ここに留まることは出来ない。

(か、鍵!鍵を見つければっ)

 何とかここから脱出しなければ。

 鍵を探すことに決めた私は、三階へ行くために男をどうやってやり過ごすのか、考えるのだった。

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