Episode25:得体の知れない

 大きな揺れはたちまち都市全体を叫びの渦に飲み込んだ。状況が全く掴むことのできない市民たちは、安全な場所を求め、逃げ惑うことしかできなかった。中には諦めたように頭を抱えて、うずくまる者も多く見られた。そんな混沌とした地獄絵図を何とか治めるため、建物の屋根上からローズは叫んでいた。


「お前ら早よ都市の中央を目指せ!あっちの方はこっちほど老朽化しとらん!早よ走れ!」


 だが、その叫びも虚しく、焦りに目隠しされた人間というのは、何故か周りからの正確な情報よりも、混乱している自分の脳みそを一番に信用してしまう。そして、一つの建物の崩れ去る音が、人々の脳内を恐怖で埋め尽くし、ローズの叫びをまるで無かったかのようにした。混沌は拍車を掛けて広がると思われたその時、中央の方向から、もう一つの叫びが聞こえてきた。


「皆さん!中央を目指して走ってください!走ってください!お願いです、中央へ向かってください!!」


 その叫びの正体は中央方面の人の荒波の中に居たアーシャからであった。その小柄な体型からは考えられない声の大きさと、今にも逃げ惑う民たちに飲み込まれそうな姿にローズの中には安心よりも心配が先行していた。


 アーシャさんは私らと違って戦闘経験は全くないし、運動神経は下の下の下。そんな人が揺れ収まらぬこんな場所に居たら、下手したら死ぬ。早よ助けに行かんと――――――――


 だが、アーシャを目指し、屋根から屋根へと跳び移ろうとした時、ローズは目撃する。恐怖に侵食されていたはずの人々が、次々と中央へ向かって走り出したことを。何故、自分の声は届かなかったのに、アーシャの声は皆の進路を変えたのかをローズは分からなかった。


 唖然としてアーシャを見つめていたローズは、ふとアーシャの瞳と目が合った。そして、その時、分からなかった答えをアーシャは口にした。


「何諦めてるんですか!?ローズも声を出してください!!一人でも多くの命を助けるために!!」


 その言葉はローズをハッと正気に戻した。


 どうせ誰も耳を傾けてくれんと、私は声を上げ続けることを諦めてた。やけど、アーシャさんは私と違って諦めてなかった。その違いがこの危機的状況で大きく現れた。継続力がなく何でもすぐに諦める、私がクロムから昔から言われていた悪い癖。私だって人を救いたいという気持ちはアーシャさんと変わらないはずなんや。だから、今こそ、この悪癖を直す時や。


 揺れ動く地で、周りの空気を取り込めるだけ取り込んで、思いを、志しを、ローズは全て叫びに乗せた。


「皆んな落ち着け!!中央をに向かうんや!!!あっちは安全なんや!早よ向かえ!」


 その叫びは人波に揉まれるアーシャの表情をホッとさせていた。


「そうですよ!いい感じですよローズ!!」


「中央へ!中央へ行ってくれ!都市の中央へ向かえ!!」


「皆さん急いで!!都市の中央へ!!」


「早よ中央へ!ここらへんの建物は脆いから危ない!!」


「足元に気を付けながら都市の中央へ逃げてください!!」


「止まったらあかん!足を動か――――――――」



 真後ろから聞こえた、そのおぼつかない言葉と声はローズの背筋を一瞬で凍り付けた。瞬時に危機を察知したローズは、身体を大きく横へと動かし、その声の主との間合いを広くとった。そして、すぐさま声の主との交戦を予期し、太もものバックルに携えておいた二本のナイフを両手へと握り込み、戦闘態勢に入った。だが、そんなローズの戦意は声の主の姿を見た瞬間に、疑問と恐怖によって削ぎ落されてしまっていた。


 その姿は、人間とも被疫獣トキシッドとも言えなかった。ただれた様な不完全な細身の肉体に、顔は髪の毛のようなもので隠れているものの、ギョロっとした眼光がその隙間から漏れ出していた。その姿を言葉で表すならば、人の形を模倣した被疫獣のようだった。


 なんなんやコイツ?明らかに人間やない、被疫獣トキシッドか?でもコイツは確かに私らと同じ言葉を発した。言葉を扱える被疫獣トキシッドなんてのはいないはずや。やったら新種の可能性もあるな。この突然の揺れもコイツが原因なんか――――

 

『ニン…ゲンは……スゴイ…な!こ…えをだす…だけ……でと…と…とう…そつがとれる…!』


 思考を回すローズのことなど意に返さず、その存在は独り言のように呟いた。得体の知れない存在に対し、攻撃を仕掛けるタイミングを完全に失ったローズは、対話が可能なのかを確かねるために問い掛けた。


「お前は何なんや?この揺れはお前が起こしてるんか………?」


 ローズの問い掛けに対し、その存在は逃げ惑う民たちをぼーっと眺めてから、またローズの方を見て言った。


『ボク…わ…たし……オ…レはお前た…ちが、トキ…シッドと呼ぶものの……だ…だ…だーー……。この…揺れは…おれ…僕…が起こしてるんじゃ…ない…よ。僕、俺、わた…しの仲間だ……!!』


 被疫獣たちの代表やと?じゃあ、最近の異常事態の原因はコイツなんか。それじゃあ、クロムたちはどうなったんや?まさか、殺されたんか……?いや、あの戦力でそれは考えにくい。クロムたちが探索に向かったのと、入れ違いの形でコイツは都市へ現れたって考えるんが普通や。でも、それやとやばいな。私らの最高戦力は今、不在だっていうのに、この訳の解らん存在+この都市全体を揺れに包み込む未知数の仲間、さすがにこの状況は私らに分が悪すぎる。でも、一番考えたくないのは、この状況をコイツが起こしていた時の場合や。そうなると、私ら人類と被疫獣たちの食物連鎖は崩壊する可能性だってある。でも、コイツが被疫獣たちを操り出したのも、ここ数日の話。しかも、人間の言葉もまだ不完全。私の予想やと、コイツはまだ完成してないはずや。だから今、私が一番にしなきゃいかんのは、目の前に居るコイツをこの場で確実に殺しとくこと。


 考えがまとまってから、行動へと移るまでのローズの速さは、言葉で表すなら一瞬であった。謎の存在の喉元へ向かいローズは躊躇なくナイフを振り上げた。だが、確実に首元を搔っ切ったと思われたナイフは、標的であった謎の存在の口により噛み止められていた。


『キ゛ミ゛ろ゛…ろ゛ろ゛ロ゛ーズ゛と゛い゛う゛…ヒ゛ト゛……だ゛よ゛………ね゛?』


「なんで知ってんねん……私の名前を――――」


 ローズの目には一瞬、この謎の存在がニコリと笑ったように見えた。嫌な予感が脳裏にぎり、ローズは噛み止められたナイフをすぐさま手放した。だが、その判断よりも先に、ローズの首は謎の存在の片手によって力強く掴み絞められていた。足が地から離れてことにより身動きが取れなくなっていく。


「ぐはぁ!!ううがあ!は゛た゛せ゛!!!」


 見た目からは全く予想できない腕力がローズを襲う。当たり前に供給されていた酸素が消え去り、ローズの脳内は重度のパニック状態に陥る。ただがむしゃらに手足を動かし、ローズはこの最悪の状況を打開しようとした。だが、謎の存在の絞める力は弱まるどころか、次第に強まっていった。


『キミには……聞きたい…ことが………たくさん…あったけど、もういいや……。ありが……とう。僕の喋る練習相手になってくれて………!』


 瞬間、ローズの腹へと、貫通する勢いの打撃が撃ち込まれる。ローズ自身は自分へ何が起こったかも解らぬまま、数十メートル先の建物へと吹き飛ばされた。煉瓦で作られた建物の壁を破壊する形で、ローズは建物内部へと打ち上げられる。


『あのローズという女のは気になったがまあ……いいか』


 謎の存在は吹き飛ばしたローズの方向を見つめながら呟きながら、ある一人の幼女のような見た目の女を発見する。


『あれは確か……医術を使えるアーシャとかいう………クロムの仲間か――――』


 謎の存在の目線の先に居たアーシャは、逃げ惑う民と逆行する形で吹き飛ばされたローズの位置へと向かっていた。アーシャの顔は心配に苛まれながら、青ざめていた。それを見た謎の存在はまた呟いた。


『クロムへのいい土産になりそうだ!!!』


 的を定めた様に、謎の存在は足に力を込め、数十メートル先の狙いを目掛けて跳び込む。一直線に軌道を描き、先にはローズの元へと走るアーシャがしっかりと捉えられていた。一撃で仕留めるために、謎の存在は瞬時に指先を鋭い鉤爪かぎづめへと変形させる。そして、その鉤爪とアーシャとの距離が三メートル以下にも迫った時、突然、冷たい刃により謎の存在の鉤爪は弾かれる。


『せっかくそのこのアーシャを殺せるところだったのに……。邪魔しやがって…』


「お前みたいな汚い見た目の化け物がに触れないで」


 姉を守るため、未知の存在を前に、身の丈以上の大鎌使いシスコンが立ちはだかる――――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る