Episode8:踏み出す原動力
「何を言ってるの………おじさん……?」
消えたはずの不安感が私の中に戻って来る。おじさんが言う、痛みや苦しみも、自由だとかも、私には一切分からない。
私の声を聴いたおじさんは、抱きしめていた体を私から離してから、私の瞳に視線を合わせて話し出した。
「言葉の通りだよ……。あの家…………いや、あの施設でキミと共に過ごしていたあの男のことを父親なんて呼ばなくていいんだよ…!」
「なんで………?お父さんは、お父さんだよ………?何でもうお父さんって呼んじゃいけないの………?」
おじさんは軽く溜息を付いてから、言いだしずらそうな表情を浮かべて、口を開いた。
「それじゃあ聞かせて。キミはお父さんの名前を一度でも聞いたことはあるかい?」
投げかけられた質問を噛み砕くと同時に、おじさんから向けられた視線を私は一瞬避けてしまった。その行動はおじさんの問いに対しての答えそのものだった。
「でも………けど……それがどうしたの?名前を知らなくてもお父さんは、お父さんなんだよ………!」
「キミの―――――――名前――――」
「え…?」
おじさんの声が先ほどまでとは比べ物にならない程に小さくなり、私の瞳への視線が外れていた。沈黙が十秒ほど続いた後に、おじさんは私にもう一度目を合わせ、私の両肩に手を添えて、重々しい口を開いた。
「キミがお父さんと呼ぶあの男は、キミのことを一度でも名前で呼んだことはあるかい?キミは自分の名前を知っているのかい――――」
おじさんは何を言っているんだろう。え?私の名前……?そんなの………え?私の名前ってなんだ……?おじさんのラーカス・フロイトみたいな名前。あれ…………?あ……れ………?私の名前って何だ?何なんだ……?どれくらいの年月かを忘れるほどに一緒にお父さんと住んでいるというのに、私は私の名前を知らない?お父さんに名前を呼ばれたことがない―――――――――。
いや、ある!あるよ!私の名前!お父さんから呼ばれた名前!私の名前は――――――――
「私の名前は被検体№014だよ!」
その名前を聞いた瞬間のおじさんは、もう耐えきれないような目をしていた。そんなおじさんを見ていた私の目が少し霞んだ。どうしてだろうか、私の瞳から一粒の涙が流れていた。何も悲しい事なんてないのに。むしろ名前を思い出して嬉しい時なのに。どうして……?
すると、次第に私の両肩に添えられたおじさんの両手は私の後ろへ回され、気づけば私は抱きしめられていた。その時、私は呟いていた。
「お父さんは、お父さんだから…………」
「それがどんな形でもかい?」
「うん」
その質問の意味はよく分からなかったけど、私のその回答に迷いはなかった。だってお父さんは私のお父さんだから。
「そうか………じゃあ一度こっちに来てくれるかな?」
そう言っておじさんは私を抱きしめるのを止めて、ある一つの扉の方へ向かった。私は何も考えずにおじさんの側へ足を運んだ。さっきまで寝ていたこともあって、私の足にはふらつきがあった。
「この扉がどうかしたの?」
扉の前で立ち尽くすおじさんに私は問いかける。おじさんは扉の方を向いているだけで、何も言葉を発さない。その姿は何かを考えこんでいるようにも見えた。
「おじさ――――」
「キミはどんな形でも、あの男をお父さんと呼ぶと言ったね」
私がおじさんを呼ぶと同時に、おじさんは食い気味に話し出した。その時も扉の方を向くだけで、私の方は見てくれない。そんなおじさんに不安を感じながら、私は返答した。
「うん……呼ぶよ。私はお父さんって呼ぶよ!」
「あの男がキミと血の繋がりのない赤の他人で、キミを利用するために騙しているとしてもかい?」
呼ぶに決まってる。どんな形であれ、呼ぶに決まっている。呼ぶに、呼ぶに、呼ぶに決まっている。呼ぶに決まっている?呼ぶ?え?――――――――
「キミたちは本当の家族なんかじゃないよ。キミは騙されているんだ。全部あの男の嘘なんだよ」
長年一緒に居たから分かることがある。おじさんは嘘を言う人じゃない。でも、もう一つ分かることが私にはある。今の話が絶対本当じゃないってことだ。お父さんのあの笑顔は嘘じゃない。あの優しさは本物だ。だから私は咄嗟に怒号混じりな言葉を投げた。
「お父さんは嘘なんか言わない!」
その言葉を耳に入れた瞬間、おじさんは私の方を振り返った。そして前にある扉をゆっくり開けた。開けた先に広がったのは自然豊かな外の世界。私が一度も踏み込んだことのない未踏の大地だった。
「外に行こうか」
おじさんが私の手を優しく誘う。その手に悪意なんて一つも感じない。だからこそ奇妙で怖かった。私は咄嗟におじさんの手を振りほどいて、声を出した。
「家の外は子供が行っちゃ行けないんだよ。外の世界は子供だけが感染する病気がいっぱいなんだよ。すぐ感染しちゃうんだよ。おじさんも知ってるでしょ?」
おじさんは私の視線に合わせるように、膝を折った。
「知らないよ……。だってそれもあの男の嘘だよ」
「本当だよ!本当なんだから!嘘なんかじゃない!だって、その病気のためにお父さんは私に注射とか、いろんなことしてくれているんだもん…!!」
「あの男は注射を施したことで、もう病気にはならないって言ってた?」
感情的になる私とは対照的に、おじさんは落ち着いて質問を投げかけてくる。そのせいもあってか、私の感情的になっていた言動は落ち着きに向かいつつあった。
「お父さんは、まだ時間が掛るって言ってた。だから!私は家の外にまだ出れないの」
「おかしいな。キミが言う家が、私たちがいつも生活していたあの家のことを言っているのなら、キミはもう病気に感染してしまっているよ」
「え………え…?」
私の頬を冷たい汗が走る。私はおじさんから一歩、二歩と距離を取った。おじさんとの距離が保たれた状態から、おじさんはまた一つ言葉を投げてきた。
「もうキミの居るこの場所だって、あの家の外なんだよ。だから――――――――」
「じゃ、じゃあ!お父さんのあの注射とかは成功してたん――――――――」
「だから!キミは騙されてるんだって!何度言ったら分かるんだ!私は!私はキミのことを救いたいんだよ………。救いたいだけなんだよ…………。だから!一生のお願いだ。私のことを信じてくれ!こんな臆病者の私を信じて――――」
ドン!
私の後ろのガラスを粉砕し、頬を何かが横切る。魂の叫びを無慈悲に打ち砕くように一発の銃弾がおじさんの足を貫いた。
「う゛う゛あ゛!」
「ええ……え……お、おじさん………大丈夫…………?」
「早く!私のことを信じて外へ逃げて……!早く……!」
「でも外は………」
私の足はすくんで動けなかった。それは外への恐怖だけなんかじゃない。ここでこの扉を通れば、私はお父さんの今までを嘘と認めてしまう気がした。だが、そんな私を叫びの声が前へ押し出す。
「信じろ!!!!」
気が付けば、私は外の大地を踏みしめていた。青い空に浮かんだ光の玉からの暖かな光を浴び、風を切りながら前へ前へと進み続ける。未知の存在達が代わる代わるに私の視界に現れては消えていく。走る原動力となっているのは、おじさんの言葉だけだった。
その頃――――――――
「やー、キミにはホントがっかりだよ。ラーカス」
「銃に打たれるのって、やっぱり痛いんだな………」
「そりゃそうでしょ。
「ああ、知っているさ。今まで忘れたことなんてない」
「そうかい。そうかい~」
男は呆れたような顔をしながら、冷静に相槌をする。
「クソサイコ野郎………私に……構ってていいのか?」
「クソって、キミには言われたくないよ~。同族を売ってのし上がった、ゴミ野郎には~」
男はラーカスに向かって薄ら笑いを見せた。足の負傷で動けないラーカスは男を静かに睨みつけた。それを見た男は笑いながら言った。
「構ってていいのかって質問だったよね。それは大丈夫だよ~。だって、僕は
ラーカスは再び、
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