いつか、キミとチルい夏休み。

燈外町 猶

洋画は字幕で観る二人。

 キミの緩んだ口元から、ココアの香りと白い息が抜けていく。

 私達が隣り合い座っているのは一番大きなサイズのヨギボー。堂々とだらしなく横たわっているそれは黄緑色で、ウッド調の私の部屋に合うようにと彼女が選んでくれた。

 そんな私達と向き合うようにテレビ台の上に鎮座した三十インチのモニターには、去年話題になり、早速サブスク落ちしたハリウッド映画が垂れ流されている。

「映画を観んさいよ」

 私の視線に気づいた彼女はこちらを一瞥してそう言うと、マグカップをローテーブルに置いて視線を再び映画に戻した。

 外は酷暑の炎天下だけど、室内はエアコンをガンガンに酷使させてもはやキンキン。そしてモフモフのブランケットに二人でくるまり、あっつあつのホットココアを飲みながら映画を眺めるこの空間は、格別の心地よさに満ち満ちている。

 両手の人差し指と親指を使ってカメラのカタチを作り、その枠内で真剣に映画を観る彼女の横顔をとらえた。

「なにしてんの?」

 こちらに視線を向けてはくれないけれど、なんとなく視野に入っているのだろう、呆れた声で彼女が問う。

「映画、撮りながら観てんの」

 私はなるべく気障キザに答えた。

「飽きたんだ」

「すぐ傍にこんな素晴らしい被写体がいたらねぇ、ハリウッド映画も霞むよ」

「カンヌは?」

「カンヌでギリ」

「んなわけ。カンヌなめんな」

 ああ、この笑顔。学校の帰り道、ヘソ天で寝っ転がりおやつをねだる猫を見かけた時も「野生、失いすぎでしょ」と言って同じ笑顔を浮かべていた。バカにするでもなく、かといって尊ぶわけでもなく、ただ単純に、「楽」の感情が滲み出ているこの表情。普段仏頂面の彼女が浮かべるこの笑顔が、私はたまらなく大好きだ。

「ちょ、ねぇ、映画みえない」

 なんて言いながら、けれども抵抗せずに私に押し倒されるがままヨギボーに沈んでいく彼女。

「映画と私どっちが大切なのよ」

「サブスクのお陰でギリ美羽みう

「サブスク様様だぁ~!」

 めくれたシャツの隙間へ手を伸ばし、細い腰をなぞり、おへそのまわりでクルクルと指先を遊ばせ、そのまま北上させていくと――

「未成年淫行に鉄拳制裁」

 ――私のつむじへ優しく振り下ろされた拳。

「暴力反対~」

 猫的可愛さを演出すべく、その拳に向かって頭を擦り寄せ甘えてみるも「なに? ヘビのマネ?」と味も素っ気もないご返答。

 青白く滑らかな彼女の肌はエアコンによって不適切に冷やされていて、そっちの方がヘビのようだと思った。美しく、恐ろしく、高級で、いつの間にか逃げてしまう神秘的なヘビ。

「淫行って未成年同士でもダメなんだっけ」

「知らない。両親の許可があればいいんじゃない? 日本って大体そうじゃん」

「なんそれ」

 こんなところでも親の許可かと、鼻の穴から笑いが吹き抜けた。確かに大体のことは——バンジージャンプもアルバイトも海外旅行も——親の許可があればできる。

「じゃあ私達も許可もらってこようか。おとうさん、おかあさん、娘さんと淫行させてくださいって」

「美羽んちはなんか許されそう。でもうちは……戦争が勃発するだろうね」

「間違いないねぇ。一帯が焼け野原になるかも」

 彼女の家は、端的に言ってお堅い。それはもう、かなり。曽祖父の代からお堅いそうなので、内圧と外圧でガッチガチに圧縮された大黒柱が重いバトンとして受け継がれているのだ。

 高校二年生時の貴重な夏休みというのに、彼女に与えられた自由な日は今日だけ。勉強はもちろん、将来なんの役に立つかわからない習い事でスケジュールはびっちり埋め尽くされている。

 それなのに。私達はようやく訪れた今日という日に、電気代を無駄遣いし、サブスク代を無駄遣いし、季節に逆らい、惰性を貪っている。まるで何かに、抗うように。

「……早く自由になりたいねぇ」

 いつまで、親や世間に縛られればいいんだろう。年を重ねるごとに、他人事とは思えないニュースが増えてきた。同時に優しい言葉も目に入るけれど、それで差別が帳消しになるわけではない。

「まぁ、今はしゃーない」

 彼女の冷たい手のひらが私の頬に添えられる。私の頬の熱が彼女の手のひらに伝わり、互いの輪郭がぼやけていく。

「親がいなかったら私は学校通えてないわけで、通えてなかったら美羽とも出会えてないわけで。でもいつかはきっとくるよ、私達二人の意思決定権が最も重要になる日が。自由になれる日が」

「むぅ、大人ですなぁ」

「でしょ」

 彼女は余ったもう片方の手も私の頬にあてがうと、ネコに悪戯イタズラするようにグニグニと弄んだ。心地良いのでされるがままにしていれば、「抵抗せんかい」と彼女は言って手を離した。

 私はすぐさま彼女の胸元に頭をポテンと載せて、髪を優しく撫でられながら言った。

「現段階でもうこんなに大人なんだから、自由になったときにはもうおばあちゃんになってるかもよ?」

「いいじゃん。二人とも定年退職してさ、『毎日が夏休みー!』って状態になったら、今日みたいにグータラ過ごそうよ」

 珍しくテンションを上げながら言う彼女は、髪を撫でる手を背中に回して私を抱きしめた。ふいに涙が込み上がってきて、回らない脳が適当に言葉を紡いだ。

「ヨボヨボのおばあちゃんが二人してこんなん乗ってたら……もうヨギボーじゃなくてヨボバーだね」

「なにが『もう』なの? くっだんない」

 本日二回目の、大好きな笑顔。不自由な今と不確定な未来のせいで発生した、心を覆う灰色の雨雲がすぐさま取っ払われる。

 彼女に包まれながら――流れてくる映画の荘厳な音響と理解できない英語を聞き流し、字幕にしておいて良かったと思いながら――私は目を閉じた。

 いつか、酸いも甘いも乗り越えて相応の歳になった女二人が、こんな風に、不条理極まりない、安寧だけを求めたチルい夏休みを過ごしている姿が、瞼の裏にありありと浮かんだ。

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