未練の一里塚

さくらみお

未練の一里塚


 ――お、そこの兄さん。


 新入りだな?

 よく来たな「未練の一里塚」へ。


 ――え? 此処ここ何処どこだって?


 此処は天国への道中に在る場所。

 お前さんは武蔵野の地で死んじまった。

 だからこの常久つねひさ一里塚の上空にある「未練の一里塚」にやって来た。


 此処は死んだ人間がこの世に未練がある時、その想いを昇華させるために創られた久遠の場所さ。

 

 ――ああそうさ、未練を残した人間は天へは行けない。


 天国ってぇやつは、身も心も真っ白になって新しい生を受けるからな。

 お前さんもどうやらこの世に未練があるようだな?


 ――え? この世に未練はない?!


 一緒に死んだツレもこっちに来ているはずだって?

 そのツレと一緒に天国へ行きたい?


 ……なるほど。


 お前はこの世に未練なんかないのか……。


 なら、此処で武蔵野の大地を見下ろしながら待つと良い。

 きっと、もうすぐやって来るはずだ。



 ――……。



 ――お? どうした?

 はぁ?! 暇だって?


 まあ、そりゃあそうだ。

 此処には一本榎いっぽんえのき以外に何もない。


 自分の心と見つめ合って、なんとか気持ちに踏ん切りをつける場所だからな。

 大抵の奴は、自分の殻に閉じこもっている奴が多いんだ。

 目下に広がる美しい大地も見ずに、な。


 ――へ? 何か話してくれって?

 暇で、寂しくて、死にそうだって??


 お前さん、生前は我儘で寂しがり屋って言われてなかったか?

 ついでにお前はもう死んでるからな!


 ……うーん、そうだなぁ。


 じゃあ、武蔵野の昔話を一つしようか。

 内容がお前にピッタリなんだ。


 暇だったらぜひ聞いてくれよ……。



 ◆



 時は江戸時代。

 承応元年(1652年)、徳川家四代目将軍・家綱いえつなの時代だ。


 大都会江戸に住む江戸っ子達はある事に困っていたらしい。


 あっしらの飲料水、少なくね? って。


 だから徳川のお偉いさん、老中の松平まつだいら信綱のぶつなは上水道(飲食用の川)を作る事にしたんだ。


 松平まつだいら信綱のぶつなは川の開削工事に精通した武蔵小室むさしこむろ藩主の次男・伊奈いな忠治ただはるに任務を命じた。

 そして伊奈いな忠治ただはるは土建業をしていた兄弟・庄右衛門しょうえもん清右衛門せいえもんに作らせる事にしたんだってさ。


 でも庄右衛門しょうえもん清右衛門せいえもんも最初はあんまり気乗りしなかったらしい。


 ――え? 何故かって?

 考えてみろ。川ってのは水が高い山から海まで流れるもんだ。

 江戸郊外から江戸までは高低差があまり無いんだ。

 真横に横断しているからな。

 実際に庄右衛門しょうえもん清右衛門せいえもんが作った川は高低差92.3メートルしかないんで。

 そんなほぼ真っ平に近い場所に水流せって無理難題すぎんだろ。


 測量はかなりの精度を求められる。

 しかも重機なんて物は無し。

 全部手掘り!


 ……気が遠くなる話だろ?


 でも、庄右衛門しょうえもん清右衛門せいえもんは武蔵野に暮らす人々が安心して水を供給出来る様にするために請け負うことにしたんだってさ。


 ――おいお〜い!

 「めでたしめでたし」じゃねーよ!

 最後まで話聞けって!

 お前、生前はせっかちって言われてなかったか?!


 最初はさ、水を日野ひのから江戸まで流そうとしたらしいんだよ。

 でもさ、道中にこれまた吸水力が抜群の土壌があったらしいんだわ。水喰土みずくらいどと呼ばれたくらいにな。もちろん、引いた水はここで染み込んで終わり。

 ちなみに、この工事に関わった役人達は失敗の責任を問われて処刑されている。


 俺としては、庄右衛門しょうえもん清右衛門せいえもんが処罰に問われなかったのが最大の疑問だけどな!


 現在でも処刑された役人が「かなしい」と嘆いた事によって生まれた「かなしい坂」ってのが府中ふちゅうにあるんだぜ。


 ……そんな訳で一度目は失敗に終わり、次は福生ふっさから水を引こうとしたが、同じように水喰土みずくらいどや岩盤に当たって失敗。

 関東ローム層の土壌って、本当にすげーのな。


 ――え? じゃあ武蔵野の地でションベン漏らしても吸水力抜群だからバレナイかもって?

 そんな訳あるか阿呆。

 お前さんは素っ裸で道を歩いているのか。

 生前に発想が奇想天外だって言われてなかったか?


 ……まあ、そんな訳で二度も失敗して、松平まつだいら信綱のぶつな有能な設計技師を頼んだのさ。

 俺、この話聞いて「今更!?」って叫んじまったよ。

 かなしい坂で処刑された役人、そりゃあ嘆くよ。

 最初から本気出せよって。


 そんでやって来た有能な設計技師の安松やすまつ金右衛門きんえもんは言ったのさ。


羽村はむらの方から水を取ってみろって」


 庄右衛門しょうえもん清右衛門せいえもん安松やすまつ金右衛門きんえもんの指示に従って掘り続けた。今度は順調に工事が進んだらしい。


 しかし、高井戸たかいどまで掘った所で幕府から貰っていた軍資金が底をついたんだ。


 ――は?

 金がない時は実家や愛人から借りればいい? 

 お前じゃあるまいし、こいつらはそんな事しなかったよ。


 ……まあでも、お前も酷いけれどこの兄弟も大概な破天荒だな。


 自分達の畑や家を売って、3000両を作りだしたんだ。

 畑はあり得るが、家だぞ? 家!

 お前達は家を売って、一体どこで寝起きしていたんだ?

 ここまで来ると、狂気としか思えない。

 こいつら捨て身だぞ。

 真の猛者もさだ。


 掘る事しか考えていない!


 そんな猪突猛進な庄右衛門しょうえもん清右衛門せいえもんのおかげで掘った川は羽村〜江戸間を繋ぎ完成し、この功績によって二人は「玉川」姓を許されて玉川上水を守る役目を命じられた。


 そして、玉川兄弟が作り上げた玉川上水は多くのこの武蔵野に住む人々の命を繋ぎ、繁栄へと導いたんだ。


 ……そう、これは玉川上水を掘った玉川兄弟の話だ。

 今でもこの武蔵野には二人の史実が多く残されている。


 ――え? そうだよ、気が付いたか?


 これはお前さんが愛人と身投げした川の話だよ。


 ……おい、見てみろ。


 いい頃合いにツレが登って来たぞ。

 逢えて良かったな……!


 お前さんにこの話を伝えられて良かった。


 お前達が死んだ場所は、武蔵野の人間が命を賭して全部を投げ打って作り上げた川だったって事、俺はそれを知って貰いたかったんだ……。



 ――ああそうか、もう行くのか。


 ……次はお互いにもっと楽しい人生になると良いな。


 ――そうだ。


 来世でも小説を書くんだったら「かなしい坂」で処刑された役人の話でも書いてくれよ。


 俺は玉川上水を完成させる事が出来なくて、悔しくて、悲しくて、未練タラタラで……まだ上に行けやしないんだ……。



 ――……そうか、俺の無念な想いに寄り添ってくれるなんて、お前さんは優しい男だな……。


 ……約束してくれるのか、ありがとう。

 


 ――ほら、ぐずぐずするな。

 ツレを待たせちゃいけない。

 来世で早く俺の事を書いて欲しいしな。



 ――ああ、またいつか武蔵野で会えるさ。

 


 ――ああ、お前さんも達者でな。





 じゃあ、な……!




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

未練の一里塚 さくらみお @Yukimidaihuku

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ