七日目


「……なんか」


「うん」


「面と向かって言われると……その……」


「うん」


「……何て返せば良いのか、分かんない」


 少し困ったように、私を掴む触手の力が弱まった。困惑している時点で、少なくとも千蔓は私と同じ気持ちではないわけで。でもそんなことは分かり切っていたから、さほどの悲しみもない。あるのはもっと付き合いの長い諦念と、バレてしまったという胸の苦しさくらいだ。


「いいよ、返事なんて。というか、ほんとはずっと隠すつもりでいたんだし。なんか、ごめんね?」


「や、えっと……」


 緩んだ触手をゆっくり振りほどいて、そのまま右手で握り返す。揺れ動きながらも拒んだり取り乱したりする様子はなさそうで、そこは少し安心した。

 ソファに深く座り直して、もにょもにょ所在なさげに揺れている千蔓に、語って聞かせる。気付かれたくはなかったけど、気付いてしまったからには、できる限り知っておいた方が千蔓の気持ちも少しは落ち着くかと思ったから。


 ……とはいえ。


「いつから好きだったのかは……分かんない。何で好きなのかも」


 理路整然と語れることなんて、何もないのだけれど。


 ずっと一緒に居たから、何となく好きになってしまっただけなのかもしれない。或いは私自身が、さしたる理由も無く人を好きになってしまうチョロい人間なだけかもしれない。千蔓に何か、名状しがたい魅力があるという可能性もある。

 何にせよ「なぜ」という部分を明らかにすることは、もうここに至っては不可能だ。好きだから好き、としか言えない。


 そんなことを口にしながら、また少し胸が苦しくなる。

 好きな人に、何故好きなのかさえ説明することができないなんて。分かっていたはずなのに、それがどうにももどかしい。

 握った手が、少し湿り気を帯びていた。空調は効いてるけれど、流石に汗ばんでしまったのだろうか。思考が少し浮足立って、自分でも良く分からない。


「でもね、ずっと好きなの。多分、何がどうなっても、好き」


 肺から口へと吐き出せば、この息苦しさを少しでも解消できるかと思って。けれども言葉を重ねれば重ねるほど、むしろとめどなく息が上がっていくような感覚。

 まだ握ったままの手は、ますます湿りとぬめりを帯びていた。


「千蔓がイトコンチャクになっても、それでも好きでいられたのは。好きだから」


 頭が、ぼうっとしてくる。

 心の一部を吐き出しているせいで、思考回路が上手く回らなくなっているような。何か支離滅裂なことを言っている気もするけれど、それを訂正することすらままならない。


「でも、好きだって知られたら……っ……知られちゃった……っ……」


「い、逸束……」


 言葉を淀みなく紡げないほどに、胸が苦しい。息が苦しい。視界はクリアに千蔓だけが見えているのに、思考は薄靄に巻かれて千蔓以外がぼやけていく。



「……いやちょっと待って、なんか変っ!」



「……うん……?」


 突然、千蔓が声を張り上げた。同時に私の右手から触手が引き抜かれ……ぬめりけのある液体の滴ったその触手の先が、私たちの間でゆらゆらと揺れる。


「これ、これ逸束の汗じゃない!」


「んー……っ……?」


 言われてみれば確かに、いくらなんでも手汗というには分泌量が多い気がする。まるで千蔓の方から染み出てきたみたいに、触手を濡らす透明な液体……ああ、でも。そんな風に目の前で揺らされてしまったら、その出自なんて気にならなくなってしまう。



「千蔓っ……」


 もう一度捕まえる。離したくなかった。無性に千蔓に触れていたかった。もっと思いの丈をぶつけてしまいたくなった。

 十何年もの間、あれほどまでに隠していた気持ちを。ついさっきまで、知られたくなかったと思っていた感情を。どうしてか今は、口に出したくて仕方がなかった。


「ちょぉ、待って、逸束っ……!」


 逃がさないようにしっかりと握れば、くちゅって、千蔓と私の間で水音がする。触れた傍から、また胸が苦しくなる。頭の靄はますます濃くなって、「千蔓に触れたい」以外の全てを覆い隠していく。


「はぁっ、はっ……千蔓ぅっ……っ」


 息が上がる。自分の吐息が熱い。触れたい。触れたいよ。



「――イヤ、これ絶対媚毒じゃんっ!」



 私を見る千蔓の、どこから伸びているかも不明瞭なその視線が心地良い。「びどく」という知らない言葉を伝達する空気の振動すらも、その発生源が千蔓だと思えば、身体が共振するほどに愛おしい。


「ちくしょうやっぱりエロ触手だったかっ……!」


「うん、そうだね……なんか今の千蔓、凄くエロいよっ……」


「そうじゃなくてぇ……!」


 灰色の触手したいも、触手かみのけも、触手ゆびさきも。慌ただしく揺れ動くその全てが、酷く艶めかしく感じられてしまう。気持ちを曝け出してタガが外れてしまったのか、今の千蔓はいつも以上に、抗いがたい魅力を放っているように見えた。


「ごめん、千蔓っ……」


 もっと触れたい。我慢できない。

 まるで自制心なんて最初から持ち合わせていなかったみたいに、抑えが効かない私の心は、勝手に千蔓の触手を引き寄せていく。電灯を反射し、てらてらといやらしく光るそれを、もっともっと近くに。


「ちょ、ま、逸束っ」


「千蔓っ……ちづるぅ……っ」


 口付ける。その先端に、ほんの軽く。

 弾力のある柔らかさ。千蔓の手に、キスをした。生まれて初めて。唇に触れた千蔓の「びどく」が、ぴりぴりと全身を痺れさせる。ますます、ますます胸が苦しくなった。


「ちょ、ばかっ、ば、何やってひゃぁうっ!?」


 舐める。


「……やっ……!ダメだってっ……ぁっ……いつかぁっ……!」


 啜り上げて、食べる。

 細い一筋のそれに舌を擦り付けて、甘噛みして、千蔓を味わう。こういうことをするのは、良くない気がするけど。何で良くないのか、よく分からないし。ますます滲み出てきた「びどく」が、ひどく心地良い酩酊感を与えてくれるし。千蔓だって、身体中を波打たせて、何だか気持ち良さげな声を上げているし。それを聞けば聞くほどに、私の胸は息もし辛いほどに締め付けられていく。


 こうすることは、何も悪いことじゃないように思える。

 もっと千蔓と触れ合って、もっともっと、この息苦しさを感じたい。


「ちづる……っ」


「だめ、だって……いつかぁっ……」


 繰り返しのように同じことを言う千蔓は、全然「だめ」って声をしていなかった。だから私は、彼女の上に覆い被さる。蠢く触手塊に、半ば埋もれるようにして。

 この前に何があって、この後に何があるのかなんて、もう頭の靄に全て覆い隠されてしまっていた。ただ今は、もっと千蔓に触れていたくて。か細い声でまだ「だめ」だと言っている千蔓の触手ゆびさきがいくつもいくつも、私の体に絡みついていくのを感じながら。



「ちづる……すき……」


「うぁ、ぁ、ぁぁぁ……――――っ」



 「びどく」に濡れる千蔓の触手を、自分の頬に擦りつけた。




 ◆ ◆ ◆




 媚毒、だったらしい。


 あの、私を酔わせた千蔓のえっちなお汁は。


「言い方」


 あり得ないぐらいハッスルして、力尽きて二人で泥のように眠って。

 昼下がり……どころか夕方に近いくらいの時間帯に、ようやく私たちは目を覚ました。まあ深夜未明から日が昇るまでヤっていたのだから、当然と言えば当然だろうか。


 落ち着いて、起こったことを整理して、千蔓から分泌されたあの液体が媚毒――つまり、性的興奮を大いに助長させる代物であったと知る。


「エロ触手って、そういうことだったんだね」


「うん……や、相手の性的興奮を感じ取れるって時点で、そんな気はしてたんだけどね……」


 なんでもエロ漫画空想上の存在に、そういう性行為に特化した触手生物群が存在するらしい。そして種々の特徴を鑑みるに、どうも千蔓はその系統に類するのではないか、と。


 だから昨夜、千蔓は私の劣情好意に勘付くことができた。答え合わせをして、それからどうしたものかと考えあぐねているうちに、私が手のひらから媚毒を摂取してしまい……後はまあ、流れの通りと言ったところ。


「……まさか、アルコールを元に媚毒を生成するとは思わないじゃないのマイボディ」


 あの時の頭に靄が掛かったような気分や酩酊感は、確かに今思い返してみれば、酔いの感覚にとても似通っていたように感じる。千蔓の身体はどうやら、摂取したアルコール成分を元に、それ+性的興奮や軽度の動悸不順を引き起こす物質を生み出していたらしい。

 これも、本人が冷静になった今だから分かることではあるけれども。


 まあつまり、非常に大雑把に言うならば。


「酒の勢いで一線超えちゃった……って、ことになる。のかな」


「そうとも言える、かもねぇ……」


 千蔓の声音は、どこまでも複雑そうだ。

 幸いなことに、嫌ではなさそうだけれども。本人曰くそれすらも「自分がエロ触手だからかもしれない」とのこと。


「……まぁ、ヤっちゃったものは仕方ないよ」


「……なんでそっちが吹っ切れてるの」


 正直に言えば「酒の勢いで幼馴染と一線超えた」は、とても素敵な響きだと思う。


「だって千蔓、満更でも無かったみたいだし」


 というか、途中からはノリノリだったし。


「そ、それはぁ、その……エロ触手のサガと言いますか……」


 全身拘束強制連続絶頂とかさせられた。気絶寸前まで追い込まれたし、フローリングはびちゃびちゃになった。私の穴という穴から出たその諸々の液体すら、千蔓は全部吸い尽くしていた。とても気持ち良さそうに。

 普通だったらやり過ぎて苦しかったのかもしれないけど、媚毒のお陰か相手が千蔓だったからか、滅茶苦茶気持ち良かったし。気持ち良過ぎて馬鹿になるかと思った。


 いや、恐らくなっているんだろう。

 だからこそこんなにも、すっきりした、つかえの取れた気分なんだろう。もうイクところまでイってしまったのだから。今の私は無敵だ。


「好きな人にあんなことされたら、もう普通じゃいられないんだよ」


「うっ……」


 私の言葉に、千蔓は身を縮こまらせるしかない。

 いや、別に脅したいわけではないのだけど。こうやって、まだ軽口を言える間柄だということを確かめただけ。


「まぁ……」


 最大限前向きに解釈するならば。


 好意を伝えられた。

 拒絶はされなかった。

 一番の懸念は、こんな状況で幼馴染に性愛を抱かれていると知った千蔓のメンタルが、再び不安定にならないかという点だったけれど……むしろこんな体になったからこそ、千蔓はそれに適応して見せた。エロ触手として。


 であれば、そう悪い話でもないのかもしれない。

 私個人としては、好きな人と合意性交できて万々歳なのだから。


「できれば私は、これからも千蔓と一緒にいたいな」


「……そりゃあたしもそうだけど……というか、逸束の隣にしかもう居場所無いし」


 でも、と続く言葉は。千蔓が、一回寝た程度で私を好きになるようなチョロい女ではないことを示していた。


「一緒にいたら、またこんなことが起きないとも限らないし……その、あたし正直まだ、逸束への気持ちとか、よく分かってないし……」


「今の千蔓は、分からないことだらけだからねぇ」


「うぅ……」


 どうして触手怪獣イトコンチャクになったのかも。いつまでこの姿なのかも。そもそも元に戻れるのかすらも。


 現状、分かっていることの方が少ないくらいなんだから。


「今更もう一つくらい分からないことが増えたって、私は気にしないよ」


 あくまで私は、だ。

 千蔓がどうしても、私と身体の関係を結んだことに耐えられないというのなら。今後の私たちの処遇は、その全てを千蔓の望む通りにするつもりではある。

 だけど本当に嫌だったのなら、今こんな風に布団の上で抱き合ってなんかいない……と、私は思いたい。


 昨日の夜、押し倒したのは私の方だったけれど。振り払うこともせずに、あまつさえ途中からは千蔓の方からいじめ倒してくれたわけだし。


「……エロ触手でも、いい?」


「うん」


「幼馴染の告白に応えない、ダメ触手でも?」


「うん」


 なあなあのまま、いくらでも都合良く使ってくれて良いし。それに心が痛むのなら、何かしらの答えを出してくれたって良い。


「……逸束といると、甘やかされ過ぎて本当にダメになっちゃいそう」


「良いよ、駄目になっちゃっても」


 どれだけわがままを言ったって許されるくらいの境遇に、本人も望まないままなってしまったのだから。私が千蔓を駄目にすることの、何がいけないというのか。


「じゃあ、その……」


「うん」


 弱々しい声音。けれども数日前のような、不安定で嫌なか弱さではない。だから私も、わざとらしいほどに鷹揚に頷いていられる。



「――今後とも、よろしく……」


「うん、よろしく」



 おずおずと差し出された触手を、ぎゅっと握り返す。媚毒に濡れていない千蔓の手は、相変わらずぷにぷにで触り心地が良かった。


「――はぁっ。なんか気が抜けたぁ……」


 少し気怠げな平常運転に戻って、ぐてぇ……っと触手を伸ばす千蔓。私もいつも通りに戻るべく、別のことに考えを巡らせる。冷蔵庫の中身や、諸々のストックについて。


「取り合えず、差し当っては……」


「うん?」


 手は握ったまま左手でスマホを操作し、通販サイトを開く。


「――お酒、買い足しておかないとね?」


「っ、いいから、ちょ、買ーわーなーくーてーいーいっ!」


 触手を伸ばしてスマホを奪おうとする千蔓と、布団の上でもみ合う。

 変わったと言えば変わったような、変わっていないと言えば変わっていないような。結局私たちの関係は、今はまだ幼馴染のまま。


 千蔓は人間じゃなくなったし、私の気持ちは筒抜けになってしまったし、セの付くお友達のような関係にもなった。けれどもまだ、幼馴染のまま。


 ただ、少なくとも今は、千蔓は私の隣でしか生きてはいけなくて。

 私もある意味で、千蔓なしでは生きていけない体にされてしまった。

 心はずっと昔から、千蔓がいないと駄目なのだけれども。



 ひとまずは、まあ、それでいいかなって。

 千蔓に全身をもみくちゃにされながら、そんな風に思った。


                                 〈了〉



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――



触手怪獣イトコンチャク:触手科 エロ触手属 エロ触手種……気持ちシリアスめな空気を醸し出していたかと思わせておいて、懐いている相手に押し倒されるとあっさりエロ展開になってしまう意志薄弱なエロ触手。アルコールを元に媚毒を生成して人間を過度な性的興奮状態にし、またその状態での性交中に分泌される特殊な膣分泌液を表皮から吸収することで自身も強い性的快感を得ることができる。かわいいね。

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朝起きたらずっと片想いしてた幼馴染が触手の化け物になってた話 にゃー @nyannnyannnyann

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