六日目


「――よし。逸束、飲もう」


「……お酒?」


「それ」


 私たちの生活リズムはすっかり、夜更かしして、昼前に起きて、また夜更かしして――と、随分と不摂生で自堕落なものになってしまっていた。いつも通りの連休と言えば、その通りではあるけれど。


 とは言え、非常事態から始まったこの狂った生活リズムでは、当然ながら自律神経もおかしくなってしまうんだろう。何をするでもなくぼーっと動画を垂れ流していたリビングに千蔓の声が響いたのは、もうとっくに日も暮れた頃合いだった。


 ある意味、丁度いい時間帯とも言える。この前の買い出しでお酒自体は買い込んであったし、冷蔵庫のそれらを見て決心した可能性もある。

 イヤに気合の入った一声だったのは、そもそもアルコール類を摂取できるのかがまだ不明だからだろうか。或いは、飲んだとして酔えるかどうかが不明だからだろうか。

 どちらにせよ千蔓がしたいというのなら、私は可能な限り協力するだけだ。


「おっけ。最初は弱めのやつからね」


「あいさ」


 触手を振って同意を示す千蔓と一緒にソファから立ち上がり、冷蔵庫へと。もにょにょにょにょにょ……とフローリングを這う姿はもう、かつての彼女の背中と何ら変わりなく見えた。


「さてと……まずはどれから行くか……」


「ほ○酔いで良いんじゃないかな?」


「ですよねー」


 チューハイ、ビール、ワインにウィスキー。結構買い込んであるそれらの共通点は「そのカテゴリ内では安めのやつ」。成人して一年そこら、さしてお金に余裕のあるわけでもない私たちにとっては、とにかく質よりも安く酔えるかが重要で。


「――よし。ほいじゃまぁ」


「ん」


 ソファに戻るや否や触手を引っかけてプルタブを開ける千蔓へと、手に持った缶を差し向ける。


「「かんぱーい」」


 誰に気兼ねすることもなく、二人っきりで飲むアルコールの美味しさを、こうしてまた共有することができる。それだけで、買ってきておいて良かったと思えた。




 ◆ ◆ ◆




「――逸束はさぁ、あたしのこと好きなの?」


 酒なんて買ってこなければ良かった。

 これでもう三回目の千蔓の言葉に、安いワインで一拍の猶予を作る。勿論、ボトルのまま。


「そりゃ好きだよ。何年一緒にいると思ってるの?」


 一回目は「はいはい好きだよー」、二回目は「讃岐うどんみたいで可愛いねぇ」と答えた気がするけれど。その返事を覚えているのかいないのか、今日の千蔓は件の問いをしつこいくらいに重ねてくる。


「ふーん」


 最初の一、二時間、色んな種類・度数を少しずつ試していた辺りは平和だったし。そこから「飲めるし酔いはするけど人間の頃よりもかなり強くなってる」と判明してからの数時間くらいは、普段通りな何の変哲もない二人飲みという雰囲気だった。普通に駄弁っている時とさほど変わりなく、アルコールの力で少しだけテンションが高い、いつもの宅飲み。


 そうして、強くなった分恐ろしいほどのハイペースで酒を飲み進める千蔓が、酔いどれた声でさっきのようなことを聞いてくるようになったのが。夜も更けてきたここ一時間くらいのこと。


 こんな面倒臭い恋人のような発言は、人間時代の千蔓には全く見られなくて。

 けれどもここ数日の言動を鑑みれば、酒の影響でまた少しぶり返し・・・・てきたのだと考えれば、仕方のないことなのかとも思えて。平静を装えていた。二回目までは。


 しかし一時間で三回も、しかも段々と探るような触手付きを強めながら言ってくるものだから、そろそろ私の鉄壁幼馴染ハートも軋みを上げ始めている。まあ、まだ持ち堪えられそうではあるけれども。


「……そういう千蔓だって、私のこと好きでしょ?」


 だからこれは、ちょっとした幼馴染ジョークというか。

 惚気芸?夫婦漫才?そういう空気感を共有して、心の耐久メーターを回復させるための振り・・……のようなものだったのに。


「……どう、なんだろうねぇ……」


 思いのほか真面目なトーンで返ってきたものだから。手の中のペットボトル安ワインが、ポコッと小さな音を立てた。


「……い、意味深だね」


 上手くおどけられたか、少し自信がない。


 もう何本目かのストロングな缶チューハイを飲み切った千蔓へと、持っていたワインを差し出す。ほとんど無意識の内の行動だったけど、今更間接キスなんて気にするはずもなかったけど。でも。


「……逸束の、味がする」


「ん゛ん゛っ」


 そんなド直球に言われてしまえば、今度こそ平静ではいられない。

 触手の内の一本がボトルの飲み口をなぞるように這っていて、触れられたわけでもないのに、私の唇にまでぞわりと震えが走った。


「動揺した?」


「……千蔓、ちょっと酔ってるんじゃない?水持ってくるね?」


「逃がさぬ」


 立ち上がりかけて。触手で押さえつけられた。


 今までは専ら、千蔓が私に付いてくる為にしていた接触。それが今までになく力強く、私を逃がさない為に行われた。あっさりと私の心臓は高鳴ってしまい、そのせいで振り払うタイミングを逃す。鉄壁幼馴染ハートは、早くも崩落寸前に。


「あの、千蔓……その……」


 二度名前を呼んでも、灰色の触手ゆびさきは私を離してはくれなくて。凄いスピードで何かが進んで行ってしまっているような感覚は、アルコールによる酩酊だけではとても中和しきれないほどに、私の感覚を鋭敏にしてしまう。


「……一昨日……や、昨日くらいから考えてたんだけど」


 ワインのボトルを弄ぶ、その触手つきが艶めかしい。右に左にと傾くたびに、半分ほど残っていた赤い液体が波打つ。開いたままの飲み口から、辛うじて飛び出さない程度に。

 そうやってどうでも良い視覚情報に意識を向けていなければ、耐えられないほど。千蔓の言動一つ一つが怖かった。何を考えていたのか。一昨日、昨日。昨日の私を見て、一体何を。


「逸束さぁ。あたしのコト、そういう・・・・目で見てなかった?」


「……そういうって、どういう?」


 まだ、まだ確定はしてない。まだバレてない。まだ――



「えっちな目で見てたんじゃない?ってこと」



 ああ。

 無情だ。無慈悲だ。


 繕えない。今の私には、露骨に動揺して、絶対に顔に出てしまっているであろう、この瞬間の私には。


「…………」


「…………」


「…………」


「…………」


「……なんで」


「うん?」


「なんで、ばれちゃうかなぁ」


 ずっと隠していたのに。今まではちゃんと隠せていたのに。何だってこんなタイミングで。千蔓には私しかいなくて、私が、何の憂いもなく傍にいられる安全基地でなくてはならなかったのに。

 性欲に浮かされていた昨日の私を、一発殴ってやりたい気分だ。


 唯一頼れる幼馴染が、自分を邪な目で見ていただなんて、今の千蔓には知られてはいけなかったのに。


「……相手が逸束しかいないから、確証はないけど。この身体になってから、そういうの・・・・・に敏感になった気がするんだよねぇ」


 曰く、相手の性的な視線、欲求、感情、そういったモノを感じ取りやすくなった。人間だった頃よりも、格段に。

 だから私の、特に昨日、一昨日くらいからの性的な高ぶりを、肌身に感じ取っていた……らしい。


「……なにそれ。ズルだよ」


 原理も分からないイトコンチャクの特殊能力によって、だなんて。初めて、私自身の気持ちとして、千蔓がこんな体になったことを恨めしく思った。


「ごめんて。んでさ、まあ……こう繋げちゃうのも安直かもしれないけど」


 千蔓は怖いくらいにいつも通りな雰囲気のまま、触手を折り数えながら私の言動を振り返っていく。


「まず、触手フェチではないって言ってたじゃん?で、一昨日、擬態姿を見せてからムラムラしてるっぽいじゃん?」


 イトコンチャクにだけ劣情を抱いているわけじゃない。

 人間擬きの、千蔓の面影を目にして以降、性的な欲求が強まっている。


 それはつまり。



「そしたらまぁ、あたしのコト好きなのかなーって」



 それはもう。

 何の言い訳もしようがないくらい、その通り。


 決定的な自白を聞かせる前に、最後の悪足掻きとして一瞬だけ目を逸らせば。視線の先にあった時計の針は、とっくに日付が変わったことを告げていた。



「……うん、好きだよ。千蔓のことが好き」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る