第2話 先輩とCD

〜あらすじ〜


「ごめんなさい」


まだまだ青かった、高校生最後の夏。


引越しの時に見つけた、1枚のCD。

その時、封をしていた記憶が溢れ出す。


甘酸っぱさと、苦しさが同居する、

あの時、あの瞬間の、その時だけの私の気持ち。

分からないから逃げ出した、あの時の感情と向き合う。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


初夏。長袖だと少々暑さが感じられるようになってきた。


都内のマンションの一室。

部屋の中には段ボールの箱の山と、

これから仕舞われるであろう雑貨が散乱していた。


引越しの買い出しに行っていた友人、優子が帰ってきた。

ガチャガチャと大きな音を立てながら鍵を開ける。


割と神経質な自分と、結構ガサツな優子。

高校時代からの付き合いだが、

社会人になった今でも交友関係が続いてる理由がよく分からない。

でも、気づくと一緒にいる。

ある意味、気を使わない居心地のいい関係性なのかもしれない。


そんな優子が、手元に1枚のC Dを持ってきた。


「和美、アイドル好きだったっけ?」


「いや……なんで?」


「え、買ったんじゃないの、このCD」


友人の手元のC Dに、一瞬視線をやる。


「知らない」

そう、反射的に答える。


「そんな訳ないじゃん。この部屋にあったのに?」


「だから知らない」


「なぁに、怖い話じゃないよね」


「馬鹿なこと言ってないで、こっち手伝って」


「ええ〜、ちょっと休憩させてよぉ」


「来たばっかりで、何を休むっていうのよ」


ふと、友人の方に目をやると、先ほどのC Dが目に入った。

ジッと見つめる。

アイドルがプール際で笑顔ではしゃいでいる、C Dジャケット。

……


そうだ。


高校生、最後の夏。


バイト先の先輩だった人の笑顔がフラッシュバックする。


「ちょっと? 大丈夫?」


「あ……うん」


友人の声で我に返る。


「やっぱり休憩にしよ! 和美、疲れてるんだよ」


「優子が休みたいだけでしょ」


「はいはい、アイス買ってきたから! 食べよ食べよ!」


そういって強引に腕を引かれ、

即席で作ったダンボールテーブルの前に座らせられる。

隣に座った優子から、パピコを手渡される。


「……あっ、もしかして、ストーカーとか⁉︎ それはダメだよ! 実害がないと警察は動かないっていうけど、その前に相談くらいはしないと! 何かあってからじゃ遅いからね!」


ああ、こうなると暴走状態で手がつけられなくなる。

私は、優子をそっと手で制した。


「違うから、大丈夫」


「えっ、本当に? 深刻な話じゃない感じ?」


「まあ、うん」


「えっ、じゃあなに? あっ! もしかしてぇ、元カレ〜とかじゃないよね?」


「さあね」


細かい記憶に、靄がかかっている。

かといって、無理矢理思い出す労力は無い。

さっさと手元のアイスを食べて、作業を再開しようとしたが

友人の追撃はやまない。


「あんま、深入りしない方がいい感じのやつ?」


「別に。私が記憶に封をしてただけ。すっかり忘れてたから」


「なにそれ! よっぽど嫌な思い出だったんじゃないの?」


「どうなんだろう」


いつもの質問攻めを受け流しながら、記憶を薄ら辿る。


あの時、初めて自分の感情から逃げ出した。


大人になった今、それだけは分かる。


よく分からないのは、

あの時抱いた感情が、悲しさだったのか。悔しさだったのか。

それとも、狂おしいほどの苦しみだったのか。


「じゃ、話聞かせてもらいましょーか!」


そう言って肩を組む友人の腕を振り払い、

荷物を詰め込む手を早める。


「やだ」


しかし、友人は引き下がらない。


「口に出してスッキリすることもあるでしょ! ほれ!」


そう言われ、もう一個パピコを手渡される。


「本当……」


その時、また記憶がフラッシュバックする。


「自分勝手だな」


そう、あの人の声。


無表情だと怖く見える顔、よく通る声。

たった1ヶ月の短期バイトが、

ここまで心を揺れ動かすものだとは思わなかった。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


高校生活、最後の夏休み。

指定校推薦で大学が決まっていた私は社会勉強のため、

短期のバイトを探していた。


「…ここは、無し」


教室の隅の席で、

タウンワークを睨みつけながら、次々に赤ペンでバツを付けまくる。


「和美、なにしてんの…って、タウンワークかいっ」


後ろから声を掛けてきたのは優子。

手元のタウンワークを見て、


「推薦で大学決まったし、別にいいでしょ」


「はあ、いいなぁ。でもさ、大学入る時に必要な小論文あるんでしょ?」


「私、もう終わった」


「え」


「先生に、提出にはまだ早いって言われたからまだ手元にあるけど」


「……わぁお」


若干引いてるのに腹が立ち、睨みつける。

しかし優子は、そんな私の様子を気にせず話を続ける。


「で。バイトってことは、なんか欲しいもんでもあんの?」


「別に。暇を作りたくないだけ。どうせ、大学に入ったら社会勉強のためにバイトするから。何事も、早く行動するに越したことはないし」


「バイトに社会勉強を求める高校生、アンタくらいしかいないね……」


「行動に対して目的がないのは、嫌いなの。効率悪いから」


「相変わらず頭固いねえ」


無言の私をしばらく観察した後、


「バイトなんて、ネットで探せばいいじゃん?」


そう言ってきた。


「……信用できるの?」


私は、優子に不信な目を向ける。


「え、なに。そこ疑ってるの? 大丈夫大丈夫! うちの兄貴、しょっちゅうネットで探した仕事してるし」


そう言うが早いか、

ポケットからスマホを取り出し、タタッと画面をタップする。


「あ! これ、これいいじゃん! 近所のプールのバイト!」


「私、泳げないけど」


「泳がなくていいんだって! ほらほら、受付とかぁ、遊具の片付けとかだってさ」


興味なさげに差し出されたスマホの画面を見る。

場所は、地元の公民館の隣にあるプール施設。

距離も近いし、時給も1000円と悪くない。


「……いいかも」


「おっ、じゃあ、U R L送っとくね!」


ピロンと自分のスマホが鳴る。


「いいなぁ。かっこいい男の人とかいたら、教えてね!」


「優子もバイトすればいいじゃない」


「やだよ〜。高校最後の夏休み! 遊ぶ一択しかないっての」


「まったく……」


いつもこの調子の優子に、振り回されている気はしつつ、

こうやって助けられることもある。

本当に、不思議な繋がりだ。


「ちゃんと、愛想良くするんだよ? 和美は可愛いんだから、勿体無いって!」


可愛くしたからって、何が得られるのか?

そんなことより、大事なことがあるだろう。


「疲れるだけだから、必要ない」


キッパリと言い返す。


「ええ〜」


和美の態度に、不満そうな優子。


「でも、ありがとう。ここで頑張ってみる」


お礼を言い、タウンワークを鞄の中に仕舞い込んだ。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


無事に採用が決まり、

バイトが始まってから1週間ほど経ったある日。


体調不良で遅刻をしてしまった。

遅刻自体がほぼ初めてのことだったので、

私は動揺しながらバイト先に向かった。


「おー、おそようっす」


この人は、栗原さん。

同じくプール事務のバイトをしている、いわゆる同僚だ。

年齢は大学1年生で、ほぼ年が変わらない。


「すいません、遅れてしまって」


「体調不良だったんすよね? しょーがなし! です!」


口調や態度は軽いが、根が優しいことはこの1週間、接してみて分かった。


「ここにいたのか、栗原」


すると、もう1人男の人が近づいてきた。

彼は、海原さん。

プール事務のリーダー的存在だ。

大学3年生で、この中では1番年上。

真顔が怒っているように見えるので、少し近寄り難い時がある。

笑顔をほとんど見たことがないのも、1つの要因かもしれない。


「うお、海原さん。チィっす」


「そろそろ交代の時間だろ」


「はいはい〜。じゃ、俺は行くっす」


栗原さんが去っていくのを見送った後、

私の方に向き直る。


「海原さん、遅刻してしまってすみません」


「体調不良はしょうがないさ。少しは良くなったか?」


「はい。少し休んだら、良くなりました」


「本当に大丈夫か? 休んでもいいんだぞ」


「いえ。大丈夫です。すぐ着替えてきます」


海原さんは、さらに何かを言いかけていたが、

それをさえぎるようにして、ロッカールームへ駆け込む。


その日は、なんだか仕事に集中が出来なかった。

記入用紙への案内をミスしたり、

ビート板の山を、足を引っ掛けて倒してしまったり。


受付の椅子で落ち込んでいると、

海原さんが声を掛けてきた。


「お疲れ様」


「海原さん」


「ポカリ、飲めるか?」


差し出されたポカリを受け取り、少し口に含む。


「ありがとう、ございます」


隣に座った海原さんは、

何を話す訳でもなく黙って前を見つめていた。

その視線の先には、栗原さんがいた。


「栗原さん、元気ですね」


栗原さんは、陽気な性格も相まって、地元の子供たちから人気だ。

一緒に遊んでいる様子をよく目にする。


「アイツが時々羨ましくなる」


ボソッと、海原さんが呟いた言葉にびっくりする。


「え?」


「俺は顔が怖いのか、あまり近づいてくれなくてな」


苦笑しながら私の方を見る。

なんて返していいか分からず、斜め上の返答をしてしまう。


「栗原さんは……チャラく見えますが、根は優しい方だなと思います」


「……そうだな」


「え?」


「俺にはないものだなって思って」


「ない?」


「……親やすさ、とか?」


「……ぷっ」


「お、おい……笑うことはないだろ」


海原さんが戸惑っているのが分かる。


「すみません。ちょっと、意外だったので」


「……笑った顔、初めて見た」


「え?」


「無表情が売りの似たもん同士だし、お互い様か」


「私、そんなに無表情でしょうか」


「まあ、割と」


「笑顔って、そんなに見せなきゃいけないものなのでしょうか?」


「え?」


「愛想良くした方がいいって、友人から言われたことがあって」


海原さんは、しばらく考え込んだ。


「栗原を見ていれば分かるんじゃないか? なんとなく、その理由が」


『大事なのはフィーリング! 考えるより、感じろってやつっす』

前に栗原が話していた言葉を思い出す。

あの時はピンと来なかったが、今の話をへて、なんとなくその感覚が分かった。


「フィーリングってやつですか? ……頑張ってみます」


「いいね。フィーリング」


そう言って、手元のペットボトルを飲み干した。


「まあ、正解が分からない、ってのもありだと思うけどね」


「分からなくて、いいんですか?」


「いいんじゃないかな。結構そういうもんだと思うけど。何事も」


物事には白黒つけない方がいいこともあるんだよ。

そう言って、海原さんは今日イチの笑顔を見せてくれた。


その日以来、

私はよく海原さんと栗原さんと話すようになった。

そして、バイトも最終日に近づいたある日。


「これ、やるよ」


そういって手渡されたのは、1枚のC D。

飛ぶ鳥を落とす勢いで人気が急上昇している、女性アイドルグループだ。

曲はよく知らないが、学校で同級生がよく話しているので、

名前だけは知っている。


「海原さん、好きなんですか?」


「いや、俺はよく知らないんだ。そのグループ」


「へ?」


ますます分からない。

C Dを手渡すくらいなのだから、好きなのではないか?


「まあ、気にせず貰ってやってくれ」


「はあ……」


今は、こういったやり取りが普通なのだろうか?


「人からC Dを貰うの、初めてです」


ジッとC Dジャケットを見つめる。

私と年がさほど変わらないであろう女の子たちが笑顔で写っている。


「海原さんは、どうしてこれを?」


「あー、実は……」


「海原さ〜ん。ちょっち、コッチ来てもらっていいですかぁ」


扉の外から、栗原の声が聞こえてきた。

相変わらず軽いが通る声だ。


「今いく」


少し大きめな声で返事をした海原は、

すまなそうに


「休憩中にごめんな。じゃあ、また後で」

そう言って去っていった。



「いえ……お疲れ様です」


この時、なぜか心がモヤッとした。


こんな感覚、生まれて初めてだった。


何かを感じて悩むのは、効率が悪い。

そう思ってずっと生きてきた。

しかもなんとなく、

この悩みは1人で抱えて解決するものではないと感じた。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


そして、モヤモヤを消化しきれないままバイト最終日を迎えた。


海原さんと栗原さんに挨拶するために、事務所に入ろうとするが、

中から2人の会話が聞こえてきて、ドアノブにかけた手が止まる。


「海原さん、この後予定あるんすか?」


「由美に会う予定だが、なんだ?」


「いや、時間あんなら飲み行きてえなぁって」


「お前まだ未成年だろ」


「もち、飲み会はソフドリです! てかてか、由美ちゃんって海原さんの彼女っすよね? あの、アイドルが好きだっていう。C D貰ったお礼もしたいし、ぜひ会ってみたいっす!」


「分かった分かった、また今度な」


「そう言って、海原さんいつまでたっても会わせてくれないじゃないすかぁ!」


彼女がいる。


思わず、手に持っていた鞄を落とした。

息が苦しくなる。

自分の状態がよく分からなかった。


どうして? 私はショックを受けているの?

彼女がいることくらい、まったく不思議じゃないのに、どうして私は。


私は、2人に挨拶をすることなく、走って帰っていった。


それから、私はそのことについて考えなくなった。

向き合いすらしなかった。

この感情は、無かったことにしたのだ。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


そして、現在。

今年大学を卒業し、会社勤めも少し前に始まった。

あの頃の夏の思い出は、

何年も前のことのように感じる。



そして、今部屋に流れているのは

今ではT V出演の常連になっている『ララモード36』


そう、海原さんから貰ったあのC Dの曲だ。


「こんな曲だったんだ」


「有名じゃん。知らないの?」


「そんなこと言われても、アイドル興味ないし」


「アンタ、テレビ見ないからねぇ」


「テレビは、ながら見になるから効率悪い」


「でた、お得意の効率重視」


段ボールを作りながら、

優子が和美に問いかける。


「じゃ、昔の思い出を辿るのも、効率悪かった?」


子供すぎて、無意識に誰かを傷つけていたかもしれないあの頃。

自分の感情に向き合うのが怖かった、あの頃。

きっかけが無ければ、向き合うこともなかっただろう。


「……割と、そうでもなかったかも」


その返答を聞いた優子の顔が驚きから、笑顔に変わる。


「本当?」


「うん。……あの頃の私は、恋をしていたんだってはっきり分かったから」


私の言葉を聞きながら、ふんふんと頷く優子。


「昔の気持ちに向き合うって、なかなか疲れるよねえ。いいことばっかりじゃないからさ」


「……あの頃の自分は恋が辛いものって感じてたってこと。うん。やっと向き合えた」


「じゃあ、もう恋はしたくない?」


「……そういう訳じゃ、ないけど」


「じゃあ、今度合コン行こ! 和美なら絶対いい恋できるって!」


少し考えてから、優子をキッと睨む。


「行かない」


「え〜! なんでよぉ」


「10月には正社員雇用の試験があるの。やっぱり、恋にかまけてる暇は……」


「和美はもういいってば、これ以上しっかりしなくて。次会った時、悟りとか開いてたら嫌だよぉ」


「……開かないわよ」


「恋も社会勉強! これならどう?」


「そんな風に誘導してもダメ!」


バタバタと走り回る優子と和美。

途中からおかしくなって、2人で笑い合う。



♪ きっと、君に恋してたんだ



今年の夏は、これから始まる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る