第13話
しかし何故かミルフォードの顔が痛そうに歪み、セシリアは驚きに思考が飛んだ。
慌てて彼の状態を思い出す。そう──彼は身体に障りがあるのだ。
こんな長無駄話で引き留めていては良くない。
「っ、もう! そんな事より横になりなさいよ! 具合が悪いんじゃないの? いくら私だって体調の悪い人に突っかかったりしないから!」
「──そんな事?」
訝しげな眼差しを向けるミルフォードに、セシリアはキッパリと言い切る。
「そうよ! 私の話なんてどうでもいいでしょう?」
「わぶっ」
言うが早いか、セシリアはミルフォードの頭を枕に押し付けた。多少の不作法は無視する。
「それよりしっかり休んでよ、まだ顔色悪いわ」
ぽかんと見上げる顔を珍しい心持ちで見下ろしていると、ミルフォードは気まずそうに視線を逸らした。
それを見てセシリアはやはり彼は調子が悪いのだと確信する。
口数の少なさといい、いつもの絵画から抜け出したようなキラキラしさは鳴りを潜め、何やら不安を抱えた子供のような顔をしている様子といい……別に悪くはないが、物足りない。
けれどそんな姿を面白がったりする程、自分は子供ではないのだから。
「不安なら寝付くまで手を繋いであげるから」
「えっ」
驚くミルフォードが益々幼く見え、セシリアは両手でミルフォードの手をそっと掬う。
ぴくりと反応するミルフォードの手は、熱を持っているのか温度が高い。
セシリアが子供の頃、両親はあまり構ってくれなかったが、熱を出した時だけ、母はセシリアの寝所に訪れ手を握ってくれていた。
体調の悪さに込み上げる不安や寂しさは母の手で霧散して、たったそれだけで良く眠れたものだ。
自分だってそれくらいできる。
それに普段振り回されてばかりのミルフォードにお姉さんぶるのも、存外悪くない。セシリアはにっこりと笑ってみせた。
「だから心配しないで、ゆっくり休みなさい」
ミルフォードの手や眼差しが躊躇いがちに揺れた。
「でも、君は……まだ彼が……」
「え? なあに、まだ私の話?」
セシリアはちょっと驚いた。
「……まだも何も、君の話しかしてないだろう」
ムッと顔を顰めるミルフォードにセシリアは首を傾げる。
(……そうだったっけ?)
少し前の会話を思い出し、セシリアは口元を歪めた。
「私はルーサー殿下を好きじゃないわよ。……それに、そうね。フィリップ様の事は……そりゃあ好きだったけど……もう違うから……」
具合の悪いミルフォードにこんな話をしている自分に呆れたが、セシリアはふと彼の王太子の立場を思い立ち、言葉を続けた。
「……あの方はもうミランダ様のものでしょう? 私、人様のものを欲しがったりしないわよ」
(自国の侯爵に懸想する他国の公女なんて、煩わしいわよね)
だからミルフォードは何のかのと理由をつけ、セシリアを手元に置いて監視していたのかもしれない。
(そんな心配いらないのに……)
セシリアはあれから二人に会ってはいない。
けれどミランダからは丁寧な手紙を貰っているから、その様子は概ね把握している。
結婚して幸せでいる事、子供も三人目を身籠もっている事。そこにはいつでもセシリアへの感謝の言葉が丁寧に、沢山綴られていた。
自分は彼らにとって恩人で、それ以上でも以下でもない──他人なのだ。
遡ったあの場で既にフィリップの事は諦めたけれど、それでも不思議と涙が溢れた。
セシリアはフィリップが好きだが、ミランダも好きだ。すっかり気に入ってしまったから。
だから悲しい気持ちはあるけれど、彼らに対し恨んだり怒ったりはしていない。
二人はとても幸せな家庭を築いているのに、セシリアが割り込む余地なんて、もうどこにもないのだ。
だからと言って、フィリップをもう嫌いだとか、何とも思ってないとかではなくて……ただセシリアは今でもあの時の自分の想いを、大切にしているというだけだ。
「……だから、あなたが心配する事なんて何もないのよ」
自分の想いを畳むように告げると、ミルフォードは驚きに目を見開いた。
「それに私はただ、自分が正しいと思う事をしているだけ。あの物語の神のように拗ねて、力があるのに行動しないような人にはならないわ。私だったら何度だって挑戦して、幸せな未来を勝ち取ってみせる。──だから、挑む事はやめられないけど……出来るだけ周りに迷惑は掛けないようにしているつもりだし……」
最後は少し言い訳じみた物言いになる。
飛び出して迷惑を掛けた事は申し訳ないと思っている。けれど見過ごせないのは性分なのだ。こればかりは仕方がない。
「……君って人は、本当に……これだから……」
ミルフォードな何やら肩を震わせているが、正直くぐもってよく聞こえなくて、セシリアは首を傾げた。
(……こんな事にも気を配らないとならないなんて、つくづく王太子って大変ね)
「君に自分自身を優先させるには、どれだけ大事に思われているか教えてあげた方がいいのかな? ……このままじゃ、こっちの心臓が持たなそうだ」
「……え?」
珍しく艶めいた表情のミルフォードに気を取られ、その呟きはセシリアの耳には届かなかった。
けれど先程まで険のあった眼差しは消え、いつものような柔らかな色が瞬いていて知らず、安堵の息が漏れる。
自分の心境に首を傾げていると、ミルフォードがセシリアの手を握り込んできて、悪戯っぽく笑った。
「それじゃあ頼もうかな」
「え? ──あ、」
それがミルフォードが眠るまで側にいるという、先程の約束だと気が付いて、セシリアは慌てて頷いた。
「勿論よ!」
ぎゅっと手を握り返す。
安心したように目を閉じるミルフォードを見届けて、セシリアはそういえば初めて見る誰かの寝顔──それがミルフォードである事を、不思議な心持ちで暫く眺めた。
長いまつ毛が落とす影を、少しだけ羨ましく思いながら。
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