第12話
ミルフォードの方を見られないまま視線を彷徨わせていれば、入り口付近で目を丸くしている従者と目が合った。
益々気まずくなってしまい、セシリアはドレスの飾りをいじりながら視線を下げる。
セシリアは謝るのが苦手だ。だからこの発言は自分にとって相当に勇気が必要なものだったのだけれど……
(ちょっと! 何か言ってくれたらいいのに……)
ムスッと唇を突き出していると、躊躇いがちのルーサーの声が聞こえてきた。
「あの……兄上、大丈夫ですか……? お顔が、その……」
「……?」
何だろうと視線だけ上げれば、ミルフォードの大きな手が顔を覆っていて、ルーサーの言うお顔の状況とやらは見えないが、目の縁から耳まで真っ赤である。
「ミ、ミルフォード……もしかしてまだ体調が悪いの?」
動揺に瞳を揺らすセシリアにルーサーがチッと舌打ちをした。
「……つくづく忌々しい女だ」
「ちょっとあんた、聞こえてるわよ」
──こいつは悪態なくして自分と語らえないのだろうか。
とは言え、ルーサーのぶれない態度に少しばかりセシリアの肩の力も抜ける。感謝をする気にはなれないが、誉めてつかわしてやってもいい。
ミルフォードを挟みばちばちと睨み合っていると、大きな手が今度はセシリアの顔面を覆った。
「ぶぎゃっ!」
家畜のような鳴き声を晒しながら、セシリアはじたばたとアイアンクローを外そうともがく。
「ちょっとっ、ミルフォード!」
ブハッと息をつきながらやっとの事で顔から手を外せば、今度は苛立ったようなミルフォードに戸惑ってしまう。
「君は……」
「っ、だから。ごめんなさいってば! 巻き込んで悪かったわ──」
「君たちは、いつの間にそんなに仲良くなったんだ?」
被せるような物言いにセシリアの首はカクリと傾ぐ。
「……はい?」
誰が、誰と? どこを、どう見たら?
ぎぎぎ、と音をさせながら、セシリアは同じくぎこちない動きでこちらに顔を向けるルーサーと目を合わせた。
「「誰がこんなヤツと!」」
全く同じタイミングで歪み合う二人の顔をミルフォードが両腕を広げ左右に押し退ける。
勢いに負けたセシリアの首がゴキッと鳴った。
「……近いよ君たち」
いつになく低い声に一歩下がり、セシリアは気まずさに視線を彷徨わせた。
どうやらルーサーも兄の挙動に逆らえない圧を感じたようで、小さな声でごめんなさいと呟くのが聞こえた。
ミルフォードは小さく息を吐いた。
「まあ、いい。ルーサー、セシリア公女と話があるんだ。少し外してくれるかい?」
その言葉にルーサーは目を見開いた。
そうしてセシリアに視線を走らせてから再びミルフォードに向き直る。
「兄上! 俺は何度も進言している筈です! この女は頭が悪い! 兄上の温情を履き違え、平気で隣に居座る事でしょう! そもそもこんな、他の男に懸想しているような輩ではなく、真実兄上だけを想う淑女を傍に置くべきだと常々──」
(──ああん? 誰が頭が悪い、よ。失礼ね)
最早チンピラじみたセシリアの眼差しに気付く事などなく、ルーサーはミルフォードに跪き、必死で言い募っている。その頭からは先程叱られた事など既にどこかに飛んでいっているのだろう。
(なのにこの人に頭が悪いとか言われた──解せないわ)
セシリアは一人ぷりぷりと頬を膨らませる。
それに相変わらずルーサーのセシリアに対する疑惑は尽きないようだ。……ミルフォードの言い方にも問題があるのだろうけれど。
(んな訳ないのに。バカねー)
勿論、親切に教えてやる義理はない。
こいつはミルフォードの伴侶にセシリアが収まろうとしていると、そんな見当違いな誤解でさんざっぱら喧嘩を吹っかけて来たらしい。
しかし──だからこそ、思いついた悪戯にセシリアはにんまりとした。
セシリアはルーサーに向けて余裕を持って小首を傾げてみせた。
「あら、あなたの敬愛する兄であり王太子殿下がこう仰られているのに、その態度は何かしら? ちょっと頂けないのではなくて?」
勿論顔には嘲笑を浮かべてある。
ルーサーの頭上にムカッという文字が見えたような気がして、セシリアはちょっと楽しくなってきた。
「お見舞いなら私がしっかりしておくから、あなたは殿下のおっしゃる通りさっさと退室をして事後処理でもしていなさいな。ミルフォード殿下を煩わせないよう、弟として、ここはせいぜい励むべきでしょう?」
確かルーサーは十七歳だ。
セシリアより一つ年上だが、ほぼ同じ。そして精神年齢なら断然自分の方が高いとセシリアは思っているので、絶対的な上から目線である。
ゴゴゴと怒りを滾らせるルーサーに内心でケタケタ笑っていると、ミルフォードがルーサーの手をしっかりと握り込んだ。
「ああ。セシリア公女の言う通りだ。ルーサー、頼りにしている」
「あ、兄上……」
セシリアの言葉に怒りで顔を染めたルーサーだったが、ミルフォードのフォローに泣きそうに顔を歪めた。それから躊躇いを見せた後、セシリアを一睨みしてから足を鳴らして退室して行った。
バタンと大きな音を立てて、扉が閉まる。
「──ふ、勝った」
勝利宣言と共に息を吐き出して、はて自分は何をしているのかと思い至り、慌ててミルフォードに向き直る。
「……あ、その……ところで体調は大丈夫? ミルフォード」
改めて様子を見る限りでは、ミルフォードの顔色はすっかり元通りである。ただいつもの嘘臭い笑顔は鳴りを潜め、無機質な顔がじっとこちらを見つめていた。
(……綺麗な顔の無表情って凄くプレッシャーね……)
などと言う現実逃避な感想と共に、気まずい視線から意識を逃す。
一つ咳払いをし、セシリアは意を決して改めてミルフォードに謝った。
「ごめんなさいミルフォード。あなたを巻き込んで体調まで崩させてしまって。でも勿論公式な謝罪もするつもりでいるから──」
「いや、それは必要ない」
──だから大事にはしないで欲しい。
そんな忖度を口にする前に、ミルフォードにぴしゃりと遮られてしまった。
当然、具体的な対応については陛下に早馬で知らせ、指示を仰いでいるところだけれど、現場の交渉はセシリアがせねばならない。それなのに……
「え……でも……」
セシリアは陛下の命でお役目を与えられているのである。何もせずにいる訳にはいかない。
焦るセシリアにミルフォードは淡々と言葉を続ける。
「……いずれにしても、君の立場が公である以上、陛下の耳目が既に報告に上がっている。その
「……ええっ!?」
驚きに声が上がる。
それはつまり陛下の耳目の動きをミルフォードが押さえいたという事で……一体どこから驚けばいいのか分からなくなってくる。
「それよりも──ルーサーが勝手に来たろう? 国境を強引に越えて来た訳ではない筈だけど、それについてはこちらが謝罪をしなければならない立場だからね」
「えっ……」
──そうだろうか。
思わず返事に困ってしまう。
確かにそうかもしれないけれど……大事が過ぎて小事くらいにしか思っていなかった。
とはいえ隣国の王太子に怪我を負わせた側のフォート国が言い出せば、話は拗れるのは必須だけれど……
「……そういえばルーサー殿下って、あなたの事が大好きよね……」
それで本当に良いのだろうかと眉根を寄せながらセシリアは呟く。ぐるぐる巡る考えを整理しながらの、特に何の気なしに口にした言葉である。
「……君もね」
けれど、そんな会話はどうやらミルフォードのお気には召さなかったらしい。正面から刺すような視線を向けられて、よく意味の分からない台詞を投げかけられて、セシリアはきょとんとする。
「えっと、何の事?」
「君たちはいつも、会う度に見つめ合っていた」
「……は、はい? 見つめ……?」
ミルフォードは急に何を言い出すのだろう。
病み上がりなのだから優しくしなければならないとは思うけれど、控えめに言って頭は大丈夫だろうか。
だってそもそも、そんな覚え、全く以ってない。敢えて言うなら、セシリアの顔を見る度に睨みつけてくるルーサーを、同じように睨み返していた覚えならあるが……
「君はああいう男が好みなのか」
「……は、はあ!?」
思わず驚きに身体を撥ねさせた。
誰が、誰をと怒りを帯びた葛藤が再び頭を駆け回る。
──嫌いな相手に好意があると誤解されると、案外言葉が見つからないものである。
「全っ然、違うわよ! 大体、私の好みなら、あなたは知っているでしょう?!」
だから思わず意図しない返事を叫んでしまった。
セシリアは慌てて自分の口を掌で抑えた。
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