第3話 街の自宅にて
技術の進歩というのは目覚ましいもので、ここたったの10年でテレビは大いなる変化を遂げていた。あの頃では見る事の出来なかった鮮やかな艶色で、踊るように揺れる緻密な炎が映し出されている。近所に展開されている工場の排ガスがほのかに充満し、鼻孔を擽るようなボロアパートの一室には、つくづく似合わない代物だった。壁一枚を隔てているはずの隣室から聞こえる赤子の鳴き声からは、俺の耳を劈かんばかりの勢いで母の施しに抵抗を示している様子がありありと目に浮かぶ。今朝のニュースを読み上げるニュースキャスターの苦労は報われないが、しかし少女を媒介して俺の耳には確かに届いていた。
「え~……と、昨日午後0時に発生したシューグリッズ市での市街地爆破事故について、警察は刑事上の
少女はテレビ画面に向けていた指示棒を折りたたむと、その場で軽やかにターンをする。すると、朝の情報番組を司るに相応しいフォーマルなオフィスワンピースの裾が躍動し、元の軸に向き直る頃には普段の装いへと姿を変えていた。俺は、その見事な曲芸を
「私の管轄でないから仕事の出来栄えは割愛するとして。眠い目擦るのに夢中で、耳と目と口がお留守だったみたいだけどさ。お前の運転するボルボ244GLが郊外方面に逃亡していく様が見切れてるんだよ。迂闊だったねぇ~……私は、映らないから。落ち度はないよ。お前にだけはある」
「……割れる身元が無いんだから、どうだっていいだろ。どうせ組織の連中が上手いこと処理するはずだ」
「なんだぁ、お前ってば。もしや自暴自棄?いじらしく拗ねちゃってさ。手を抜いて楽して許される気でいるんだ?夜空に燦然と輝く一等星の涙滴で、明日が雨模様なのは確実みたいだね」
少女は指を鳴らすと、今度は清楚を前面に押し出したナース服へと装いを変えた。床を蹴って浮遊すると俺が装着しているヘッドギアに埋め込まれた小型ディスプレイを覗き込む。
「さて、ここで今朝の脳味噌ストレッチタイムを設けようかな。お前の精神不和値はいくつでしょう。ニアピンは無しだ、これはバラエティじゃないのだし。一端のドキュメンタリーだよ。主題は、連続爆破事故の実行犯は倫理観に苛まれるか?でいこう。だって、不朽であるし色褪せないから」
「確かに、昨日は腑抜けた成果だった。巻き添えとなった無根者の人数を考慮すれば、125だろ」
「次いで今朝も腑抜けっぱなしだなぁ。当人が見誤るだなんて、お前も案外謙虚なとこあるんだ?ちなみに、正しくは159だよ。数値を見るに髑髏の群れは昨日よりも勢いを増して、お前を飲み込もうとするだろうね。とはいえ、だよ。そんなときの私じゃないの」
フォークとナイフの並びに置かれている注射器を指差すと、少女は猫なで声でお伺いをたててくる。
「円滑な仕事は、十分な睡眠と豊富な食事と至極の娯楽が源だろ?近年の情報社会で、くよくよ悔やんでる時間は省くに限るよ。値は張るしコスパは悪いけども、都合よく度外視するのも賢い一手だ。賢明な延命、さすれば最上の天啓。使命を燃やせって。滾るだろ、ドーピングって。お前の土俵は復讐“劇”であって国際規模の競技大会じゃないんだ、渋るなよ」
俺を追い続けるガシャ髑髏の音頭は、背後に憑いて離れようとはしない。俺自身が彼ら彼女らの成仏をよしとせず、しかし逃避を続けているからだ。昨日は幸いにも逃げおうせたものの今日も同様に運が味方をする確証はない。それに、俺の精神の象徴である少女が消失すれば復讐劇も幕を下ろさざるを得なくなる。幻影の維持には、精神不和の解消は必須であり、保険をかけてでも努めるべきだった。
俺がそう結論付けて注射器へと手を伸ばした時————訪問者は、チャイムをよそに玄関を蹴破って敷居を跨いでいた。
「相も変わらず浮かない顔にうだつのあがらない生活……はたして、卵が先か鶏が先なのか。芸能人は発展途上で上等な賃貸へと住まいを移すそうだが、いわゆるジャパニーズゲン担ぎというものらしい。お前に必要なのは、そういったマインドの矯正だな」
鈍く光る絢爛な装飾品を身につけ、この街に不似合いな中華服に袖を通している男は、濃度の高い色付きの眼鏡で瞳を覆い隠し、本意を俺に悟らせなかった。
「おい、俺の家は土足禁止だぞ。東洋の知識人ぶるなら足元を見ろ」
「俺はそんな真似をしない。互いにフェアでなければ、良好なビジネスの構築と維持は儘ならないものだ」
俺の対面に椅子を移動して腰かけると、男は食卓の中央に置かれているバゲットを断りも無く頬張った。
「いやはや、バゲットはガーリックに限るなぁ。俺はこの味しかバゲットの顔を知らないが、ガーリックが本命だと胸を張って言える」
「裏稼業を牛耳ってる上場企業の終身名誉顧問サマでも案外、質素な生活を送ってんだな。金持ちってのは往々にして明け方にはアサイーボウルしか喉が通らないって俗説を、アンタが裏付けるのかよ」
「偏見の大元は嫉妬ではないだろう?けれど、お前は俺に理想を見出しているようにも見える。だが、残念だ。俺らの社会は近年稀にみる不景気に陥っているのだから」
男は懐から一枚の上質な紙を取り出すと、バゲットが並べられている皿の上へと優しく被せた。インクの写りを危惧して咄嗟に掴み上げると、その紙には無数にも感じられる量の文字と数字が列をなしていた。
「刑事上の
男は声高らかに言いあげると、厚さの薄い封筒を俺に差し出した。
「なんでも、ピーター・ミラー主犯の性被害にあった女性から報酬金に上乗せで謝礼だそうだ」
「嘘つけよ。性被害の根源でもある違法ポルノ売買の親玉だった奴の息子に謝礼を出す馬鹿がどこにいるんだ。№13gate事件は、たった10年で風化する社会問題じゃないだろ」
「逆に、だ。お前の奉仕活動の甲斐あって見直されたんだろ。悪党の息子から、罪を償って自殺した母親の息子としてさ」
「任務の実行人が俺だと知って、金を踏み倒した奴もいたのにか?こっちは火の車だってのに」
「縁起でも無いこというなよ。しかし、お前ら加害者家族に課せられた慰謝料返済の義務に焦って雑な仕事をされると俺も困る。事後処理に追われて東奔西走しまわらなくてはならなくなるだろ」
事後処理とはいうが、要はアコギな商売のことだ。被害者に莫大な支援金を渡すことにより組織経由で指名手配をさせるが、それは実行犯であり組織のドル箱でもある人物を警察の目から逃すための策だ。そしてなにより、組織からの逃亡を企てた人物に懸賞金をかけることで迅速に内々で処理するための策でもある。組織に所属する者は全員が債権を組織に握られている。かくいう俺も、№13gate事件の主犯である父親に課せられた膨大な慰謝料の返済を組織が請け負っている関係で、
「なら、報奨金の高い仕事を回してくれよ。それか、俺の序列をとっとと上げてくれ。俺が火の車なのは上が詰まってるせいだ。古参に贔屓すんのは勝手だが組織の新陳代謝が悪いと経営ってのは、傾くもんなんだよ」
「俺は耳が痛いのに、ところでお前は耳聡いな。組織内序列№8のフィフス・センテンス・センス・セルバンテスが警察に捕縛された。よって、お前は№10に昇格だ。今日という吉日を境にセルフィア州の管轄はお前に一任する。報奨金も馬鹿にならない額になるぞ?」
「悲報あってこそだと喜びようがないな」
「手放しじゃ喜べないってか?」
男の声は喜色に弾んでいた。だが同時に、冷徹にも俺の一挙手一投足を余さず捕捉しようとしている。
「まぁ、人材を失って損するのは俺ら上層部だけのもんだ。それが同士討ちでないことを祈るよ」
「ああ。俺もそう祈っておく」
男は俺の相槌を一笑に付すと、指に付着したドライパセリを落とすべく明細の上で指を一通り擦り合わせると挨拶も無しに背を向け、またしても土足で敷居を跨いで去っていった。
「もしアイツが捕縛されれば、中華服のお下がりはお前に回ってきそうだね?」
「そう縁起でもないこと言ってやるなよ」
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