第2話 直上の街にて
踏み抜いたペダルに重心を預ければ、エンジンは熱を帯びて轟音をあげなからしみったれた街中に導線を引いていく。
「ローダー街SW1が今逃避行の終着点だね。この裏路地を抜けて次を左折したら速度に身を任せて直進。そうすれば、愛車との再会を果たすことになるのだし、その腕に付いた
物理法則に逆らって、靡かない少女の黒髪は緩やかな曲線を描いていた。いつかの夜を共に過ごした相手の残留思念かのように、涼しい顔で助手席に佇んでいる。あどけなさの残る少女のナビゲーションは皮肉と混在しながらも、
「さぁ、大詰めだ。進路に沿って前だけを見て、決して振り返らないように。決して、だよ?見たらどうなるんだろうとは思うけど。他意はないから気にかけずともいいよ?」
助手席から身を乗り出して、少女は俺の首に腕を絡ませて呟いた。俺が無視を決め込むと拗ねたように鼻を鳴らし、「ウ~ウ~」と救急車のサイレンを真似る。
「目に焼き付いている?あれはベビーカーだった。
少女が誘発した動悸は、足早に体温を上昇させる。少女のサイレンを引き継ぐ形で、俺が後にした地区の方面から鳴り響くサイレンの音は甲高く、現場の悲惨さを周囲に
「尊い犠牲だった、そうだろ?なら、向き合えるはずなのに。とうのお前は直進あるのみで振り返ろうともしない。もしかして、復讐劇の観覧客だとでも思っているのかな?彼らは肉体ひいては輪廻からの解脱へと導いたお前を拝んでいるんじゃなく、お前の死に様を拝むべく行進しているに過ぎないんだよ」
少女が言い切るよりも先に、車体の前方で爆発音が鳴った。身体が浮かびあがる程の衝撃に閉じていた目を開ければ、爆発の起きた箇所にあったのはガシャ
「命を灯に例える比喩は数あれど、つまるところ蝋燭が命であるのか灯が命であるのかが疑問だよ。灯であるのなら、チンケな位置の蝋燭など捨て置いて風の届かない軒下にでも移せばいい。お前もそう思うよね?逃避ってのは、賢明で迅速でないとダメだ。でも、風に煽られて揺らめく灯の輝きは人々の心を魅了する。私もそれには同感だ、ってことはお前もだろ?」
「……そりゃそうだ。ごもっとも」
ガシャ髑髏の群れは
「そうそう。それしか能が無いのだから、開き直って堂々と生きればいい。生き様の気高さで人生を語るのが理想に決まっているしね」
空間を隔てる表裏の膜を突き破る勢いで、俺の車は大通りへと躍り出る。騒ぎに屈せず公道でひしめき合う車の間をかいくぐって左折をすると、およそ1㎞先の正面に構えている年季の入ったアパートが、四散するその時を今か今かと待っていた。
「ご参考までにどうぞー。あの邸宅に住まうはピーター・ミラー、初犯は22歳の頃で未成年への強制猥褻が罪状。その時の映像を餌に、今は亡きお前の父親が発足した
少女はいつの間にか装着していたサングラスを外すと、道の左側に流れている川にめがけて放り投げた。
「大手柄を前に腰が引けてるようじゃあ、復讐ジャパニーズ鬼には成り得ないのだし?皮膚がまくれあがって口内が外気に晒されるだけの加速を見せろよ」
接触寸前で交差する対向車のクラクションが耳元を次々と過ぎ去っていき、後方から機械同士が圧着し木っ端微塵になる音が聞こえた。おそらく、爆破を経て炎上には至らないだろうが運転手の重傷から同乗者の軽傷は免れられない規模の衝突だ。
「さぁ!毎度のことながら心躍るじゃないの!夢心地だよ、死に腐れだからかな!?世界の階層が天国と現世と地獄の三層だとしても、今ここは新たなる四層目なんじゃないの!?」
「……俺も同感だよ。で、代弁者もほどほどにナビゲーションの役目も果たしてくれないと困る」
「そんなんはわかってんだって。でも、これは綺麗ごとじゃない。バイブレーションなんだ、地殻変動だろ。つまりは、四層目の生誕に立ち会っている証拠——奴の邸宅の右にあるパーキングにお前の愛車は停まっている。速やかに対象への衝突及び導火線への着火を済まし、逃避行に備えよ。そして……ね?左手に見える川が此度のキーマンだ、身を委ねなさいね」
少女は外へと身を乗り出すと、損壊を繰り返し全開となった前席窓から顔を出して自身だけ離脱準備を整えていた。
「女の尻を追うなんて屈辱的だと、言い切れればいいものの。実際のところ私はモルモットだね。けどまぁ、私は先に失礼するよ。しんがりも特攻も御免だけど、レディーファーストならば甘んじて受け入れるとしようかな」
終着点を500m先に控えた今、少女はサングラスの後を追うようにして左手側に流れている川へと身を投げた。赤針は100を指しており、波紋はおろか水飛沫さえも目視することは叶わない。しかし、それもまやかしに過ぎないのだ。そのため俺は、呑気にも俺自身が引いた導火線の経路を頭の中に映し出していた。此度の対象となっている
「母なる大地に根を深く張った司法は、いわば人類の父かもな。けど、我が子の謀反の一つも許さずに大黒柱は務まらないだろ」
対象との距離およそ100mを前にしてジッポライターを懐へとしまい直すと、俺は遮蔽のない前席窓から乗り出してその身を川へと投じた。高度との落差で皮膚に衝撃が走り、水泡が耳を蹂躙する最中、膜の張った向こう側では爆炎の上がる轟音が粗く響く。水面から顔を出せば、最高速度をそのままに対象を穿った車が炎上して住宅は火の達磨と化していた。
そして、なにより。
へその緒を辿るようにして、導火線となっているガソリンの上を火が駆け抜けていく。予め垂らしておいたロープを伝って道路へと俺が乗り上げる頃には、遠くから立ちのぼる黒煙が上空を包み込んでいた。目を凝らして観察すれば、俺が意図して中継していた対象の住宅がある方面から続々と黒煙が上がっている。
「さて、いよいよ逃避行の始まりだ。ボランティア団体に毛布を差し出される前に、とっととお暇しないといけないよ」
水中へと飲み込まれて留守にしていた少女は、停車している愛車のボルボ244GLのフロントに水も滴らせずに寄りかかっていた。さっさと乗車してキーを回せば、甲高いエンジン音が響く。俺は再びジッポライターの炎を己が目に焼き付けた。そうやって、自らが背負うべき業の象徴が業火であるのだと念じて良心を説き伏せれば、サイドミラーにはもうガシャ髑髏の群れは映らなかった。
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