螺旋経路の直線輪廻

暁 至

第1話 輪廻の直上にて

 輪廻というものは螺旋状でも弧でもなく直線を描いている。齢15を迎えた俺の精神世界に未だ住まう少女と帯同し、俺はの直線上にいた。


「この世に安寧は無いよ。恐れを捨てて、どうか囚われずにね。健やかな寝息を立てる赤子のように目を閉じておくといいよ。決別はその一瞬に喫するだろうから」


 耳元で囁く少女のあどけない声が前方にある護送車へと意識を誘って、俺を奮い立たせる。途端、禁忌を前に震える身から汗が吹き出してハンドルを握っていた右手が滑り落ちた。


「母子が救われる道を、お前は断ち切る気なの?鉄槌を下せってば。息子の責務を果たせってば。死して贖った母親の無念を想えってば。正義を盾に尊い犠牲だと嘆いとけってば」


 少女は虚空を両手で掻いて泳ぐようにして移動をすると俺の股の間へと座して、ペダルに足を添える。


「父子の絆は復讐にこそあるんだよ。わかったのなら恐るるなかれ、だ。現世に別れを告げ、このボルボ244GLに身を委ねなよ。倫理にかまけていないで、さぁ?」


 少女は顎を突き上げてまで俺の顔を窺った。その緩やかに歪められた口角が火をつけるのは、自身が持つ反骨心に他ならない。


「……じゃあ始めんぞ。そんで、終わりだ」


 俺は、ハンドルを握り直すと少女の足諸共もろともアクセルを強く踏み抜いた。メーターの速度表示は標的の拡大と比例して、より膨大な数値を指し示す。路面と車輪の摩擦が引き起こす振動は俺の意志をぞんざいに揺さぶり、確固たる決意へと凝固させていく。

 地響きに近しいエンジン音が左右を取り囲む建築物によって反響し、血液よりも早く俺の身体中を駆け巡った。目前に迫る護送車は、容疑者の乗車を確認し発進を間近にしている。


 俺は進行方向に微調整を加え、息を一つ吐いた。脳裏を駆け巡るのは、ありし日に見た母さんの笑顔だ。俺と同じく潔白であった身を投げてしまった母さんの悲願を糧に、託された愛車は閃光の如く空間を切り裂かんばかりに直進し——護送車のだらしない土手っ腹へと身を捩じ込ませた。


 刹那、視界が赤く染まる。耳を占領したのは轟音。鼻は硝煙しょうえんで焼き潰された。直後、骨身に走ったのは激痛であって俺は重苦じゅうくに喘ぐ。すると、強烈な破裂音と共に俺の身は車体の外へと投げ出された。アスファルトに叩きつけられ、肺からは酸素と血が押し出される。眼球に纏わりついた血液を厭わず目を開ければ、その先には炎上する護送車とボルボ244GLの姿があった。そしてなにより、爆炎に呑まれて肉を焼き、骨を焦がす罪深き父親の姿を見た。焼き爛れた皮膚を纏った骸は、父親を除いて他にも複数行き倒れている。思い起こされる母さんの怨嗟が薪を焚べていき、炎は猛々しく燃え盛る。俺がその日に見たのは、まごうことなき業火だった。


「終幕は目前、されど遠いね。母子の絆では、輪廻からの解脱には至らなかったか。とはいえ、務めを果たす他ないよ。でないと、夜空に瞬く一等星に顔向け出来なくなるだろ?」


 けたたましいサイレンと四散する火花の残響を遮って、少女の明け透けな一声は俺の聴覚を柔く刺激する。俗世に執着する自らの生命力を振り絞って身体を起き上がらせると、業火を背にこちらへ歩み寄る影があった。間違いない。東洋に巣食うガシャ髑髏どくろの群れだ。恨み節を口ずさみながら、警官の勲章が打ち刺されている肋骨を引き摺っている。たまらず俺が後ずさると、少女は俺の右肩にかかと落としをくらわして地面へと身体を縫いつけさせた。


「己のツキを憎むのなら、司法と父親を祟るんだね。使命が勝るか、自責に屈するのか———人の生涯は劇的でないと美談にもならないんだし。亡霊にもなれなかった死に腐れ同士、ここは結託して地の果てまで逃げ果せてやろうよ」


 少女は、熱風により変色した皮膚で飾られた俺の頭部を抱擁する。視界が閉ざされると忍び寄る百鬼夜行の音頭は、水底へと沈むようにしてくぐもったノイズへと変換されていった。瞼の裏に焼き付いた父親の亡骸は霞がかっていき、沈黙に付した常闇が訪れる。


「精神の安寧は私に預けられているのだし、この手で悪鬼羅刹を退けてあげたっていいよ。でも……わかるね?お前の内界に住まう私にだって限度はある、空想には限度があるんだ。信じられなくなれば終わり、足を止めたら終わりだよ」


 胸中で語るのではなく、肉声で少女の呼び声に応える必要が俺にはあった。枯れた喉を鳴らしてみっともなく酸素を取り込み、一音ずつ吐き出していく。


「あ、ぁ……う……ぐ、さ……だ」

「そうだ、そうでないといけないね。復讐劇の火蓋を切るには大変よろしい啖呵じゃないか」


 歪な復讐心は螺旋状に天まで伸びて、立ち上る黒煙を纏って空をも貫く。それに垂直であるのが道であって、起伏の無い俺の直線輪廻だった。

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