依頼番号XX (11)
「あらあら、カメリア堂さんったらお留守みたい。わたくしのことをお探しと聞いたのは気のせい? でもわたくしの力が必要ないならそれはとても素晴らしいことね? ねえメアリ?」
深い森の奥の奥。水晶のカメリアで囲まれた家の前に、一人の女性が立っていた。活動的な乗馬服に清廉なシスター服を合わせたような奇抜な衣装だが、その背に輝く一対の翼と癖のある銀髪にはよく似合っている。
どこぞの芸術家のミューズでもやっていそうな美貌で幻惑的な庭に佇む姿は絵画のようだ。
絵画であればよかったのに、と式越しにため息をつく家主がいなければ、の話だが。
「あー……すみません、陛下」
留守番を任せた式の視覚共有がよこした光景に頭痛を覚えながら、店主は涙をぬぐうガランに声をかけた。
「視えておる。聖女のやつじゃな。あの様子だとあそこで野宿するかさっさと別の街に行くかしよるわ」
「どちらにしろ面倒ですね」
『眼』を使ったらしいガランが発した言葉には実感が伴っていた。店主の顔がみるみるうちにげんなりと萎れていく。
<救世の聖者>アンヘル。まぎれもなく聖人としての適性にあふれた気高い精神をもつ、清く美しく優しく強い存在だ。それに関して店主も全く異論の余地はなく、彼女に関わったものはどんな関係であれ否定することはできないだろう。
だが、それは彼女が接しやすい相手であることとイコールにはならない。
清すぎる水が適さないものは、どこにだっている。
「許可証はあとで送ってやるからさっさと帰るがよい――無駄足を運ばせてすまんの。店主」
目元こそ赤いものの、どこかすっきりした表情でガランが微笑んだ。店主はゆるくかぶりを振って、ハンカチを一枚手渡す。
「いえいえ。貴方とこうして話せたことは得難い金の価値を持っておりますよ……また、政務が落ち着かれましたら、お茶でもご一緒にいかがですか?」
「余が退位できる身の上になったらの話じゃのう」
呵々と笑って、ハンカチを受け取った王がくるりくるりと王笏を回す。そのたびに光の粒が量を増し、店主の視界が輝きに満ちる。
「さ。送ってやる。忘れ物はないか?」
「ええ。それでは――また、いつの日か」
王笏が光の弧を描き――再び、強烈な光が瞬いた。
水晶のカメリアの花びらが風に揺られて鳴り合う音がする。
水のにおい、土のにおい、緑のにおい。涼しい風。
帰ってきたのだと眩んだ目よりも早く体のすべてで実感し、ほっと胸を撫で下ろした。
瞬間。
「あらあら、カメリア堂さん! お帰りになられたのね! 良かったわ。すれ違いにならなくて。 わたくし、お暇しようとしていたの! こうしている間にも傷病の数は増えているもの。弟子たちが頑張っているけれど、わたくしがいかなくては死んでしまう方がたくさんいるから、早く早くと急いていたの」
「お久しぶりですね、聖女様。何かご入用で?」
「あなたでしょうカメリア堂さん。あなたがわたくしを必要としていると聞いたの。賢者様にね。ねえメアリ」
「いえお師匠。風の噂ではないでしょうか。最近賢者様にはお会いになられていません」
「風の噂を使うのよ、あの方は」
「ああ、賢者様がお伝えくださったのですね、どこまで聞いてますか」
足元にちょこんと立っていた羊頭の少女を巻き込こんで、落ち着く間もなく始まった会話劇をどうにか巻き取って尋ねてみる。
聖女と名高きアンヘルは善人であるし優しく強く美しい。けれど、強烈なその善性の余波なのか、異様なまでに無垢なのだ。澄み切っていて、掴むことが難しい。
会話ができないわけではないが、天然で劇的な彼女とわざと演劇的に振舞っている店主とでは、いささか相性が悪いとも言える。
「わたくしがお役に立てることがある。とだけ聞いております。さあ、わたくしになんでもお申し付けくださいな! この身はみなさまのお役に立つためだけにあるのですからなんなりと」
「なるほど。ではお忙しい聖女様に手短にお伝えいたしましょう。勇者様の剣が魔剣化してしまったので、聖女様に浄化していただきたいのです」
「まあまあ、なんてことでしょう! コクトさんの一大事ですのね! お任せくださいな! さあメアリ、わたくしの鏡をとって頂戴な」
「はい、お師匠」
自身の専用アイテムを弟子に預けていたらしい。相変わらず豪胆だ。そして一切の躊躇がないあたり、<救世位>の中でも聖女と勇者は似ている、
「それでは、施術を開始いたします」
手早く白い敷布と宝珠で拵えた簡易結界の中心に置いた剣に照準を合わせるように、アンヘルが両掌より少しだけ大きな銀色の鏡を構えた。
――ひとつ、ふたつと花が咲く。
全身に燐光を帯びた彼女の足に触れた葉が順に、次々に純白の花へと姿を変えていく。薬草も毒草も名を知られざる草も、一様に同じ花になって咲き乱れる。ゆっくりと翼が広がり、一枚一枚の羽根に浸透した光がさらに輝きを増して目の前の剣を抱き寄せる。
「……相変わらず恐ろしい手際ですね」
「お師匠は迷いませんから」
羊頭の少女――メアリが口を開いた。その目はじっと、術を使うアンヘルだけを見ている。まるで奇跡のような光景に惑わされることなく、そこにある事象を見届けようとしているのだとわかる、真摯な目だ。なるほど、無垢だが無知ではないあの聖女が傍に置くだけのことはある。
この少女は決して、あの聖女を祭り上げない。
<救世の聖者>アンヘル。彼女が扱う特例アイテム<穢れざる永遠の水面>は伝説級のアイテムであるが、その機能は特別なものではない。
<増幅>そして<解析>。一般に広く使われているごく普通の機能を、極限まで容量を増やしただけのアイテムと言っていい。だが、使いこなせるものはアンヘル以外には存在しない。
増幅作用のあるアイテムの仕組みは、器いっぱいに入った水に石などをプラスして溢れさせる行為を想像してもらうのが一番近いだろう。
アイテムの容量が器、使用者の力が水、機能が石だ。
どれほど器が大きかろうと、重しが重かろうと、中にある水が少な過ぎれば溢れることはない。
ただでさえ大きな力をより大きくして、そしてそれを民のために捧げ尽くす。
能力行使を行えば世界の景色を穢れない純白に変える、命を救う救世の乙女。
神亡きこの世界には、あまりに強い毒だろう。
「とんでもない成功例を作ったものですねえ」
水晶のカメリア以外のすべてが白く染まり切った庭に、店主の呆れた声がことんと落ちた。
「あらあらあら、ごめんなさいね。カメリア堂さん。ちょっとこの子が強情で力を入れすぎちゃったみたい」
燐光をおさめて振り返ったアンヘルはようやく事態に気づいたようで、周囲をくるくると見回す。
この子、と言われた剣は先ほどまでの気配をすっかりなくし、いつぞや勇者の腰で輝いていた時とまるきり同じ煌めきを取り戻している。
「いえいえ。無事浄化できたのなら何よりです。こんなことなら勇者様も最初から貴女のもとに行くべきでしたね」
「あら、そんなことはないでしょう。わたくし、たぶんコクトさんが持ってきてもこんなにすぐ対処はしなかったわ」
「おや、何故です? 貴女と勇者様は仲がよろしいでしょう」
「うーん、たぶん、カメリア堂さんがわたくしを頼ったから、かしら?」
「理由になっていないと思うのですが」
「そうかしら?」
影も穢れもない聖女の目が、鏡のように店主の顔を映し出す。
――この目が、店主は苦手で仕方がない。
「だって、カメリア堂さん? あなた、わたくしのこと苦手でしょう? そんなあなたがわたくしを頼るなんて、よっぽどじゃない」
そのものぴたりを言い当てて、聖女はにこやかに笑った。
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