依頼番号XX (10)

 始まりの魔王、その名は記録されていない。

 より正確に記載するならば、現生種が使用できる記録・伝達手段のどれを用いたとしても、その名を記録することはできない。

 その理由は至ってシンプルである。


 現生の持つ手段すべてをつぎ込んだとしても、その名一つに含まれた情報量を処理し得ないのだ。

 

 あらゆる技術、あらゆる知恵者の処理能力を上回る情報量が詰め込まれた名。それこそが、始まりの魔王が現生命よりも高次の存在であることを示している。

 そんな存在を形容する言葉こそが、<神>であった。

 

 

「いやはや、見事ですね。ヒトの身でそれに踏み込むとは」


 パチ、パチ、パチ。と店主が手を叩く音が寂れた玉座の間に響いた。


 この世において、魔王と神を結びつけることは容易ではない。

 当然だ。実在こそ疑われているものの、未だ根強く信仰は残っている。自分たちを産み落とし、この世界の期限を定め、それが済めば自分たちを楽土へ導くとされている<神>が、寄りにもよって生存圏を奪い去り暴虐の限りを尽くした始まりの魔王であったなどと知ったら、世界は再び混乱の渦に飲まれる他ない。

 おそらくこのことは、直接魔王と対峙した勇者であっても知らないだろう。今生きているものの中で全てを知っているのは、神代からあり続けている賢者と店主の二人のみだ。店主はもとより賢者もこれについては口外を避けている上に、資料となり得るものもほとんど地下に隠してしまった。

 いかに<救世位>であろうと、王者がこの結論に至るのは努力という言葉では生ぬるいほどの苦悩と苦痛を味わう必要があったはずだ。

 

 故に、店主はその不断の努力に敬意を払う。

 

「お聞かせください。貴方という一介の生命がどこまで掴んだか」

「よいのか」

「ええ。禁忌などありはしません。私たちが勝手に老婆心でやっていたことです。――もう、此処には、誰もおりませんから」

「では、答え合わせじゃな」


「結論から言おうか。この玉座におった神こそが『主人公』を殺した犯人であろう」


 店主はその言葉に笑みを深めた。


 <救世の主人公>がという事実は一般に知られているが、多くのものは世界のシステムの不具合や適格者が現れなかったという認識でいる。だが、<救世位>だけは、なぜ生まれ損なうなんて自体が起こり得たかを伝えられている。


 主人公――そうなるはずだったものは、かくあれかしと言われる前に何者かに殺されたのだという事実だけが、彼らには伝えられている。

 

 そこに真犯人を探せなどという命はひとつとして含まれていなかった。使命に従順な彼らはそれを探そうとはしなかった――ただひとり、後天的な<救世位>である彼だけが、そこにこれ見よがしに置かれた謎に手をかけた、この時までは。


「王となり、それを聞かされて以降ずっと疑問じゃった。

「なぜ? 誰でも殺せるでしょう。主人公は無力から成長するものでした。はじまる前なら誰にだってチャンスはありますよ」

「いいや。ないな。余以外の救世位は押し並べて、イチから作られたのじゃろう? ――はじまる瞬間に産み落とされるはずのものが、なぜその前に殺されることができようか。勇者や聖女から聞いたぞ? あ奴らのような生まれながらの<救世位>に親はおらん。母胎すらなく、突然出現するものをどうやって事前に見つけ出せるというのか」


 作る過程がこの世にあるならば阻みようもあるが、そうではないものに干渉できるものなどそう多くはない。

 そして、<救世位>を作るのは神であると、この世に生きるものならば誰だって知っている。

 神より冠を賜った王は、確信をもって断じた。


「ゆえに、それができたのは作り主自身のみ。すなわち神じゃ。違うかの?」

「いいえ。違いませんよ。大正解です」


 動機までばっちりです。と店主が肩をすくめた。


「かつてのあるじは主人公を作るだけでは飽き足らず、主人公になろうとしました。結果は、ご存知のとおりですけど」

「何故なれなかったのじゃ」

「さて、神は神であるというだけで完成されているからとかいう方もいましたが、結局のところ不適格だったのではないでしょうかね。『主人公』というのはそれだけ特別ですから」

「よく知っておるな。ぬしの主君も知らぬことであろう?」

「メンテナンス屋ですからね。……それはそうとして、この事実を確かめて、貴方は何をなさるおつもりで? 神が魔王であった。神が主人公殺しをした。その動機は主人公になりたかったからだ。この材料が揃ったところで、もう何にもなりませんよ」

「本当に、何にもならぬものか」


 語尾に被せるような勢いで切り込んできたガランの表情は硬い。無茶を承知で言っていることも、この発言がけして格好のいいものではないことも重々理解しているのだろう。けれど、彼は見つけてしまったのだ――せかいの終わりに引きずられて世界ごと消失するしかないこの世を救えるかもしれない、蜘蛛の糸のようにか細くも確かにそこにある、希望を。

 

「世界を作り、せかいを始めた神は五柱じゃろう」

「ええ。そうですね。<救世位>ひとりにつき一柱おられましたよ」

「なら、始まりの魔王となったものを除いても、あと四柱は残っておられよう。その御方たちに助力を乞えば」

「無理ですよ。あの方たち、もうこのせかいからはすっかり手を引いてしまっていますし、そもそもあの方たちだけでせかいを完結させることはできません」

「どういうことじゃ。神なのじゃろう。余の王笏を作ったような、あの勇者や賢者、聖女を作った神々なのじゃろう!? 作ったものに責任すら持てぬというのか!?」


 血を吐くような、声だ。

 それまでの鷹揚とした仕草も老獪なまなざしもかなぐり捨てて、それでも荷を捨てることなく、手を伸ばしている。

 最期まで民を背負い続けるという、押し付けられた荷物を守ろうと藻掻いている。

 

「……申し訳ございません。ご期待には、沿えないのです」


 そんな必死な姿を切り捨てることに、店主の存在しない心臓がギリリと痛む。

 

「たしかに、残りの四柱の方々はせかいの製作者です。けれど、あの方々はあくまで本の形を作るのが役目で、持ち得る権能のすべて。貴方たち<救世位>を作り上げることができたのも、この本<せかい>のと大枠を定めるには重要な登場人物だったからに過ぎません。――ただ一柱、<主人公>を作るための神であるがゆえに白紙のせかいを描く権能を持っていたかの魔王だけが、語り部として代理で埋めることができたのです。それに……もはや、このせかいに触れようとする神は、いません」


 ですから――諦めてください。とは、言えなかった。


 言葉を探して口を噤んだ店主の世にも珍しい気遣い姿に、難しい表情をしていたガランの眉間のしわが緩んだ。

 そっと王笏がおかれ、ゆるりと腰が落とされる。その姿はまるで長い長い旅路の中で、ついに休むことを決めた旅人のようだった。


「よい。ぬしらしくもない気遣いをさせたのう」


 威風堂々たる王でもなく、肉体に見合った少年でもない、疲れ切った老人の顔がそこにはあった。

 

「――日々、城下を見ておるとな、こんなにも民は今、こうして生きているのじゃと感じずにはいられんかった」


 ぽつん、と雨漏りのような言葉が落ちた。

 

「明日世界は終わるかもしれぬ、瞬きの次はないかもしれぬ。そんな世だと知っておるのに、みな怠惰にならず、懸命に努めて生きておる姿が、余は、愛おしゅうて。愛おしゅうて――無意味と、本能が言っておるのも無視して、あがいてしもうた」


 滑稽じゃろう。そう言い俯く彼を、店主が覗き込む。

 

「……この世界の王が、貴方であってよかったと、民はそう言うと思いますよ」

「余しか王を知らぬからじゃろう」

「いいえ、民が王を作るように、王もまた民を作るのです。貴方の強さは、貴方の民の強さですよ。それと……長く生きてきましたが、貴方の治世以上に民が幸せそうな時代を私は知りません」

「下手な世辞じゃな……じゃが、そうか」


「それなら、よかった」


 流れ出した涙はそのままに、只人の老王は照れ臭そうに笑った。

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