依頼番号XX (9)
「始まりの……。なんでまた?」
上擦りかけた言葉を飲み込んで、店主が聞き返す。話を逸らそうとしているのを察しているだろうに、ガランは特にいらだった様子も見せずいっそう笑みを深めた。泰然、という言葉がよく似合う。
「なに、この目で見たことがないのでな。この機会に見ておくのも王の役目と思うただけじゃ」
「もはやあそこに見るものなんてないと思いますよ。もう十以上あの魔王の後に発生した者がいるのですから」
「それがその前を知らずともよい理由にはならぬであろう」
まだ変声期を迎えていない、透き通るようなボーイソプラノを発する声帯で紡がれているとは思えない、苦みを含んだ声だった。
<救世位>の中で賢者に次ぐ年数存在し続け、ここに至るまでに幾度も死んでは生まれ、生まれては死ぬ。死後の安らぎのない円環を歩み続ける王は、それでも背を曲げることはない。
あらゆる苦悩を背負ってこその王であるとその身で示すように。
「……貴方があの城のあるじであるなら、この
「さてな。余は余の歩んできた道ゆえにこの在り様に落ち着いた。そうでない道を辿った余の行動など確約できぬわ」
「もしもの話、というやつですよ。確約などする必要はありません」
「必要がなかろうが、約束できぬことを軽々に口にすることのできぬ身でな。それにあまり悠長にしているわけには行かぬのは余も同じことなのじゃが……ふむ、なかなか思い切りが悪いのう。幽霊」
「臆病者ですので」
「よく言う。では余が命じてやれば言い訳になるか」
「なぜそんなに私を誘うのですか。おひとりでいくらでも行けるでしょう」
国土内のことはすべて感知しているとはいえ、一応牢屋に入れられていた店主の元にも護衛なしでやってくることができるのだ。もはや誰も居はしない廃城に行くことのほうが余程容易い。
「なんじゃ。知らぬのか」
そこではじめて、ガランは王としてではなく少年らしい笑みを浮かべた。
「旅行じゃぞ? 友と一緒にいきたいと思うのは当然のことであろうよ。余、ひとりぼっちは嫌いじゃし」
「はい?」
虚を突かれた店主を余所に、ガランはくるんと王笏を回転させる。軌跡を光の粒が追いかけ、宿屋のなんてことない一室で風がひとつふたつと舞い上がる。
「文句はついてから聞く故、今はついてくるがよい」
そして、強烈な光が瞬いた。
***
蔦の這う巨大な石畳、今よりずっと古い様式の柱が等間隔にずらりと並ぶ回廊、刻まれた男の横顔がごっそり欠け落ちて黒く汚れたレリーフ、灰色の無表情な空が見下ろす大穴の開いた天井。
正真正銘、初代魔王がかつて拠点として、そして死に絶えた城だ。
「うわあ、本当に来ちゃいましたよ……」
「うむ。今生においての初使用も上手くいってよかったよかった」
げんなりとした顔の店主とは裏腹にガランが満足げに頷いた。その健在ぶりを確認するように王笏がカツンと石畳を叩く。
特例アイテム【天意の王笏】。
国宝を兼ねている上に、王しか手にできないアイテムとして正確な等級判定に出されたことはないが、まず間違いなく伝説級のアイテムである。
効力は判明しているだけでも三百を超えており、代表的なもので言うと国土すべてを知覚する『眼』、想いを届ける『聲』、敵から民を守る『腕』などがある。
おそらくこの移動に使われたのは、国土内を自由に移動できる『脚』だろう。当然店主が王都までに使ったアイテムとは比べ物にならず、移動人数ならびに質量は無制限・超長距離移動可能・回数制限はほぼナシという例外っぷりだ。
「こちらを実験台にしないでください」
「そんな非道をするものか。失敗したら余の胴体も泣き別れじゃぞ? どんな被虐趣味だと思っとる」
「悪趣味ではあるでしょう。<救世の王者>ともあろう人がこんな所をわざわざ旅行先を選んだ上に、私なんぞを友と呼ぶなんて」
「余以外の<救世位>は全員ここに来とる。むしろここに来ない方がよほど座りが悪いというものじゃろうて」
「そんなものですかねえ。まあ、来てしまったものは仕方ありません。ご案内いたしましょう。我がかつてのあるじのもとへ」
店主は観念したように頭を垂れた。
朽ち果てた城の中を店主とガランが進む。
勇者に打ち倒されて以降、よほどのもの好き以外近寄っていないのだろう。当時の戦闘の跡をほとんど残したまま、静かに城は死の淵に沈んでいるように見えた。
経年劣化で落ちた天井、崩れた壁やゴーレムの体などでいくつかの通路は使えなくなっていたが、足は通路を覚えているらしく、そう時間もかからず迂回路へと出ることができた。
(もう少し、郷愁などがあるかと思ったけれど、何も感じないな)
乾ききった感想だけが胸に浮かんで音もなく消えていく。
元々愛しても憎んでもいないあるじではあったけれど、自分の酷薄さは予想以上だったらしい。
しばらくすると、大きな扉の前に出た。扉と言っても、塞いでいるべき重厚な鉄板はどこにもない。勇者がやってきたときに戦いの余波を喰らったのだろう。この城のどこにある扉よりも大きく、周辺の装飾も豪奢なおもかげを残すその場こそが目的地であることは、初めて足を踏み入れたガランであっても自ずと察する事が出来た。
「お待たせしました。お客様」
店主が――かつて、この城で使い潰されて終わるはずだった命が、かつて躾けられた通りに恭しく礼をする。かつての職業病の後遺症なのだろう、どこか演劇的な大げささは消え、凪いだ言葉だけが石畳に落ちる。
「ご希望の『玉座の間』は、こちらに御座います。どうぞ、ごゆるりと御歓談をお楽しみください」
「ああ、御苦労じゃったな。下がってよいぞ」
「そういたします」
すんっと自動運転が解除されたように姿勢を崩した店主が、手近な瓦礫に腰を下ろす。その前を悠然と通り過ぎる少年王は、まるでこの城のあるじのようだった。
足を踏み入れたかつての玉座の間は、静謐に満ちていた。
それまでの廊下に横たわっていた静けさとはまた違う、そうせねばならないと自身に課すような静寂は重苦しく、肺までもが鉛漬けになりそうだ。
「ふむ。こうして会うのははじめてじゃのう。古き王よ」
そんな空気をものともせず、<救世の王者>はゆるりと微笑んだ。まるで旧友に会ったかのように、気さくな笑みで。
「余はずっと、ぬしに会ったら言ってみたいことがあったんじゃよ」
その視線はまっすぐに、玉座へと向けられている。
もはや誰もいない、冠を下ろしたただの椅子を見据えている。
「――古き神よ」
怒りの炎で目をぎらぎら光らせながら、威嚇するように笑いながら、虚空を睨みつけている。
「主人公になり損ねた気分はどうじゃ?
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