依頼番号XX (8)
「早いですね。もう少しかかるかと思いました」
「白々しい。そんなモノを持っておるくせに、先触れも出さなかったのはわざとじゃろう」
ごそごそと牢から這い出した店主にガランが肩を落とす。しかしその目は呻き続ける魔剣から一切、外れることはない。
苦労性な一個人と、価値観も形状も違う様々な種を千年単位で統治する王。その二つの顔を当たり前に持ち、乖離も破綻も起こさずごく自然に共存させ続けている、混ざりものなしの
それこそが<救世の王者>ガラン――目の前で仁王立ちをしている少年である。
かつて、ガランは普通の人間だった。
まだ、魔種というものが跋扈するようになる前の事だった。数多ある種族はそれぞれの種で纏まり、それぞれの価値観で築いた国を作っていたころだ。
小競り合いはあるものの大きな戦はなく、たまに他種族とも交易をする程度の安穏とした日々が崩れたのは、どの種族にも属さずあらゆる知生体を虐殺して回るモノが突然現れたことによるものだった。
世界は、狂乱した。
賑やかに踊る街角はもうない。甘い匂いのする道は血の匂いしかしない。昨日手を繋いだ友人は見つからない。雨をしのげる場所はない。恐怖から守ってくれる安堵などない。瞬きを開ける保障もない。
同種族も、異種族も、あらゆるものが食いつくされていく。
そんな絶望の中、ガランは神によって<救世位>として作り直された。
神話の巨人しかいなかった<救世位>が突然、最弱の種族である人間の中から現れたことに驚く余力がある者はいなかった。
魔種の手によって滅びかけたあらゆる種族が彼に縋り、彼もまたそれに応えた。難民たちをまとめ上げ、魔種の手届かぬ場所に堅牢な城塞を築き、それ自体を神話級のアミュレットにして生存圏を確立した。
それから勇者が新しく<救世位>として生み出され、各地の魔種を処理するようになるまでの六百年あまりの間、王者は見事その無謀ともいえる籠城を成し遂げ続けたのだ。
不死の肉体を持たぬままに。
「まったくもって、何度お会いしても若々しいですね。此度はおいくつなので?」
場所を移し、宿。
すっかり石にとられた体温をホットミルクで取り返しながら店主が尋ねた。目の前の姿は初めて見る形だ。
不躾ともいえるその問に何を感じた様子もなく、似合わない安物の椅子にゆったりと腰かけた少年が返答する。
「今日で十二になる」
「おや、お誕生日だったのですね」
「肉体のじゃよ。まったく、勇者と相対するときくらいの台詞量でよいと毎度言っておるのに、なぜぬしは余や賢者と話す時だけそうなるのか」
「お相手の言葉の量に比例するように調整されておりますので」
「ほざきよる……幽霊。ぬしの要件は許可証の再発行じゃろ」
「おや」
「手数料じゃ。余の個人旅行に付き合え」
わざとらしく片眉をあげてみせた店主の表情も意に介さず、ガランはにっと快活な笑みを浮かべた。情勢が落ち着き、様々な原因で幾度も再分裂しようとした生存圏をまとめ上げたのはこの人たらしの笑みだ、とか王家の中で囁かれている必殺の笑顔である。
当然、店主には効かないことは承知の上でやっているので、げんなりした顔を返されてもまるで気にしない。
「そう怪訝な顔をするでない。余直々に命を出し、最速で許可証を発行する。それまでの間の外出に付き合えと言っておるだけじゃ」
「いや、私急いでるので……ああほら、剣もこの通りぐーぐーと」
「余の帰還と同時に仕上がるようにしてあるから時間はとらせんし、その剣の音は腹というよりは唸り声じゃろうて」
「勇者様をお待たせしてる身で旅行なんて、そんな」
「あの鬼っこがそのようなことを気にするタマか」
「それはないでしょうねえ」
「よし、決まったな」
「あー……」
心底面倒そうに店主がうなだれる。
別にガラン自身が嫌なわけではない。
どれだけ外出先だろうが宿からできる限り出たがらない性格なだけだ。森から出る難易度に甘えていたらすっかり滲み付いてしまった性質ともいう。
死ぬわけでもあるまいし、と腹をくくり、まだ若干曲がった背中のままじっとりとした視線を王者へ向ける。
「で、どこにお出かけになるんですか? 城下町をお忍びで巡って市井の民のことをよく見る程度ならありがたいんですが」
「ふん、余の民、余の国じゃぞ。わざわざぬしのような面倒なものを連れ歩かんでも出来るわ」
王の鑑のようなことを言い放ち、少年の双眸に磨き上げられた宝石のような老練さが浮かぶ。
「誤魔化すのは悪い癖じゃな、幽霊。そんなに行きたくないものか? あの場所は」
「さて……なんのことやら」
逸らされた目を引き戻し、王の顔に笑みが浮かぶ。まるで邪気を知らない子供のような形の中で、冷徹な瞳がただ恐ろしい。
店主の首筋を、一筋の汗が伝った。
「始まりの魔王の城。ぬしはよくよく、知っておろう?」
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