依頼番号XX (6)

 <救世の聖者>アンヘル。

 <救世位>唯一の女性であり、この世で最も苛烈な優しさを持つであると店主は認識している。

 

「はあ、聖女様ですか」

 

 そして、店主はそんな彼女のことが苦手で仕方がない。

 

「手前がアイツのことが苦手だろうが、役目は役目だろうよ。グダグダしてねえでさっさと行けや」

「そう気軽に仰いますけどね……あの方、今どこにおられるんです?」


 アンヘルはあらゆる傷病を治癒し、穢れを祓う力を持つ。そして各地を巡り、目に見えぬそれらの脅威から人々を救うことを、この大地に病の概念が生じた1000年前から己に課し続けている。

 慈悲深い救い主として、一般人から最も身近な<救世位>として慕われ、敬われているのは彼女だと断言してもいい。

 半面、精力的に活動し続けるアンヘルの動向を掴むのは難しい。

 有翼種の生き残りである彼女は大陸の端から端までを容易く横断するため、流行り病の痕跡を追ったとしても追いつける保証はどこにもないのだ。


「王者にでも聞きに行け。アイツは定住してるだろ」

「御身ほどではないですがね」

「だまれ。それに大体お前、もう何百年森から出てねェんだよ。とっくに許可証切れてんだろ」

「……ああ、そんな物もありましたね」


 許可証――正式名称を【境界通行許可証】というそれは、己が知性ある生命体であり他者を害する危険性がない友好種族であることを示す公的書類だ。2500年前から発行されるようになり、魔種と友好種で大陸が完全に二分されるようになってからはどこへ入るにも提示義務が生じる、身分証明書のようなものと化している。

 徹底的な聖別が施され、本人の生存中の魂とリンクさせなければ動作せず自壊するという過剰なまでの防衛機能を備えた逸品だ。

 個々人に適用される基本装備品として扱われるもののためアイテム等級からは除外されているが、技術の高度さと適合人数の制限から算出すると特例に区分されかねないといえば、その凄まじさがわかるだろう。

 だがこれは【境界】という言葉が示す通り、村から村、町から町など有効種族の生存圏間を渡ったり、店や個人宅などのある一定のスペースへ出入りする際に使用されるものだ。

 店主のように局地に一人住んで、ほぼその領域から出ないような生活を送る者はついその存在を忘れがちになる。

 万が一の解析や劣化を防ぐため長命種の場合は百年単位での更新が必要とされ、更新が途切れると王都まで赴き再発行をかけることになるのだ。

 店主の許可証は発行されて以降一度も使用されていないため、おそらく店に所狭しと置いてあるアイテムの山の中だろう。再発行をかければかつての許可証は消失するはずなので、もう二度と会うことはないだろうが。


「あの方なら私のことも認識しているのでしょうし、勝手に更新してくれればいいと思いませんか?」

「手前は不精で更新してないだけだからそんな融通はせん。とこの間言ってたぜアイツ」


 境界通行許可証を発行しているのは王家である。

 この大陸における唯一の友好種による統一国家にして、彼らの最後の生存圏そのものの頂点に君臨する一族。

 この一族の始まりは古く、第一の魔王が現れ勇者が討ち取るまでの暗黒時代に、社会を維持できなくなった友好種たちが天命を受けた王を戴いたことを始まりとする。

 この王家は、最後の一ページが終わるその日まで魔種以外のすべてを守り統治する義務を背負っているのだ。

 そして、当代の王は<救世位>の一人でもある。


「案外仲いいですね。で、はこんなもので充分ですか?」

「おお。我の言葉に加えてアイツの権限、実際に効力が切れたブツまでありゃ一日やそこらは誤魔化せんだろ」


 店主は出不精だ。職務にこそ忠実で仕事は確実だが、基本的に自分の土地である森から出ることはない。用事がなければできれば水晶のカメリアが咲く我が家から足を踏み出す事さえしたくない。

 ――水晶のインクルージョンみたいに、そこから出る価値がないとでも言うように、店主は何千年もそう言い続けている。

 その理由を、巨躯の知恵者だけは知っていた。

 本として正しく、記録していた。


「ならよかった。では私は戻りますね」

「支度にあまり時間を食わせると折角の効力が切れちまうからな」

「大丈夫ですよ」


 重たげに剣を持ち上げ、店主はふらりと踵を返す。艶のない闇を見るその顔は、高くから見下ろすメテウスからでは詳細に見ることはできない。

 代わりとばかりに、巨人の皮膚にまた一つ刺青が増えた。背中だ。これもやはり、彼では見ることが叶わない。


「店に休業中の看板を掛けるだけですから」


 『そう語る■■の顔は、悲とも憎ともつかない笑みにまみれていた』

 

 そんな刺青の一文が浮かび――そして、跡形もなく綻んで消えた様を見た者は、誰もいなかった。

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