依頼番号XX (5)

 <救世の賢者>メテウス。

 この名はおそらく、現代においては<救世位>の中で最も広く知られているが、同時に詳細を知らない者が最も多い名でもある。

 ――彼は、創世神話にも登場している【古きもの】だ。

 この世界がせかいとして成立する前の原初より在る生き字引。その名はどんな歴史書であれ初めの十ページ以内には登場する。

 けれど、同時に彼が現在どこで何をしているのかを知っているものは数えるほどしかいない。

 故に――只人に混ざって暮らしている。実はもうすでに死んでいる。この世界の大地こそがメテウスの体だ。地上の知識に飽いて天へと帰った。あらゆる俗世のわずらわしさから解放されるために地下で隠遁している。そもそもメテウスというのは人々の知恵を示す概念であり個としての彼は存在しない。

 等々、様々な説が囁かれているのは、実態のつかめない有名なものにありがちな現象だろう。

 

 うちに入っている店主としては、面白いことこの上ない。

 

「ねえ、賢者様。また噂が増えておりましたよ。えーと……今度は【メテウスは世襲制であり、当代は幼い子供の姿をしている】ですって。あはは! ヒトって面白いですねえ」

「現れて早々に騒々しいワ。手前はいッつもそうだなァ、アンノウン」


 奈落の入り口で吹き荒れていた風が可愛く感じるほどの衝撃が骨を震わせた。

 声の主は当然、<救世の賢者>メテウスである。

 賢者とは思えない粗野な物言いではあるが、これはずっと昔からそうだ。

 いつぞや『それらしく振舞う気はないのか』と問われて『こちとら天地開闢からなんだからそっちがあわせやがれ』とばっさりと切り捨てていたので旧知の者はみな諦めている。荒々しいだけで言葉遣い事態に害はない。

 けれど、声が空気を伝う振動である以上、物理的に避けられない負担がある。

 その巨躯から発せられる音はどれもこれも、規格に見合ったボリュームが最小単位になってしまうのだ。特殊な音波でもない限り、音が大きいほど周囲に伝わる波は大きく、負担を強いる。

 メテウスは創世の折に創造された、この世にただ一人の【巨人】だ。

 文字通り首が痛くなるほどの巨体を持ち、暴力としてではない純然たる膂力を問うのであれば彼に勝るものははいない。この世界にある山や谷、島の多くは彼による作品である。

 以前見た時よりも一回りか二回り大きくなっている気がする。よくもまあ、こんな場所に収まっているものだ、と店主は痛み始めた首をさすった。

 大穴から数刻かければたどり着ける程度の地点であるはずだが、明らかに空間の広さが釣り合っていない。

 どういう仕組みか、この幽閉楼には【おわり】がないのだ。


「それにしても本当に賢者様は不思議な方ですね。地上にいれば御身のもとにはたんと貢物がやってくるでしょうに、わざわざ自らこのような場所に御身を沈められるとは」

「思ってもいねェコトを言うのは止めたらどうだ?」

「おや、さすがにバレておりましたか」

「白々しい」

 

 呆れかえったため息が突風となって吹き下ろす。半分暗闇に溶けて視認しにくいが、大きな目玉がこちらを見ていることはよくわかった。

 胡坐をかいた小山のような足の上で、樹齢百年を過ぎた木でも敵わないような太い指がどしんどしんと膝を叩いた。足にも手にも、等しく燐光を帯びた刺青が這っているのを見て、店主の軽口が止まる。

 

「随分増えましたね」

「ア? あー、これか。まあ増えたよ。増えるしかねえ。このせかいがある限りな」

「早く閉じてしまえばいいのです。べつに、堪えるために在るわけでもないでしょう」


「いやだね」


 相対してから、一等小さい声だったが、一番重い声だった。

 

せかいの最後のページは我の体が存在する限り捲らせないし、手前らが表紙を拝むこともない」


 <救世の賢者>メテウス。作られた当初の名称は<生ける世界録>。

 彼が背負っているのは文字通り、せかいだ。

 メテウスの体を這う無数の刺青こそがこの世界で起きた物事を記録して出来上がるせかい。彼の体こそが白紙の本であり、本来は<主人公>の行動で体中を埋め尽くし、他所の世界の神々に閲覧される運びとなるはずだった。結ばれた言葉で本は結ばれて、物語からこの世界は解き放たれる。

 世界は、自由になるはずだったのだ。

 

「皮肉ですね。閉じることで世界を救うはずだった御身が、今は開き続けることでの不格好な現状維持しかできないとは」

「うるせえ。だいたい、手前がここに来たのはなにも孤独な我とオハナシするためでもねェだろう」 

「あはは、本当に何でもお見通しですねえ。そんなだから肥大化してしまうんですよ」

「アンノウン」

「怒らないでください。まあ、用件というのはもうわかってるんでしょうけれど、勇者様の剣の事です」


「<聖者>んとこ行け。ソレはアイツの管轄だ」


 魔剣を指し示すや否やの即答だった。

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