ep16.バックレ
「流石にキツいな……」
連日のクーバーイーツの仕事で足が重くなっており、軽く動かすだけで関節が痛む。
だが、休んでいる時間は無い。
今日もやれるだけやる。
自分のお小遣いのためならここまで無理はできないし、そもそも続かない。
だが、誰かのためとなると闇雲に頑張れるな。
二時間ほどクーバーイーツの仕事をしていると、サイゼストの注文が入った。
今日も黒沢がバイトしているかもしれないなと、自転車を漕ぐスピードを上げた。
「クーバーイーツです」
サイゼストへ入るが、カウンターには誰も姿を見せない。
客席の方へ目を向けると、黒沢が中学生男子四人組のテーブルの前で恐い顔をして立っていた。
「あなた達、ドリンクバー1つしか注文していないのに、さっきからみんなで何杯も回し飲みしているわよね?」
「は? してねーし、証拠あんのかよ」
どうやら客と揉めているようだな。
言い争いをしているのが、ここからでもわかる。
「一度だけなら見逃してあげようと思ったけど、何度もやられると目に余るわ。全員分のドリンクバー代を請求させてもらうから」
「はあぁ? ふざけんなよ、証拠あんなら写真見せろよ」
「写真は撮っていないわよ。仕事中にスマホは触れないし」
「だったら撮ってから注意しろや。証拠見せられたら、素直に払いますんで。まぁもうドリンクは満足なんで注ぎには行かねーけど」
相手は中学生だが、客という立場なため店員相手に強気になっている。
「ちょっと、中坊相手に大人気ないんじゃない?」
「どうでもいいから、早く注文聞いてくれよ。ボタン押してんだぞ」
隣のテーブル席の大人の客が黒沢にクレームを言っている。
悲惨な状況だな。
「すみません、少々お待ちください」
黒沢もどうしたものかといった表情で対応に困っている。
それを助ける店員もいない。
『ちょっと、黒沢また何か客と揉めてんだけど』
『またか……ったく、ただでさえ仕事ダルいのに、面倒ごと増やすなよ』
厨房の方から店員が出てきて、黒沢を見て陰口を叩いている。
いや、野次馬してないで俺の注文を用意してくれよ。
「監視カメラもあるだろうから、店長に言って確認させてもらうわ。証拠ができたらあなた達の学校に連絡するから」
「は? きめぇんだけど。ちょっと一口頂戴って言われたからあげただけだし。器小さ過ぎんだろ、ここの店員」
黒沢は一旦引いて、隣のテーブルの注文を聞き始めた。
『ただでさえ人手が少ないのに、余計なことに時間使いやがって。もっと周りのこと考えてほしいよな』
『ですよね~。前も私がちょっとバイト仲間と会話で盛り上がってたら、バイト中ですよとか言ってキレてきたし。ほんと何様なのあの人?』
客からも嫌われ、バイト仲間からも嫌われている黒沢。
話を聞いていると黒沢は何も悪いことはしていないが、他の店員からすると空気読めない奴になっているようだ。
「クーバーイーツです。商品早くお願いします」
「あっ、すみません」
俺は客を待たせているのですぐにサイゼストを出て、配達を再開した。
黒沢にはスマホでメッセージでも送っておくか。
焦っていたのでバイトが終わったら会いたいと簡単に連絡してしまった。
冷静になると、これじゃあまるで彼女に送るメッセージみたいだなと思った。
無理と断ってくる可能性が高いが、そうなれば明日にでも学校で話を聞けたらいいか。
「ふぅ~、ちょっと疲れたな」
立て続けに行った配達を終え、一息つく。
今日は気温が高かったので汗をかいてしまった。
夏になると過酷な仕事になるな。
時間はまだもう少しあるので配達も続けられるが、黒沢からメッセージが来ていた。
【私も会いたい】
怒りマークの絵文字が添えられているが、これじゃあまるで恋人みたいだな。
だが、会いたいということは誰かに何か言いたいと、もがいているのかもしれない。
黒沢に場所を聞き、急いで自転車を漕ぐ。
仕事の影響か、どんな時でも速く漕ぐ癖がついてしまったな。
待ち合わせ場所に指定された公園へ着くと、黒沢が鬼のような恐い表情で立っていた。
「やめた」
「えっ?」
挨拶も無しにやめたと口にしながら、俺の方へ向かってくる黒沢。
「やめたやめたやめたやめたやめたやめたっ!」
「お、落ち着けっ」
迫力のある表情で俺に迫ってくる黒沢。
そのまま突き飛ばされそうな勢いだ。
「やめてやったわ、あんなバイトっ!」
まるで吐き捨てるように言い放った黒沢。
キレているのは明白だ。
「まじか」
どうやら俺が見たあの騒動の後にバイトを辞めてきたみたいだ。
思い切ったな。
「ちゃんと理由があんだろ?」
「ええ。話聞いてよっ!」
「全部聞くから、ちょっとクールダウンしろ。夜だし声が響いている」
「…………そうね」
怒りの顔から悲しい顔に変わる黒沢。
あまり感情が表に出ない白坂とは真逆だな。
「まず今日ね、中学生の男子達がお店へ来てて」
あの時に俺がサイゼストへ来ていたことは知らない黒沢。
ことの
ここはまず黒沢の目線での話を聞いておこう。
「ドリンクバー1つしか注文してないのに四人で何度もジュースを回し飲みしてて、それを私ははっきり見たから注意したのよ」
「それは注意すべきことだな」
「でも、向こうはそんなことしてないって言い張って、むしろ怒ってきて。埒(らち) が明かないから一旦引いて、店長に監視カメラの映像見せてもらったりできればなと思ったのよ」
黒沢は正しいことをしている。
だが、正しくないことがまかり通る世の中であることをまだ知らないらしい。
「そしたら先輩に余計な仕事増やすな、そんなことしても俺達の給料は変わらないって言われて。他の先輩からも人手が割かれる分、忙しくなって迷惑だって言われて」
俺が居た時もバイト仲間は黒沢を見て陰口を叩いていた。
直接言ったってことは、もう看過できなくなったのだろう。
「挙句の果てにはね……店長が来たから事情を話して、監視カメラの映像を確認させてくださいって言ったら、注意だけで済ませろって言われて。君だって人生で一度や二度いけないことをしたことはあるだろって何故か逆に怒られて」
店長の発言は理解できなくもない。
相手が大人ではなく中学生なら、次からやめるようにと口頭注意すれば穏便には済む。
だが、黒沢はきっとゼロか百かで考えているから、その中間の答えを出せない。
「だから、そのまま辞めるって言ったわ。前にも似たようなことあったし。バイト仲間の人も適当だし、店長も適当。正しいことをしている私が何故か悪者になる」
「そういう流れだったのな」
「いつもそう! 生徒会長の時だって、学校のために正しいことをしたのに適当な人達が文句を言ってくる。いったいなんなのよもうっ!」
気持ちが込み上げてきたのか、再び声を荒らげる黒沢。
「ねぇ? 私は間違ってるの? 両親や先生達大人から正しいことを教わって、秩序も倫理もマナーもモラルも学んで、それを実践したら否定されて。周りからも嫌われて友達もできなくて、一人で惨めに生きて……いったい、何がどうなっているのよ!」
黒沢の心からの叫び。
本当に苦しんでいるから、本気で悩んでいるからこそ、その言葉に重みを感じた。
「あなたも私が間違っているって思う?」
「何一つ間違ってないだろ。黒沢は全部正しいよ」
「なにそれ、同情?」
「違う。黒沢の話をちゃんと聞いて客観的に見て、黒沢が全部正しいと判断してる」
不安だったのか、俺の返事を聞いて安堵している黒沢。
「でも、正しいことを全うできる人は地球でもほんの一握りだ。みんなも時には間違えるし、間違ってもいいやって妥協して生きている。俺だって正しいことを理解しながら、今まで何度も間違えてきた」
「あなたもあっち側の人なの?」
「ああ、俺もあっち側の弱い人間だな。でも、俺は少し違って黒沢のことを否定しないし、むしろ尊敬もする」
「どうしてよ」
「何だろう、正義のヒーローっていうか、そういうのを見てる感じか? 間違っている人に間違っているとはっきり言ったりするのって、自分にはなかなかできないから。俺は見て見ぬふりしちゃうけど、黒沢は相手がどんな人でもずばっと言うみたいだし」
小学生の時に友達が悪質な
中学生の時に虐めの現場を見た時も、何も言えなかった。
高校生になってから、恋人が医者の言葉を無視して無謀なことをしようとした時も、何も言えなかった。
きっと黒沢はどの場面でも、その時にはっきりダメだと言っていたのだろう。
「黒沢は地球でほんの一握りの、正しいことを全うできる人だ。だから凄すぎるんだよ。凄すぎて周りがついていけないだけ。黒沢が人として完璧すぎる」
「そ、そうかしら……」
黒沢を全肯定すると、今まで見たことのなかった嬉しそうな表情を見せた。
「俺は黒沢の話を聞いて尊敬したし、見てると俺もしっかりしなきゃなって思える」
「他の人みたいにウザいとか、どっか行けとか思わないの?」
「俺は思わないよ。そうやって言ってくる人も多いかもしれないが、俺はこれからもずっと黒沢のことを肯定するだろうし、正しいことを否定したりはしない」
「……あなたみたいにまともな人もいるのね」
それは間違っている。
まともじゃないから俺は周りと違って黒沢を否定しないし、黒沢が世の中を生きていく上での正しいことを教えない。
本当に黒沢のためを思うなら正しいことにこだわらないで周りの空気を読んで、ちょっとは折れろと言うべきだしな。
「申し訳ないけど俺はまともじゃない。まともだったら留年もしていないし、これから俺は間違ったことを繰り返すと思う」
「そういえば、あなたも問題児だったわね」
「だから、これから俺も黒沢に何度も怒られるだろうな」
「一緒に居ると嫌になる?」
「いや、俺はどうも怒られるのが好きみたいだ」
「……変態なの?」
アリスも俺に何度も怒ってきたが一度も嫌な気分にはならなかったし、その度に成長できている気がした。
ただ、怒られてもいいのは説得力のある人に限る。
知的なアリスも正義の黒沢も俺が正しいと思うから、受け入れられるだけだ。
「自転車乗ってる時に音楽聞くなと注意した警察がいても、学生時代に音楽聞きながら自転車を漕いでたことあるだろって思う。宿題を忘れて先生に注意されても、その先生だって学生時代に宿題を忘れてきたことが一度くらいはあるはず」
「何の話よ」
「そういうこと常に考えちゃう俺は、信用していない人の注意をまともに受け取らなかった。心の中で人のこと言えないだろって、いつも思ってた」
「
黒沢の言う通り俺は捻くれていた。
子供の頃から変に斜に構えていて、物事に対して歪んだ見方をしていた。
「でも、黒沢はずっと正しく生きていたみたいだから、そういう黒沢に注意されたのならちゃんと反省しようと思えるかもな。先生とか警察に向いてんじゃないか?」
「……そんなこと言われたのは初めてよ」
アリスも俺にそんなこと言われたのは初めてよと言ってきたことが何度かあったな。
きっと俺は普通じゃないのだろう。
それが周りに馴染めない理由でもあるが、普通じゃないからこそ今の班のような逆に馴染める場所もあるのかもしれない。
「みんな正しいはずの私を見て、大人になれとか子供扱いばかり」
黒沢の子供扱いが許せない理由が判明したな。
正しさを貫き空気の読めなかった黒沢を大人になれと説得する周りが嫌だったみたいだ。
「でも、あなたは私の正しさを認めてくれるのね。それは伝わってくるわ」
待ち合わせした時の顔とは打って変わって、得意気な笑みを見せている黒沢。
どうにか、あのまま病まずに気持ちを切り替えてくれたみたいだな。
「ありがとう。あなたに話せてスッキリしたわ。こんなにスッキリしたのは初めて」
特に何もしてないが感謝をされてしまう。
ただ話を聞くだけでいいというアリスのアドバイスは正しかったのかもしれないな。
「そういえば、あなたも私に会いたがっていたけど何かあったの?」
俺が会いたがっていたのは黒沢の件だったのでもう終わっている。
だが、何かしら言っておかないとただ会いたかっただけの男になってしまうな。
「もうすぐ修学旅行だし、班長として出発までに何かやっておくべきことあるかなって」
学校で聞けよという案件だが、アドバイス系なら黒沢も気を悪くしないだろう。
「良い意気込みね。あなたは充分すぎるほどやってくれているけど、強いて言うなら班行動の日の予定が曖昧だから、その日に必要なものとかどうすべきなのかとは思うけど」
「みんなを驚かせつつ喜ばせたいから、何が起こるかはできるだけサプライズにしたいかなって思ってて」
「じゃあ、必要な物の有無だけははっきり連絡しときなさい。何もいらないなら必要ないからって通達だけはした方が良いと思うわ」
「そうだな……そうするよ。的確なアドバイスありがとう」
スマホが音を鳴らしており、黒沢は制服のポケットからスマホを取り出した。
画面には店長と表示されていたが、黒沢は赤の拒否ボタンを押した。
「いいのか? まだ戻れるかもしれないぞ。いきなり辞められると職場の人も困るだろうし、黒沢が後悔しそうでもあるが」
「私、もうグレたから」
黒沢の意外な宣言に、俺は言葉を詰まらせる。
どうしたものか……
「今まで真面目に生きていた分、今日から本格的にグレる」
黒沢の遅れてきた反抗期。
口では簡単に言っているが、今まで大真面目に生きてきた黒沢が真逆のことをするのは難しいはず。
「バイトを途中で帰って、いきなり辞める。今までの人生で一番悪いことをしたと思う」
「見事なバックレ劇だな」
「でも、良いきっかけにもなったわ。これでもう真面目でも優等生でもなくなったから」
清々しい表情をしている黒沢。
心の重荷が下りたのか、心なしか表情が柔らかくなったように感じる。
「今日から悪いことしまくるわよ」
ニヤリとした笑みを見せながら、とてつもなく物騒なことを宣言している黒沢。
でも、黒沢は今までの考え方を変えてくれた。
正しさを突き通したがる黒沢の欠点を否定せずにいたが、これからはその欠点が薄れていくかもしれない。
自分の生き方は他者からの否定や肯定で左右されるものじゃない。
自分で見つけていくものだと、黒沢を見て改めて実感できたな。
「犯罪はやめておけよ」
「当たり前じゃない。社会ルールに収まる範囲内で悪いことするってだけ」
「例えば?」
「ゲームセンターとか、カラオケに行ったりとか」
それは黒沢じゃなければ当たり前のことだな。
黒沢がグレたと宣言して少し不安になっていたが、どうやら普通の女の子になるだけみたいなので一安心だ。
「名残惜しいけど、そろそろ時間的に帰らないといけないわ」
「そうだな。もう夜も遅いし、解散するか」
黒沢から俺と別れるのが名残惜しいと言われた。それだけで幸福感が湧いてくる。
「気をつけて帰りなさいよ」
「黒沢もな」
家が真逆だったのか、俺と反対方向の道を進みだす黒沢。
帰りの道のりには、一人では絶対に得られない温かな充実感があった。
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