ep13.チンはどこから?
月曜日の朝、登校の準備をしていると珍しく家にいた母親が声をかけてきた。
「学校は問題無いの?」
「何も心配はないよ」
「そう。ならいいんだけど」
家ではほとんど部屋で過ごしているため、家族との交流は少ない。
トイレやお風呂に食事以外は、部屋から出ることもほとんどないしな。
「十日後くらいに修学旅行あるから。場所は沖縄」
「気をつけてね。沖縄ならお土産は紅いもタルトね。お父さんが好きだから」
父親とはもう半年以上、口を利いていない。
留年に反対していたが俺は聞く耳を持たずに学校を休んでいたため、父親がシャレにならないくらい怒るのも無理はない。
その影響で、暇さえあれば通っていた両親の働く中宮動物園にも行けなくなった。
子供の頃から成長をずっと見守ってきた動物達と会えなくなったのは寂しい。
「……わかった。そのお土産を買ってくる」
「忘れないように。じゃあ、行ってらっしゃい」
別に両親が嫌いなわけではない。
ただ、あまり会話はしたくない。
関わっていると、去年あった様々な出来事を思い出してしまうからな……
「おはよう黒沢」
「……誰?」
学校の下駄箱で遭遇した黒沢に話しかけたが、記憶を喪失してしまったようだ。
「俺だよ。
「ああ、茂中ね。髪を切ったからか誰だか分からなかったわ」
一昨日髪を切ったとはいえ、そこまで大きく変わっていないと思うが……
きっと黒沢にまだ俺の顔をはっきりと認識されていなかったのだろう。
「そっちの方が爽やかで良いじゃない」
「お、おぅ」
素直に褒められるとは予期していなかったので反応に困った。
きっと顔も少し赤くなってしまっているに違いない。
「ちょっと聞きたいことがあるんだが」
「なに? 話しながら教室へ向かいましょう」
黒沢と並んで歩きながら話す。
距離を空けられるかと思ったが黒沢は手がぶつかるかぶつからないかの、仲の良い友達のような距離感で隣を歩いている。
すれ違う生徒の中には物珍しそうにこちらを見てくる人もいるな。
「赤間には炎上の件で発生した賠償金があるらしく、修学旅行の費用を賠償金に回したいから行かないと班長の俺に言ってきたんだ」
「あら、そんなことがあったの」
「でも、俺は一緒に行きたいから、バイトとかでお金を稼いで赤間の修学旅行の費用として渡すことにした。赤間は遠慮してたけど、無理やりそうした」
改めて話すと、自分がいかにお節介なことをしているか思い知らされるな。
「だからこの前はクーバーイーツで働きだした俺と黒沢が遭遇したわけだ」
「そういう流れだったのね」
「それで……俺のやってることって、どう思う?」
白坂には散々言われた。
それを慰めてもらいたいとか、黒沢にも俺をボロクソ言ってほしいとか、そういう欲のある問いかけではない。
ただ黒沢がどう思うか、価値観を理解したい。
今後の対応の参考にもなるからな。
「優しい人だなとは思うけど。私だったらできないしやろうとも思わないから、素晴らしいことだとも思うわ。良い班長じゃない、見直したわ」
これまた予想を超えて褒められた。
黒沢は冷淡だけど、褒める時はちゃんと褒めてくれるみたいだな。
それにしても、人によってこうも反応が違うのか……
「何でそれを私に聞いてきたの?」
「白坂にありえないと言われたから、黒沢にはどう思われるんだろうと思ってな」
白坂の反応も正しいと思うし、黒沢の反応も正しいはず。
結局、答えは人によって真反対にもなるということだ。
それぞれの物事の捉え方が違うんだから、人に合わせて細かく個別に対応を変えていくべきかもな。
「別に白坂さんには得も損もない話なのに、何がそんなに嫌なのかしら?」
「嫌というか、俺の行動が理解できないんだと思う。俺も自分で変なことしているなという自覚はあるし」
「そうなの? 私はあまり変だとは思わないけど」
黒沢は俺と同様に理屈じゃない考えの持ち主のようだ。
同族嫌悪にならないといいが。
「でも、気をつけた方がいいかもしれないわ。私も誰かのためにしようとしたことが、怖い人達の怒りを買ってしまった。そのせいで生徒会長をクビになったと思うし」
「何したんだよ」
「……教室着いたから、もうこの話はおしまいよ」
答えたくなかったのか、無理やり話を終わらせた黒沢。
そういえば、前に橋岡先生は黒沢が生徒会長をクビになったのは、ある事件の影響だと言っていたな。
「おいおい二人で仲良く登校とか、余り者同士でカップル成立か?」
教室で目が合った金田にからかわれる。
絡み方はうざいが絡んでくれるのは嬉しい。
「安直すぎだろ。それに俺、前も言ったが彼女いるしな」
「遂に茂中パイセンも俺と同じヤリチンになったか」
「高校生なんてお金も余裕も無いんだから、現実的に一人しか愛せないと思うんだが」
「ぐっ……それがリアルなのか?」
まるで自分は虚像で俺が本物みたいな言いっぷりだな。
「おはよう、金田君」
「あ、ああ……おはよう」
金田は黒沢から挨拶されると思っていなかったのか、少し恥ずかしそうに挨拶を返している。
やっぱり、細かいところを見ていると女性慣れしてない感じがあるな……
「あと、茂中とは別に付き合ってないから。下駄箱で偶然会っただけよ」
「でも、本当は好きだったりするんじゃないか?」
「……何で?」
心の底から疑問に思う顔で金田へ理由を聞く黒沢。
告白してないのに振られた気分だ。
「もしかして実は俺のことが好きだったりするとか?」
「そんなわけないじゃない」
どうしてそうなるのよと言わんばかりの顔で否定する黒沢。
何一つあなたのことなんて思っていないわよという声が言ってないのに聞こえてくるな。
「朝からキモいんだけど、どいてくれる」
教室へ入ってきたクラスメイトの
「っ、なんだよ」
金田は少し恐い表情で舌打ちをして振り向き、板倉を睨んでいる。
そういえば金田はまだ人気者だった頃に、板倉に告白されたと言っていたな。
それでセフレならいいけどと返事したため女子からの反感を買い、今の状況に至っているらしい。
因縁のある二人だが、板倉は本当に金田を心底毛嫌いしているならわざわざ絡んでこないはずとも思うが……
二人の関係性を深くは知らないから何とも言えないな。
「嫌われ者の班でも汚いことしてんの? あんたほんとクズだね」
「は? 俺はクズじゃねーから」
「じゃあ何なのよ」
「正解は……とんでもないクズでした~」
「うざっ」
クズと言われて傷つくどころか、開き直って煽っている金田。
その態度に板倉も、その友達の女子達もありえないといった表情だ。
というか嫌われ者の班って言われ方は
別に俺は嫌われてはなかったのだが……
嫌われてはないよね?
「黒沢さん、そいつヤリチンでキモいから関わんない方が身のためだよ」
「そんなに嫌っているのなら、あなたの方が関わらない方がいいわよ。わざわざ絡んできて文句言って嫌な気持ちになってるみたいだけど、それって本末転倒じゃないかしら?」
一見、黒沢は金田を
「生徒会長クビになったあんたも金田側の人間だったね。同類同士、仲良くどうぞ」
言いたいことをはっきり言う黒沢は間違ったことを言ってなくても嫌われていく。
あの場は気をつけるねとヘラヘラしながら流せば事は荒立たなかったが、黒沢はそれができない性格のようだ。
空気を読めないのではなく、そもそも読む気がない俺達。
だからこその余り者。
「黒沢、庇ってくれてありがとよ。意外と良い奴じゃん」
板倉達が去った後に黒沢に感謝を述べた金田。
どう考えても黒沢は庇った訳じゃなかったが、金田は嬉しそうにしている。
「いや、私も金田君とは同じ班でなければ絶対に関わりたくないと思っているわよ。今は同じ班員として仕方なく関わっているだけで」
「……そっすか」
黒沢の容赦のない発言を聞いて肩を落とす金田。
気を使わない遠慮のないやり取りだったが、本音で話しているのでまるで仲の良い友達のようなやり取りだとも思う。
俺達のどこかズれた歯車がかちっと合えば、良い関係性を築けそうな気もしてくるな。
「ねぇ茂中、ヤリチンってどういう意味なの?」
金田から距離を取った黒沢は、小声で俺にヤリチンの意味を聞いてくる。
とんでもなく答え辛い質問だが、間違った知識を教えるわけにはいかないから困るな。
どうにか上手くぼかして抽象的に伝えたいが……
「まず男と女がイチャつくことを簡単にヤると言ったりするんだ」
ちょっと待て、これを真面目に伝えるのは異常なほど気恥ずかしいぞ。
「白坂さんや金田君もそんなこと言ってたわね」
「そうそう、そのヤるのことだな。男が色んな女とヤってたりすると節操なく下心ばっかだから、そういう奴はヤリチンと言われて軽蔑されたりするんだ」
「なるほど」
どうにか意味を変えずにはぐらかしつつ、上手く伝えられた気がする。
なんとかなったな。
やればできるな俺、こんなことで達成感が半端ないぞ。
「……チンはどこから来たのかしら?」
「そうきたか」
黒沢のまさかの疑問に俺は終了する。
そこを突かれたら、もう何もはぐらかせない。
「男が色んな女とイチャつくっていう意味のヤるがヤリになるのは理解できるわ。けど、チンはどこから来たの?」
チンはどこから来たのなんて質問をされるのは、きっと人生でこの瞬間しかないな。
「あまり言いたくないんだが」
「何でよっ、知っておかないと白坂さんとかにまた子供扱いされてしまうじゃない」
知識がないと恥ずかしい思いをするとはよく言うが、知識があっても恥ずかしい思いをする。
結局、人間は恥ずかしさと密接に生きていくのだ。
「男性器の別称だな」
「……そ、そう、なるほどね。合点がいくわ」
クールに納得して見せたが、顔は真っ赤にしている黒沢。
保健の勉強で基礎的な知識はあるだろうから、その知識に導けばちゃんと理解はしてくれるようだな。
「教えてくれてありがとう。おかげで今後、恥ずかしい思いをせずに済みそうだわ」
黒沢は自分の髪を弄りながら感謝を述べてくる。
前にも同じ仕草を見たので、恥ずかしい時には髪を弄る癖があるようだ。
「そうだ、バイトで何か悩み抱えたりしてないか?」
あまりにも気まず過ぎたので、俺は話を超強引に変えた。
「あっ、そういえば前にバイトしてるとこを見られたわね」
話題が変わって黒沢も安堵している。
さっきのやり取りで変な汗をかいちまったな。
「別に問題はないけど……」
そうは言いつつも、何か納得いかなそうな顔をしている。
分かりやすいな。
「仕事が上手くできないとかか?」
「子供扱い?」
睨まれたので慌てて首を振る。
油断も隙も無いな。
「むしろ私は真面目で仕事も完璧とオーナーさんに褒められたわ」
えっへんと言わんばかりのドヤ顔を見せてくる黒沢。
褒められて嬉しそうにしているのは子供っぽいなと思ったけど、それは口が裂けても言えないな。
「じゃあ、嫌なバイト仲間でもいるのか?」
「う~ん……そうじゃないのだけど、なんか周りと上手くできなくて」
もしかしたら、黒沢自体が周りから嫌なバイト仲間だと思われているのかもな。
だから、黒沢自身も自分で何が問題なのかはっきりしていない様子だ。
「何かあれば何でも相談乗るから。これは子供扱いじゃなくて、友達としての言葉な」
黒沢が抱えている問題はどうやら一言二言でどうにかできるものではなさそうだ。
何かが起こるのを防ぐのは難しそうなので、何かが起きた時に助けるしかない。
「自分で何とかできるから大丈夫」
黒沢は決して弱音を吐かない。
だが、人間はそんなに強い生き物ではないので、どこかでその強い心が折れてしまう日も来るだろう。
もしその時に自分が傍にいられたら、何とかして助けてあげたい。
橋岡先生が入ってきて俺達は席へ戻る。
今日は修学旅行の班行動時での予定表を提出する日なので、昨日の夜に完成させておいた。
だが、その予定表に不備があったのか、放課後に呼び出しをくらってしまった。
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