第一章 余り者には問題がある

ep01.きっかけ


『おはよう』


 スマホから聞こえるアリスの声。

 寝ぼけていても、その声が耳に届けば活力が湧いて気は引き締まる。


「おはようアリス」


『碧のこと今でも愛してるわ。こっちにいても、この想いは消えてなくなったりしない』


 アリスと遠距離恋愛になってから、もう五ヶ月が経つ。

 会えない寂しさは募るが、スマホという文明の利器が俺とアリスを繫いでいる。


『今日も一日頑張ってね』


 今は手の届かない場所にいるが、アリスは言葉で俺の背中を優しく押してくれる。


『行ってらっしゃい』

「行ってきます」


 学校へ行くのは憂鬱だが、アリスに行ってらっしゃいと言われたら行くしかない。


 両親は早朝から動物園の仕事へ行っているので、朝は家に誰もいないことが多い。

 家は薄暗くて静かだ。

 電気は点けないし、テレビも見ない。


 朝食はテーブルに置いてある食パンをそのまま食べるだけ。

 ただの食パンに味は無いが、俺の生活も味気ないので気にはならない。

 食パンの横に置かれている色の濃いジャムなんて載せれば、味も濃くて胸焼けしてしまうだろう。


 薄味のような人生を送っていると、食べるのも味が薄い物を好むようになる。

 そんなことは今の状況になるまで知りもしなかった。


 鏡に映る自分はやせ細っていて、肌も青ざめたような色をしている。

 体調は悪そうに見えるが、別に何も異常はない。

 濃厚な人生を送ることができれば、きっと食べ物も味の濃い物を好むようになって、鏡に映る自分も活気づいて見えることだろう。


 今の自分は理想の自分とは程遠いし、このままでは自分に自信を持って大好きなアリスにプロポーズするのも夢のまた夢だ。

 今の俺には留年という足枷あしかせが付いていて、苦行のような学校生活を過ごしている。

 自分に自信を持つどころか、自信がさらに失われていく日々だな。


 俺の通う新都心しんとしん高校は四年前に開校したばかりの新設校。

 校舎は真新しく設備も最新であり、近未来的な装いで綺麗さも目立つ人気校だ。

 乱立する高層ビルや大型施設、ショッピングモールが併設された新都心駅などが近くにあることもあって、ここは埼玉の中でもきらびやかな場所となっている。


 活気づいた地域の中、華やかな場所で過ごす生徒達の表情は明るい。

 高校生活を満喫しているのか、すれ違う生徒達は皆楽しそうに見える。


 ただ、賑やかな教室へ入っても、俺は浮いてしまっている。

 誰一人俺に見向きもしないし、話しかけられることもない。

 嫌っている訳ではないが、関わりたくはないといった様子だな。


 周りからは腫れ物扱いをされていて、友達もいなければ気軽に話せる相手もいない。

 でも、それは仕方のないことだ。


 俺はをしていて、クラスメイトよりもだからな。

 新しいクラスでの自己紹介時にそれを隠さず説明したため、俺に関わろうとする人は一人も現れなかった。

 留年の事実を隠せば友達の一人や二人できていたかもしれないが、友達になってから実は年上でしたと発覚し、だましたなと思われてしまうのを危惧して隠せなかった。


仁愛にあちゃんってほんと友達多いよね。男女問わずで、陰陽問わずだし』

『もうクラスメイト全員と連絡先は交換したかな~』

『凄っ!? でも、何でそこまでするの? 中には絶対に絡まない人とかいるじゃん』

『同じ人間なんていないし、みんなそれぞれ違う何かを持っているのが面白いの。ぜんぜん絡まない人でも、将来凄い人になるかもしれない。人脈ってのはあって損ないし』


 隣から聞こえてくるクラスメイトの女子達の会話。

 仁愛と呼ばれている女子生徒は、可愛いルックスとコミュニケーション能力の高さでクラスの中心人物となっている。

 俺と真反対の立場だな。

 会話からも意識の高さが垣間見え、俺には無い大きな自信を持っている。


 だが、平気で噓をついた。

 俺もクラスメイトのはずなのに連絡先は知らない。

 誰でも仲良くしてくれる生徒にすら相手にされないとか、留年ってそんなに悪いことなのか?


 やっぱり高校生では年上の俺と仲良くなるのは難しいのか……

 先輩と仲良くするようなものだし、気を使わせることが多いはず。

 むしろ俺がいることで都合が悪くなったり、空気を壊してしまうこともあるはずだ。


 学校を休み続けて出席日数が足りなくなって留年したとはいえ、代償は大き過ぎたな。

 俺が学校生活を楽しむには、もはや大学生になるまで待つしかないのだろうか?


 ……気を取り直して、本でも読むか。

 鞄からブックカバーの付いた本を取り出して読み始める。

 今日俺が選んだ本は【後輩が求める先輩の理想像】というタイトルだ。

 これは彼女であるアリスが読むべき本として渡してくれたものだ。

 これからの学生生活が年下に囲まれた中で送られることを想定して、アリスはこの本をオススメしてきたのだろう。


 そんなに読書は好きではないが、一人で過ごすなら読書は最適だ。

 本を読めば一人でも時間を潰せるし、周りからも変な目で見られない。


【後輩はお手洗いから出てくる姿も見ている。濡(ぬ) れた手を払ったり服で拭かず、ハンカチで拭き取っている大人な姿をあえて見せよう】


 本には後輩に好かれるノウハウがびっしりと記されている。

 こういう本を読んでいると、好かれる人は好かれる自分を演じているんだなと思う。


 俺もクラスメイト達に、留年して一人になっても平気ですよと演じている。

 本を読んだりして一人でも楽しむ姿を見せて、周りに強がって見せている。


 演じているのはきっと俺だけではなく、周りの生徒も同じなはずだ。

 友達が欲しいから陽気な自分を演じている。

 面白い人と思われたいから不思議な自分を演じている。

 女性にモテたいからカッコイイ自分を演じている。

 逆に人間関係は面倒臭いからと周りと距離を置く自分を演じる人もいれば、周りから計算高いと思われたくないからと駄目な自分を演じている人もいる。

 みんなそれぞれ居場所に適した自分を演じ分けているだけなのかもしれないな。


 学校では陽キャと呼ばれていても、バイト先では居心地が悪くて静かな自分を演じ、周りと距離を置いている人がいるかもしれない。

 その逆もしかり、学校では陰キャ扱いされている一方で、バイト先では居心地が良くて陽気に過ごしている人もいるかもしれない。


 環境が異なれば、演じる自分も変わる。

 みんな環境に応じて演じる自分を変えているのならば、誰でも陰陽のどちらにもなれるはずだ。

 それを踏まえると俺は留年を言い訳にして、自ら塞ぎ込み過ぎていたかもな。


 自信のある人間になるには、もっともっと活動的な人間を演じないといけないはず。

 誰かのために動き回ったり、何かに夢中になったり、時には大胆なことをしたり……


 今のつまらない自分とは、もうさよならしないとな。

 理想の自分になるのは、まず理想の自分を演じるところから始まるのだから。


 まぁ頭ではそういう考えに至っても、簡単に身体はついてこないのが現実。

 自分を変えるために今から明るい自分を演じて友達を増やそうだなんて、無謀過ぎて傷を負うだけだ。


 だが、人生というのはきっかけの連続だ。

 別に何もできずにじっとしていても、自分を変えるきっかけは勝手に訪れる。

 大事なのは、きっかけが訪れた時に俺がそのチャンスをものにできるかだ。

 今はチャンスを確実に摑み取るために、息を殺して静かにその時を待っていればいい。


 学校には体育祭や文化祭などイベントが豊富にある。

 掃除だって委員会だって何かが起きるミニイベントとも言える。

 学校生活にきっかけは散らばっているはずだ。


「邪魔なのだけど」


 急に聞こえた背筋の凍るような女性の冷たい声。

 その声の主は俺の斜め前で談笑していた女子生徒達を言葉で追い払い、綺麗な黒い髪をなびかせながら俺の前を横切った。


 彼女の名は黒沢未月くろさわみつき

 少し前までは生徒会長だったクラスメイトだ。


 相変わらず下唇の下にあるホクロがセクシーだったな。

 話したことは無いけど、近くを通るとあの口元をどうしても見てしまう。


『何なのあいつ……』

『だから嫌われるんだよ』


 当人に聞こえるか聞こえないかの声で陰口を言っているクラスメイトの女子達。

 楽しく話していた空気をぶち壊されたので、文句の一つや二つ出るのも仕方ない。


 黒沢は席に座って荷物を整理すると、俺と同様に本を読み始めた。

 黒沢も俺と同じく、一人で平気な自分を演じているのだろうか……


 彼女は生徒会長に立候補した人だ。

 そんな、人との繫がりが大事な役割を自ら進んで担った人が、一人でいることを望むとは考えにくい。


 もしかしたら、本音は俺と同様に友達が欲しかったりするのかもしれない。


「席つけ~」


 担任の橋岡はしおか先生が教室に入ってきて、生徒達が自分の席へ戻っていく。

 教壇に立った橋岡先生と目が合い、微笑みを向けてきた。

 教室では空気扱いをされているので、存在を認知してもらっただけでも嬉しい気持ちになるな。


 橋岡先生は美人でスタイルも良く、男子からは人気が高い。

 だが、一部の女子生徒からはあまり好かれていない。

 男子生徒には甘く女子生徒には厳しいという偏りがあるため、評価が分かれている。

 その橋岡先生が出欠確認をしていると、金髪の男子生徒がゆっくり教室へ入ってきた。


「うーっす」


 遅刻癖や態度の悪さで問題児の扱いを受けている金田綾世かねだあやせ

 ここは校則が緩いとはいえ、彼の金髪のように派手な髪色の男子生徒は少ない。

 目立つ生徒なので興味も無いのに顔も名前も覚えてしまった。


「おい金田、遅刻だぞ」

「反省してまっす」


 橋岡先生に注意されても、笑顔で返事をする金田。


「次は無いぞ」


 橋岡先生の次は無いぞという言葉は、もう何度も聞いている。

 それが橋岡先生の甘さであり、金田も反省せずに遅刻を繰り返している。


 俺の所感だが、橋岡先生はイケメンの生徒には特別優しく接しているように見える。

 先生として生徒を贔屓するのは問題ではと思うが、先生も俺と同じ人間であるため好き嫌いや趣味嗜好がある。

 それを隠さないのは、素直な人とも言えるが……


 金田も問題児とはいえ、顔は整っていて男子の俺から見てもカッコイイと評価できる。

 その容姿も相まって、新学期が始まった時は友達も多くクラスの中心人物だった。

 お調子者ではあったが、遅刻もせずに授業態度も良く、今とはまるで違う男だった。


 だが、一ヶ月ほど前、俺が気づいた時には周りから嫌われていた。

 金田自身も髪を金色に染めて威圧的な態度を取り始め、自ら周りを遠ざけていった。

 彼も不良を演じ、一人が相応しい存在であろうとしているのだろうか……

 わざわざ不良を演じる理由なんて俺には見当もつかないな。


「赤間」


 橋岡先生が生徒の名前を呼ぶが、返事はない。


「おい赤間、聞いてるのか?」

「……はい」


 蚊の鳴くような小さな声で返事をした赤間。

 彼女もこのクラスでは浮いた存在だ。きっと俺よりも浮いている。


 彼女は先月、SNSで大炎上して実名や写真も晒され、大きな問題となっていた。

 橋岡先生もクラスメイトの前で苦言を呈していたし、学年集会でも取り上げられて校内では後ろ指を差される始末。

 転校や退学も噂されていたが意外にも停学処分に留まった。


 今では死んだ魚のような目で教室に縮こまり、周りからは距離を置かれている。

 赤間と比べれば俺の留年なんて状況はかわいいものかもしれないな。


「白坂 」

「はい」


 俺の前の席で透き通るような声で返事をした女子は、このクラス……いやこの学校で一番目立っている生徒だ。

 長くて綺麗な、白髪に近い天然のブロンドヘアーを靡かせている後ろ姿。

 その姿に現実感は無く、見つめていると俺は夢の中で生きているのかと錯覚してしまうほどだ。


 白坂キラ。ハーフで高身長の美人。

 モデルとして活躍している有名人でもある。


 去年は化粧品のCMでテレビに何度か映っている姿を見たな。

 最近はモデルを休業しているのか、メディアへの露出は無くなり休みがちだった学校にも毎日通っている。


 その名は当然学校で知れ渡っていて、周りのクラスメイトは接するには恐れ多いといった態度を取っている。

 何をしても変わらない表情が冷徹に見えて恐い印象を与えており、一人でスマホを弄っていることが多く周りに歩み寄る傾向もない。


 男子からも高嶺たかねの花どころか、迂闊うかつに触れてはいけない、ショーケースに飾られた高価な宝石のごとく扱われているように見える。

 美人でスターのような生徒でもあるため、少しでも歯車が合えば周りに人が溢れてもおかしくはないと思う。

 だが、ここ一ヶ月はずっと一人で過ごしている。


 俺は彼女を間近で見ているので、現状に何か不満を抱いているのが伝わってくる。

 楽しそうにしているグループを恨めしげな目で見ていたり、不安そうな目で下を向いていることが多い。


 表情はほとんど変わらないが、些細ささいな違いが俺には見える。

 直接言葉を聞かなくても、仕草で何を訴えたいかは読み取れる。

 彼女は友達が欲しくて、もっと学校生活を楽しみたいのかもしれないな……


 俺は両親が動物園で働いていることもあり、子供の頃から動物と触れ合ったり観察することが多かった。

 動物は言葉を話せないし、意思疎通は難しい。

 でも、観察や触れ合いを続けていると、言葉は通じなくても仕草や表情、鳴き声や動きで何を考えているかが伝わってくる。


 平たく言えば人間も動物。

 観察をしていれば気持ちをある程度読み取ることはできる。

 だが、人間は動物園にいる動物とは異なって複雑な感情や思考をしているので、正しく読み取れているかは保証できない。

 過信するのはやめておかないとな。


「六時間目に修学旅行の班決めを行うから、それまでに軽く話し合いをしておくように」


 出欠確認を終えた橋岡先生は、来月に行われる修学旅行の班決めを行うと口にした。

 それを聞いた周りの生徒達はどうするどうすると浮ついた声で話し始める。

 だが、俺は下を向いた。

 一緒に班を組む友達もいないし、俺と同じ班になった奴は嫌な気持ちを抱くことになるだろうからな……


 目の前にいる白坂もため息をついて俯いている。

 斜め前にいる黒沢は参ったわねという表情を見せている。


 どうやら困っているのは自分だけじゃないようだ。

 今日のホームルームでは俺達のような一人ぼっちや問題児は、数合わせやなすり付け合いを強いられる。

 この問題から逃れることもできなければ、目を背けることもできない。


 ただ、強制的に繫がりが生まれるきっかけになるかもな。

 望んでいたチャンスが訪れそうなのに、何故か無性に嫌な予感がする。

 その心配は杞憂きゆうに終わってほしいが、果たして――

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