問題児の私たちを変えたのは、同じクラスの茂中先輩

桜目禅斗

プロローグ

遠い約束


 目を開けると、俺を見つめている彼女がいた。

 唇を離すと、彼女の瞳に映る寂しそうな自分がいた。

 立ち上がると、俺を優しく包んでくれていた彼女の細くて脆い身体が見えた。


「……安心した?」


 自信に満ちた面持ちだが、か細い声で問いかけてくる彼女のアリス。

 目が合うとベッドの上で恥ずかしい場所を隠すようにアリスは膝を抱えた。


「不安は薄れたけど、恐怖はまだ残ってるかな」


 大切なアリスが癒してくれるからこそ、大切なアリスを失う恐怖も付き纏う。


「出会いと別れは必ずセットなの。誰かと出会った瞬間に、別れは用意される。それを切り離すことは絶対にできないわ」


 俺がアリスと出会った時に、もう別れは用意されていたようだ。

 それでも俺は一緒にいることを望んだし、アリスもその道を選んだ。


「友達も恋人も家族も必ず別れる時がくるの。どれだけ仲の良い友達も疎遠になって別れるし、恋人も破局して別れる。結婚して家族になっても、いつかは死が訪れて別れるの」


 遅かれ早かれ、別れなければならない日はやって来る。

 それを頭ではどれだけ理解していても、受け入れるのは難しい。


「だから、先の別れを恐れるのは無意味である。何も恐れる必要はなく、今を全力で楽しむべし。それが私の思う、人生で一番大事なことなの」


 アリスは受け入れている。覚悟もできていて、今を全力で楽しんでいる。


「しっかりと頭に焼き付けなさい」


 俺に教えを説くアリスはいつも自信満々だから説得力がある。


「……わかった」


 アリスは俺より年齢が三つ上だが、精神年齢はもっと上だと思う。

 人生を達観していて、世の中を俯瞰している。

 頭も良いし、口も達者だ。

 俺にとっては彼女である以上に、尊敬する師匠のような存在かもしれない。

 とはいえ、アリスに頼って甘え続けるわけにはいかない。

 そんな自分は変えないと。


「最近、アリスに対して思うことがあるんだ」

「何? 言ってごらんなさい」


 これはアリスに言ってはいけないことだと分かっているが、それを自分の胸の内に秘めているだけの強さが自分にはない。


「出会ったのが俺じゃなかったら、アリスはもっと幸せになれたんじゃないかって……」


 俺の言葉を聞いたアリスはベッドの上に立ち上がって、俺の目の前で見下ろしてくる。

 先ほどまで抱えていた羞恥心を忘れさせてしまうほどの言動だったようだ。


「碧、その言葉は私が今まで聞いてきた碧の言葉の中でも一番酷いわよ」

「……そこまでか?」

「ええ。最低としか言えないわね」


 はっきりと最低と罵ってくるアリス。

 相変わらず容赦がない。


「そんなことが言えてしまうのは、恐ろしく自分に自信が無いからよ」


 アリスの言う通り、俺は自分に自信が一切無い。

 アリスと出会う前は根拠のない自信があった。

 普通の人よりは優れているはずだとか、やろうと思えば何だってできるはずだとか。

 でも、実際に自分の能力が試される場面が訪れた時、俺は望むような結果を得ることができていなかった。

 自分を過大評価していたことに気づいた。


「俺と付き合えて良かったな。そんなことが言える人間になりなさい」

「それは……難しそうだな」

「どれだけ時間がかかってもいいから、いつか必ず本気でその言葉を私に言いなさい」


 アリスは頑固だから絶対に俺が言うまで忘れないし、考えを変えることもないだろう。


「そうしないと、もうエッチなこととかしてあげないわよ」

「そ、それは困る」


 俺の言葉を聞いて、したり顔で笑うアリス。


「私も困る」


 アリスも同じ気持ちだと知ると、愛おしい気持ちが胸の内から込み上げてくる。


「碧に自信が無いのは、私しか本当の君を評価している人がいないからね」

「確かに、いつの間にかアリスしか交流する人がいなくなってるな」

「誰かを楽しませて、誰かを救って、誰かに信用されて、誰かに愛される。そういうのを一つ一つ積み重ねていけば、絶対に自信は湧いてくるはずよ」


 アリスは厳しさと優しさで、俺をこねくり回して人間性を形作ってくれている。


「自分一人で何かを乗り越えたり目標を達成しても自信は生まれないから要注意ね。自信というのは周りからの評価で湧いてくるもの。それ以外の自信は自尊心でしかないから」


 誰よりも俺のことを考えてくれていて、誰よりも俺のことを愛してくれている。

 それがアリスであり、俺にとってこの上ない存在である。


「周りのみんなに凄いと言われれば、碧は本当に凄い人なの。周りのみんなに好かれれば、碧は本当に良い男なの。そうなっていけば私に本気で言える日も来るんじゃない?」

「……頑張ってみるよ」

「楽しみだなぁ、碧が自信満々に俺が彼氏で良かったなって言ってくる日が。今でも大好きなのにそんなこと言われたら……きっと、この気持ちが抑えきれなくなっちゃうわ」

 そこまで期待されているのなら、何が何でも実行するしかないな。


「その時に結婚でもいいかも。プロポーズ的な?」


 良い事を思いついたという表情で、さらっととんでもないことを口にしているアリス。


「な、何言ってんだよ」

「本気だよ……ずっと待ってるから。約束ね」


 アリスは隙だらけだった俺の小指に自分の小指を絡めてくる。


「わかった。必ず言ってみせる」


「よしよし、それでこそ茂中碧もなかあおだ。私が愛した、最初で最後の男」


 約束は必ず守らないといけない。アリスにそう教え込まれた。

 アリスの口元を見る。下唇の下にあるホクロが、いつも俺を誘惑してくる。


「いいよ。しても」


 俺の気持ちを察したのか、キスの許可をくれたし優しく抱きしめてくれた。


「ずっと見守っててあげるから。大丈夫」


 自分に自信が持てるその日まで、俺は決して立ち止まらない。

 そして、いつかアリスにプロポーズをしてみせる。

 このクリスマスの日に俺はアリスへ誓ったんだから――

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