第228話 装備調達
「コレだ、着てみてくれ」
店の奥へと通された私の目の前には、衣紋掛けに広げられた一枚の着物……ではなく浴衣か。
余りにも豪勢なので、着物かと勘違いしてしまいそうな程の仕上がり。
まぁ、浴衣も着物の一種ではあるので間違いではないのだろうが。
「あの……夏祭りに来ていく浴衣って言いましたよね? コレはちょっと綺麗過ぎるというか、恐れ多いんですけど」
せめてもの抗議の声を上げてみれば、相変わらず不愛想にジロリと睨まれるだけだった。
はぁ……とため息を溢してから、「奥の部屋借りますね?」なんて一言残し浴衣を掴んで襖を閉める。
何がどうなってこんな事に……なんて思ったりもする訳だが、“彼”の場合は無視する訳にはいけない都合もあるので、とりあえず着てみる事にした。
「随分と手が込んでますね……こんなもの、代金を払える気がしませんよ?」
着替えながら声を掛けてみれば、やはり襖の向こうに居るのかすぐに返事は返って来た。
「いらん」
相変わらず感情の読めない人だ。
野太い声で、必要最低限な事しか語らない。
どこかの顧問とは正反対の人間と言ってもいいだろう。
「そういう訳にもいきませんよ。と言っても貴方は同じ言葉を繰り返すだけでしょうからね。理由を聞いてもいいですか?」
今着ていた洋服を脱ぎ捨て、貰った浴衣に袖を通していく。
あ、凄いコレ。
肌触りが既に気持ち良い。
どんな素材が使われているのか知らないが、絶対高い奴だ。
「また“関わってる”んだろう? こういう店をやっていると、色々と見えてくる」
「ご名答……と言いたい所ですが。近くに開催されるお祭り会場の周辺に、何があるか調べましたね? とはいえまぁ、正解です。私達はソレに関わろうとしています」
「調べた訳じゃない、元々知ってる」
「そうですか」
彼は、“見える人”だ。
しかし突起した能力もなければ、関りが深い訳でもない。
簡単に言えば、見えるけど“普通に”暮らしている人なのだ。
それがどれ程難しい事なのか、私達であれば想像に難くない。
だからこそ彼は娘の友人の妹、という微妙な立場の私にすらこうして優しくしてくれるのだろう。
そんな短い会話をしながら着替えを進めていけば、不愛想な彼は珍しく饒舌に語り始めた。
「“ああいうモノ”と関りを持つな、とは……今更言わない。しかし、今回は油断するな。“淵”というモノは、災いを呼び込む。想像できない悪夢を、平然と用意する。そう、寺の坊さんから聞いた」
「だからこその、この“浴衣”ですか?」
言いながら襖を開け放ち、彼の自信作と思える浴衣姿を晒してやる。
深い紺色。
ただただ暗く映るのではなく、光によって様々な色を見せてくれそうだと思える程、質感が良い。
光を浴びれば青く輝き、暗い場所へと向かえば黒より優しい漆黒へと染まる。
それ程の物でありながら、刺繍も細やかだ。
着物かと見間違う程大胆に装飾されたソレには、美しい椿の花や梅の花。
そしてこれは彼岸花を模したのだろう。
ちょっとお祭りに着ていく浴衣としては“重い”印象を受けるが、それでも喪服の様な重苦しさはなく、飾れた花々も可憐に美しさを際立たせている。
そんな浴衣姿を、彼の前に堂々と晒してみせた。
「きれ……いや、その言葉を最初に言うのは俺ではないな。似合っている」
「お心遣い感謝します、話の続きをしましょうか」
ニコリと微笑んで見せれば、不器用に頬を吊り上げる店主。
しかしその表情は、すぐに先程の様な険しい物へと戻った。
「正確な事は分からん、俺も詳しい訳では無い。だからこそ、油断はするな。“淵”に堕ちた者、もしくは落ちた者は……後日変わり果てた姿で帰ってくるらしい。外見、内面。色々だそうだ」
「ご忠告、感謝いたします」
鋭い眼光を受けながらも、静かに頭を下げて見せれば。
彼は「ほぉ」と意味深な声を洩らした。
「何か?」
「いや、我ながら良い出来だと思ったまでだ」
「そう思うならお代を受け取ってください」
「娘を助けた友人の妹から、金は取れん」
「これだから……」
過去に姉が紗月さんに対してどんな行いをしたのかは知らないが、随分と感謝されているのだ。
深くは語らない人達だし、フラフラする姉に問いただす時間も無かったので結局真相は闇の中な訳だが。
「とにかく、何かしらの要求が無いとこちらの気持ちも収まりません。何かないんですか? お金意外に。例えば“怪異”に関わる情報だとか、依頼だとか」
まあ希望は薄いだろうと投げかけて見た訳だが、相手からは予想外な反応が返って来た。
ニヤリと笑い、三本指を立てたのだ。
今までこんな事は無かったが……何を要求されてしまうのだろう。
「ではまず第一、無事に帰ってこい。その為の“勝負服”は俺が拵えてやる」
「……うっす」
なんだろうこの感じ。
どっかで見た職人気質の“道具屋”さんと同じ雰囲気があるのだが。
「そして二つ目、もう少し店に来い。紗月が喜ぶ」
「和服を着る機会がそこまで無いのでお約束は出来ませんが……紹介とかその辺りで、どうにか頑張ります」
「うむ」
今回みたいに、友人達を連れてくる機会を増やせば良いのだろうか?
まあ売り上げに貢献できるのは確かだが……生憎と和服で生活する習慣が私には無い。
この前なんて先生から貰ったお古のTシャツを着てゴロゴロしていたら、弟からだらしないと怒られたばかりだと言うのに。
「最後に……」
「はい」
真剣な表情の彼は、睨むような眼差しで私の事を捕らえている。
これは……一体どんな条件が出てくるのか。
なんて意気込んでいた私は、どれほど滑稽な存在なのか思い知らされることとなった。
「お前の花嫁衣裳が必要な時は、ウチの店に注文しろ。和服でもドレスでも作ってやる、その時は正当な料金を貰うがな」
「はい。……って、はいぃ?」
「色んな意味で“勝負服”なんだろ? だからこそウチを頼れと言っているんだ。分かったな?」
なんて台詞を吐いたかと思えば、彼はドスドスと足音を立てながら店内へと戻ってしまった。
あれは……一種の照れ隠しなのだろうか?
困惑しながらも後に続き、店内へと戻ると、そこには……。
「いぃ! 良いわよ夏美ちゃん! まさに若い、あざとい、可愛いの三描写!」
「えっと、はい……どうも?」
「それに鶴弥ちゃん! 誘拐されない様に気を付けてね!? 幼さを残しつつも妖艶な雰囲気を醸し出す少女っ! 大人の男も間違った道に進む事間違いなしっ!」
「そこは喜んでいいのか判断に迷う評価ですね……」
店内では、色々な意味の地獄が形成されていた。
紗月さんは、“コレ”があるからなぁ……。
「ちなみに、白を着せるなと言っていたのは?」
隣で唖然としている店主に声を掛ければ、彼はハッ! と擬音が付きそうな程狼狽して、それからいつもの調子に戻ってくれた。
「ウチは呉服屋だ。しかし、“死に装束”やら“喪服”を作る趣味は無い。勝負服なら、派手に行くべきだろう。白を使うのは祝い事の時だけだ」
その言葉には、色んな意味が込められていたのだろう。
だからこそ、私はソレに追及する事などなく良い意味で微笑みを返せばいい。
今日で最後にならない様、彼が“服”を仕立ててくれる限りは。
「また、お願いします。今度は男性用とか頼むかもしれません」
「期待している」
短い会話を終えて、私は二人の元へと戻った。
確かに彼が言う様に、今回のコレは“勝負服”だ。
感情的な意味でも、現実的な意味でも。
ただ、一つだけしっかりと思えた。
“生きて帰ろう”。
そうすれば、このお店にもまた来られる。
今度は、先生だって連れて来られるかもしれない。
そうなる未来を胸に抱きながら、私は目の前の問題へと思考を切り替えるのであった。
――――
「急に呼び出してゴメンね? 光谷君」
「うん、全然問題ないけど、俺の名前は影山な? お願いだからそろそろ覚えて?」
雑談を交わしながらも、僕達は並んで服を選んでいた。
これぞ高校生っていう雰囲気を醸し出しているのではないかと、自分でも思う。
周りから見ても、きっと友人と楽しくショッピングしているように見えるはずだ。
「あのな黒家? 祭に着ていく服なんだろ? なんでそんな戦場に向かう兵士みたいな目で服眺めてんだ? もっと気楽に、な? ほら店員さんも、すんごく眉顰めて俺らを見てるぜ?」
「それはいいので意見を下さい。天童さ……僕の先輩が入院中なので、服に詳しい人が居ないんですよ」
真剣な眼差しで飾ってある浴衣を手に取る。
うーむ……地味か?
しかし色々模様の入っている様な物を選べば派手になる、というかチープな空気を出しかねない。
相手はどんな服装で来るのか聞ければ早いのだが、そんな事をする訳にはいかないだろう。
「だって俺、お前と一緒に行く女の子がどんな子かも知らないしよぉ……そもそも相手が普通の私服で来たら、浴衣やら甚平だと……お前浮くぜ?」
はっ、確かに。
夏美さんが普段着で来た場合、僕だけ和装では釣り合いが取れない。
そんな事があれば彼女に恩返し、どころかお祭りを楽しんでもらう事さえ難しくなるだろう。
僕はあくまで脇役、そして彼女に楽しんでもう為に存在するのだ。
“オカ研”のお仕事はあるが、それとは別に夏美さんにはお祭りを楽しんでもらいたいと思っている。
だからこそ、おかしな恰好は出来ないのだ。
「くっ……っ! どうするべきなんだ。当日の姿を確認していいモノなのだろうか。どう思う光谷君?」
「いや、普通に駄目だろ。あと影山な」
光谷君が、とてつもなく飽きれた様子で僕の事を見ている。
交友関係に優れた彼の事だ、女性関係もきっと僕なんかよりずっと進んでいるのだろう。
だからこそ彼の言う言葉は貴重だ。
僕に無い情報をくれるのだから、全て聞き逃す訳にはいかない。
「いや、だからさ。祭りなんてテンション次第だって、彼氏彼女ならこういうのも着るけど。友だち同士で集まるだけなら私服で――」
愕然とする僕を励ます様に、光谷君が声を掛けてくれた瞬間。
ヴゥゥと地味な音を立てて僕のスマホが振動する。
僕に連絡をして来る人はかなり少ない。
“オカ研”メンツからの報告か、姉さんや先生からの気ままな連絡か。
なんて事を想像しながらメールを開けば、そこには……。
『ねぇねぇ俊君。コレ変じゃない? お祭りに着ていく浴衣を買いに来たんだけど……やっぱりちょっと派手かな? 違う色の方が良いと思う?』
薄ピンク色の浴衣を着つけた夏美さんが、恥ずかしそうにピースしている写真が添付されていた。
…………何だ、これは。
「えっ、嘘だろ!? もしかしてその人と祭行くとか言わないよな!? ちょ、ちょっと黒家、俺に紹介――」
言葉の途中で、彼の額にチョップを叩き込んだ。
今はそれどころではないのだ、集中させろ。
緊張で震える指で文章を紡ぎながら、どうにか返答らしい文字列が完成した。
『とても素敵です、夏美さんに良く似合っていると思います。当日の班分けで同じグループになったんですから、せっかくなら楽しみましょう。僕も和服選んでます』
普通、というか定型文みたいな文章。
コレで彼女は喜んでくれるのかと言われれば、正直微妙だろう。
はぁ……とため息を溢した瞬間、背後からヘッドロックを掛けられた。
「おっ前、あんな綺麗な彼女が居たのかっ! さっきの彼女に服を合わせたい、そういう事だな!?」
「あーえっと、彼女ではないけど。全体的な方向性は合ってるかな? あの人に見劣りしない服を選びたいんだけど……」
ウガーッ! と叫び声を上げる彼に対して微笑みを返してみたのだけれど、これがまた逆効果だったようで。
店員さん達が凄い顔をしながらこちらに駆け寄ってくる姿が見える。
これは不味い。
「という事で、見劣りしない姿になりたいんだよ。相談に乗ってもらえる?」
「もう、もう嫌だ! やっぱりお前なんか嫌いだ!」
ヘッドロックを掛けながら男泣きをかます光谷君に、駆けつけた店員さんはとても困った表情を浮かべていた。
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