第205話 小物
「冬華さん走って! アレはマジでヤバイ!」
隣で唖然とする彼女の手を、がむしゃらに引っ張った。
アレは不味い。
力を貸してくれる“ブギーマン”を、相打ち覚悟で向かわせれば何とかなるかもしれないが、それだけはダメだ。
あの子は道具じゃない。
「ちょ、え!? 優愛ちゃんどうしたの!? トンネルに入らなくていいの!?」
叫んでくる冬華さんの手を引きながら、背後にあるトンネルを睨む。
“私の眼”では何も見えないが、空気の圧迫感というか、“見られている感覚”が半端じゃない。
多分、もう出て来ているのだろう。
「冗談抜きに入ったら死にます! とにかく走って! ウチらを追って来てる!」
トンネルの中に居たのは“赤子”、だったものだと思われる。
その巨体、歪さ。
どれをとっても慈愛を注ぐべき相手だとは思えない見た目をしていた。
まるでそのままの姿で無理やり成長させられたかのような、とてもじゃないが“人間の形”をしていない。
両目は金魚の様に飛び出しているし、ぶくぶくと膨れ上がった体はもはや肉の塊の様にも見えるくらいだ。
「多分“上位種”……いや、姿が見えないから“なりかけ”? でも、あそこまで酷くなるなんて……」
「優愛ちゃん! 前! 前!」
冬華さんの声に視線を上げれば、通路を塞ぐように“黒い霧”の壁が行く手を塞いでいた。
おかしい、何故“見える”?
私には“見る”力が全くと言っていい程備わっていないし、当然冬華さんにもそんな力はない。
でも、見えるのだ。
部長が言っていた、“誰しも見える瞬間がある”というやつだろうか?
それとも“上位種”に近い何かが、この“黒い霧”にはあるんだろうか?
とはいえ、私には対処法なんてろくに思いつかないが。
「“ブギーマン”!」
叫んだ瞬間、私の背後から真っ黒い衣装の怪異が姿を現し、片腕を振りかぶった。
草加先生に吹っ飛ばされてから、戻って来ないもう一方の腕。
生きた人間であれば当然だが、死霊でも同じなのかと今更ながら思ってしまう。
そんな事を考えている内にブギーマンは“黒い霧”の壁を拳で小さな穴を開け、人が通れるであろうスペースまで無理やり広げていく。
「ごめんね! 行こう!」
この子は何なんだろう。
私に寄り添い、そして付き従ってくれる怪異。
全く予想が出来ない訳ではないが……世界とはそう都合のいいものではないはずだ。
だからこそ私の望む結果に安易に結び付けるのは、とてもじゃないが危険だと思えて仕方がなかった。
とはいえ私の中では最高戦力。
俊君にとっての八咫烏に近い存在……だったらうれしいんだが。
なんて事を思いながら“黒い霧”を抜ければ、いつも通りの神社が見える。
良かった、“迷界”とまでは言わなくともそれっぽい囲いからは抜け出せた。
そう、思った瞬間。
『マ…マ…』
声は、すぐ後ろから聞こえて来た。
不味いなんてもんじゃない。
呆けて足を止めるべきではなかった。
私達は脅威から逃げ出したが、振り切ってなど居なかったのだ。
振り返ってもまるで見えないが、背後の“通り道”から確かにその声は響いて来た気がする。
「あ、コレ。まず――」
「え、今の声……ちょっ!? 何!?」
私が何かを言う前に、隣に居た冬華さんの体が浮きあがった。
傍目から見ればまるで手品か何かだ。
目には何も映ってないのに、巨大な腕に掴まれたように身を浮かせる冬華さん。
苦しそうな声を上げながら、徐々に“向こう側”へと引きずり込まれていく。
「逃げて! 優愛ちゃん!」
苦しみながらも叫ぶ冬華さんに、思わず奥歯を噛みしめた。
私にもっと力があれば、私がもっと強ければ。
そう思わずにはいられなかった。
「ブギーマン! 冬華さんを助けて!」
叫ぶと同時に黒いローブがはためき、冬華さんを掴み上げていた腕に取りついた。
こちらから見ていると、何もない空間をブギーマンが抱えぶら下がっているようにも見えるが。
そんな目に見えない“ナニか”を抱えているブギーマンの腕が、キュッと音が立ちそうな程力強く締まる。
『ピギャアアァ!』
獣じみた悲鳴が響き渡り、空中に居た冬華さんが落ちて来た。
ブギーマンが一度距離を置いたところを見ると、恐らく腕を一本潰したのだろう。
どうする、“共感”を使って状況を確認するか?
いや、それよりも冬華さんをこの場から遠ざける方が先か。
「冬華さん! また走りますよ! ウチらがここに居ちゃ邪魔になるだけ――」
「……私の赤ちゃん……なの?」
「え?」
ぼーっとした表情で彼女は立ち上がると、フラフラと来た道を戻り始める。
向かう先には目に見えない相手に対し、ブギーマンが風に揺られる旗の様にヒラリヒラリと動き回っている光景。
今までの言動からして、冬華さんにもブギーマンは見えている筈。
あの見た目、更には今さっき“見えない何か”に襲われた事もあって、普通なら近づこうとなんか思わないだろうに。
「冬華さん! 何してるんですか! 早く戻って!」
「ごめんね、ちゃんと生んであげられなくて。駄目なママでゴメンね……」
呼びかける声にも反応せず、彼女は歩き続ける。
ブギーマンも冬華さんの存在に気づいたらしく、「どうするの?」と言わんばかりの視線を私に向けて来た。
とにかく、無理にでも引っ張り戻すしかない。
「ブギーマン、もう少し抑えてて! 冬華さんを引きはがすまでもうちょっと耐えて!」
叫びながら走り出し、彼女の腕を掴んだ。
幸い距離が大して離れていなかった為すぐに追いつけたわけだが……ここでまた問題が一つ。
冬華さんが全く動こうとしないのだ。
手を引く私に対抗する様に足を踏ん張り、視線はずっと正面を見つめている。
彼女は警察官であり、当然普通の女性より鍛えられている。
そんな人をただの高校生である私が力比べをしても、当然勝てる見込みなどない。
「冬華さん! お願いですから逃げてください! “アレ”はもう貴女の赤ちゃんじゃない! もう帰ってこれないんです!」
「……ごめんね、今そっちに行くから……今度は一緒にいるから」
聞いていない、というより“聞こえていない”みたいだ。
喋っている内容自体は彼女の本心なのだろう。
でも、理性というモノがまるで感じられない。
こんな状態の人を、私は今までにも見たことがあったはずだ。
「狸! どこいったの狸! ちょっとだけ“眼”を貸して!」
必死に冬華さんの手を引っ張りながら叫び声を上げれば、遠くからテッテッテ! とアスファルトを爪で叩く音が近づいて来た。
その音は足元で止まり、キューンっとあまり聞いた事のない鳴き声を上げている。
「少しだけ借りるね!」
一応一声掛けてから“共感”を使う。
こんな場所で倒れる訳にもいかないので、ほんの少し視線を共有してもらうだけ。
すると……。
「やっぱり……“憑かれてる”!」
冬華さんの背中に、いくつもの小さな“黒い霧”が蠢いていた。
赤子に対する想い、そして罪悪感。
その隙間に付け入られた様だ。
そして彼女が向かおうとしているその先。
醜い姿の赤子は予想以上に近づいて来ており、こちらに向かって伸ばす腕をブギーマンが叩き落しているという構図。
問題なのは叩き落され、腕を千切られても赤子の腕が再び生えてきているという異常事態。
取れた腕が空中で無散しているにも関わらず、本体の方から肉がせり上がる様にして瞬く間に再生してしまう。
何だよアレ、あんなの見た事ない。
「とにかく……冬華さん“憑いてる”方をどうにかしなきゃ……このままじゃ――」
どうする? どうすればいい?
相手に流されるまま事態を動かしてしまったが、やはり周辺の怪異をブギーマンに任せて、部長達の到着を待った方が良かっただろうか。
でもその場合冬華さんだけでも先に行っちゃいそうだったし……って今はそうじゃない。
目の前の状況、部長が“雑魚”と呼ぶソレを祓う手段が私には無い。
ブギーマンを戻す訳にもいかないし……でも――
「承知しました」
「え?」
思考の途中でズドンッ! と大きな音を立てながら彼は空から降って来た。
いや、今どっから来たの君。
なんて声を掛ける間もなく、彼は冬華さんの正面に回りスパンッ! とデコピンを放つ。
次の瞬間には巻き付いていた黒い霧は晴れ、冬華さんは膝をつく形で地面に座り込んだ。
「……え? あれ?」
結構いい音がしたデコピンだったが、不思議な事に痛みが余りないのか、冬華さんは唖然として周囲を見渡している。
「待たせたな! って、一回言ってみたかったんですよね」
「えっと……とにかくありがと俊君。ナイスタイミング」
私の後輩が、良い笑顔をこちらに向けて親指を立てた。
どうやら、緊急事態は過ぎ去ったらしい。
――――
「あの少女と繋がりがあった時点で色々と予想はしていましたが……そうでしたか、貴女が彼女達を率いていたんですね。椿、美希先生?」
そう言いながらニヤッと口元を歪める天狗仮面。
だが残念な事に、半分はハズレだ。
あの子達を率いているのは私じゃない。
副顧問である事と、最近は生徒達がちゃんと頼ってくれているからある程度は間違いではないのだが。
それでも違う。
あの子達が本当の信頼を寄せているのは草加君であり、私じゃない。
彼等彼女らの事情を知り、サポートできるのが私であるだけ。
草加君の様に全てを覆すような力は、私には無いんだから。
そんな事を思いながら目の前を睨む。
間違いない、あの“烏天狗”と同じ仮面だ。
それどころか、衣装や錫杖まで同じモノに見える。
多分“カレ”の遺品を集めたのだろう。
それらは“呪具”になり得る力を持っているのかもしれないが、多分“本人”以上の力を出す事は出来ないだろう。
なんたって、“烏天狗”と対面した時ほどの脅威を感じないのだから。
よく言って、おかしな恰好をした不審者プラスαといった所だろうか。
まぁ、“見える子”達からしたら違うのかもしれないが。
生憎と私は相手の力量を図れる“眼”や“感覚”なんてモノは持ち合わせていないのだ。
「あら、こんばんは。東坂縁さん? こんな時間に、そんな恰好でどういたしました?」
あくまで冷静に、平然と受け答え……出来てたらいいな。
私は現場向きじゃないんだ。
黒家さんや鶴弥さんみたいに、すらすらと言葉が浮かんでこないわ。
どうする? どうしたらいい?
そんな疑問ばかり頭に浮かび、背中は汗でびっしょりだ。
「やはり気づいていましたか、流石は椿の人間。二度目にあった時はどうしようかと思いましたが、ここまでくると運命と言えるかもしれませんね」
うん、出来れば勘弁してくれ。
なんでお前みたいな良く分からないキモいのに、運命がどうとか言われなきゃいけないんだ。
夜な夜なコスプレしながら街を練り歩く様な変態はごめん被る。
草加君、お願い。
コイツぶん殴って。
「あの名高い椿家の後継者と、こうも深い関係になれるとは好都合。如何でしょう、私と共に来ませんか? 貴女の様な方なら大歓迎ですよ? 誰かを憎いと思った事はありませんか? 居なくなればいいのにと思った事はありませんか? 私達なら、ソレが実現できます。世の中に蔓延る不純物を取り除くことが出来るのです。素晴らしいとは思いませんか? 貴女と私の力があれば、それはいとも簡単に実現するでしょう」
キモイキモイキモイ。
勝手に深い関係とか言われちゃってるし、しかも言っている事が明らかに幼稚だ。
気に入らない相手が居るから殺しましょう?
どう考えても自己中心的で、独りよがりな欲望を意気揚々と掲げている。
もはやカルト集団の人間か異常者の類と言っても良いのかもしれない。
というか、そういう類じゃなければ“呪い”を広げたりはしないか。
こういう人間にとって“呪い”は道具であり、“武器”だ。
だからこそ使う事に対して何も思わないし、躊躇なく相手に自分の武器を向けられるのだろう。
それが誰かの切実な“願い”の塊だったとしても。
こいつらには、関係の無い事なのだ。
「生憎と、お断りします。気の合わない人間や、不快に感じる相手なんてごまんといます。だからと言ってソレを独断、というか私達の勝手な選り好みで断罪するなんてどうかしていると思いますが? それに、これでも一応教師ですので。幼い子供の我儘じゃないんですから、もう少し頭を使ってみてはいかがですか? 貴方は全ての人間を掌握し、理解出来る器があるんですか? とてもじゃないですけど、そうは見えませんね」
煽り文句と罵倒のオンパレード。
如何せん綺麗事ばかりを並べた内容になってしまった気がするけど、ちゃんと微笑みを崩さず言ってのけた。
褒めて、ねぇ褒めて。
今誰も見てないけど、私頑張ったから。
「噂に違わず、椿の人間というのはお堅いようですねぇ……いやはや残念でしかたありません。流石に椿の人間でも若い方であれば、もう少し現代寄りの意見が出るのではと期待したのですが、やはりいくら力を持っていても愚者は愚者ですか。潔癖と言えば聞こえは良いですが、愚かなモノですね」
お前にだけは言われたくねぇよ。
愚者とか言ってくれてるけど、お前なんかジャ〇アンがドラエ〇ンに道具貰っている様なモノだからな?
欲深さと愚行で言えば、お前の方が圧倒的に上だからな?
などと考えている内に、彼は右手をこちらに差し出してきた。
別に握手を求めている訳では無い、掌をこちらに正面から向けているのだ。
普通だったら何してんのコイツ、って笑い飛ばすところなんだろうけど。
生憎と、ソレに見覚えのある私には笑えない事態だった。
彼の体から、そしてこちらに向けられた掌から、どす黒い霧の塊の様な物があふれ出てくる。
“呪い”
人の想いというか、憎悪というか。
とにかく悪い感情が集まったモノ。
こんなものが過去、黒家さんから発せられていたと考えると思わずゾッとする。
彼女は皆を守る“武器”としてコレを使ったが、とてもじゃないが容易に触れて良い物とは全く思えない。
「分かりますか? 流石は椿の後継人。未完成ではありますが、“呪い”と呼ばれる起源になったソレです。まさに“力”その物だと言えませんか? 美しいでしょう?」
彼の掌から、まるで蛇の様に黒い物体がゆっくり伸びてくる。
暗闇を凝固させたような黒い“ソレ”が、私という餌を見つけたかの様に一直線にこちらに向かって来ていた。
が、にょろにょろと延びてくるソレを見て思わず私は……ポロッと感想が口に出してしまった。
「え……しょぼ……え? 小っちゃい……」
以前私が見たのは“ソレ”は、まさに異次元だった。
烏天狗が滝の様に“呪い”をまき散らし、黒家さんが自身に掛けられた“呪い”を自由自在に操ってソレを防ぐ。
皆を守る為に“感覚”を使った彼女とか、特に凄かった。
当時は慌てる事しか出来なかったが、今となっては彼女の行動がどれだけ自身の命を削る行為だったのかも理解出来る。
そしてタイミングを見計らった様に覚醒する“九尾の狐”。
もうね、アレは女でも痺れちゃうよね。
って違う、今は目の前の話だ。
多分このにょろにょろでも、人一人くらいは平気で殺せちゃうのであろう。
だって自信満々だし。
だから警戒した方が良いのだろうが……如何せん以前の戦闘と比べるとショボい。
あの、言いずらいんですけど。
コレ多分、被害者だった筈の黒家さんにも負けるよ?
「は、はははは! まさかこの力が理解出来ないとは、椿の人間も落ちたモノですね!」
あ、ハイ。
そうですか、すみません。
にょろにょろを生やした天狗の仮面が、笑い声を上げながら天を仰いだ。
どんな顔をしているのかまでは仮面を被っているので分からないが、多分この人相当怒っているんじゃないかな。
自分の大傑作を、開口一番に罵られた事に相当腹を立てている気がする。
ゴメンて、まさかこんなのが登場すると思ってなかったんだって。
もっとこう、ゴー! って感じに周囲から巻き上がって、周囲を埋め尽くしたりなんかして。
その後に彼の体からあふれ出す……みたいなのをイメージしていたのだが。
現れたのは黒いにょろにょろが一匹。
しかも、追加は無し。
こんな時、私はどう反応すればいいんだ。
わーすごーい! とか手を叩けば良かったのか?
認められたい、褒められたいだけならキャバクラにでも行ってくれ。
あそこで働いてくれる子達は、お金を出している間は全肯定してくれるらしいから。
「コレの素晴らしさも分からないなんて……本当に度し難いですね。当然人間にはキャパシティがあります、それを超える“呪詛”は別で保管してありますが……こんなに濃密な“呪い”を持ち運べる者は早々居ないと言うのに」
何かいい訳が始まってしまった。
ゴメンって、うん凄い凄い。
そもそも私、“呪い”を持ち運ぼうとか思わないもん。
彼からしたら“道具”の一種として携帯しているのかもしれないが、副作用怖すぎて触りたくないもん。
そういう意味では凄いよ、うん。
でもさ、それ以上の“呪い”を常に身に宿してた子を見た後ではかなり滑稽なんだ。
ごめんね?
「その眼、余りにも気に入りませんね。本当にコレがどんなものか理解していらっしゃらないご様子だ。その身で味わってもらいましょうか……三日三晩とは言わず、数週間は苦しむ事になるでしょう。そしてその後――」
「え、あ。随分と猶予長いんですね。前見たのは数時間もないレベルだったので、相当焦ましたが」
「……」
しまった、会話が途切れた。
多分私は接客業には向かいないのだろう、だって会話続かないし。
前回受けた呪い、黒家さんはまだいいとしよう。
だって年単位で予告されていて、リミットまで藻掻けっていうゲームみたいな扱いを受けていたし。
でも早瀬さんに関してはその場で呪いを受けて、更に侵攻が早かったのだ。
どこまで行ったら命に関わるとかは分からないが、彼女も黒家さんレベルに肌が黒ずんでいた光景を見た時には相当寿命が縮む思いだった。
それも数十分の内に、だ。
あのまま放置すれば多分一時間と立たず、相当彼女を蝕んでいた事だろう。
それくらいに強力な“呪い”だった。
だとするとコレは……どう判断したらいいのだろうか?
流石にここまで自信満々なのだ、多分命に関わる強い力なのだろう。
しかし私の体には“巫女の血”が流れている。
呪いを跳ね除けるだけの力があるのかと聞かれれば、正直分からないが。
そして当然自らこのにょろにょろに触ろうとも思わない訳だが、でもなんか後でどうにでもなりそうな気がして来るのは気のせいだろうか?
流石に油断し過ぎだとは自分でも思うのだが、如何せんショボい。
どうしよう、どう反応するのがベストなんだろう。
「……もういいです。分からないのであれば、分からせるまでです」
「え? ちょ……キャッ!」
反応に困って彼の腕から生えるにょろにょろを睨んでいると、唐突に彼は私を押し倒してきた。
最近ランニングで体力作りはしていても、流石に成人男性の腕力には勝てず組み敷かれてしまう。
私の上に馬乗りになる天狗面の男。
もはやこの光景は色んな意味で犯罪臭が漂っているだろう、いや元からなんだけどさ。
「この“呪い”をその身に受ければ、貴女程度でも理解できるはずです。コレがどんなものか、そしてどれほど素晴らしいものか。やがて貴女は私に懇願する様になるでしょう、こちら側に入れてくれと……」
そう言ってにょろにょろの生えた右腕を近づけてくる彼。
なんて、普通だったら冷静に観察している事なんて出来なかっただろう。
実際アレに触れれば私自身どうなるか分からないし、この男がどんな要求を強いてくるのか分かったモノではない。
それでも冷静で居られる理由が、カレの後ろに立っているのだ。
多分、私の帰りが遅くて様子を見に来てくれたのだろう。
「さぁ考えを改めるなら今の内ですよ! そうでなければ貴女は――」
「おいコラ」
言葉の途中で、自信満々な声を上げていた天狗仮面は横にすっ飛んで行った。
正しくは背後から近づいて来ていた彼の存在に気づかず、思いっきり側頭部にキックを食らった訳だが。
そんな可哀そうな仮面男に対して、狙ったかのようなタイミングで登場したヒーローさんはボキボキと指を鳴らしている。
もはや行動がチンピラである。
むしろ意気揚々と彼が語っている間、後ろから凄い顔をして歩み寄ってくる草加君の方が恐怖であった。
いや、うん、助かりました。
助かりましたけどね?
「てめぇ……こんな所に居やがったか……変態コスプレイヤー&少女監禁容疑の犯罪者が! 今度は婦女暴行と強姦罪か!? テメェだけは挽肉じゃすまねぇ……ミンチにしてやらぁ!」
どうやら草加君は目の間で横たわる彼と、あの“烏天狗”を人違いしているらしい。
お願いだから、殺さない程度にしてあげてね?
あと、挽肉とミンチって一緒だからね?
「ガッ……うぐぁ……」
良く分からない呻き声を上げながら、頭を押さえた天狗仮面が立ち上がる。
が、かなりのダメージがあったらしくフラフラと酔っ払いのように揺れていた。
「どうした、そんなもんじゃねぇだろ? たった数年で衰えたかジジィ」
そう言って近づくチンピラ……ではなく草加君が、拳を振り上げた瞬間。
パキンッと陶器が割れる様な音が響き、相手の仮面が地面に落ちた。
現れるのは、昼間見た狐目の男。
あの時と比べれば、随分と雰囲気も違う気がするが。
兎にも角にも、草加君が相手なのだ。
コレで“呪い”の件も片が付く――
「……すみませんでしたぁぁ! 人違いでしたぁ!」
「「は?」」
彼の顔が見えた瞬間、圧倒的に優勢だったはずの草加君がジャンピング土下座をかましていた。
おい、待て。
お前何やってる、早く取り押えなさいよ。
「えっとですね、前にそういう恰好してる奴がヤバイ奴で、ソイツと勘違いしたというか。あ、怪我とかそういうの――」
「草加君何やってるの!? ソイツも犯罪者! 押し倒されてるの見たでしょ!?」
「ハッ!」
ハッ! じゃねぇよ!
関係ない人蹴っ飛ばしたと思い込んで、パニックに陥りやがりましたねこの人。
本当に強姦されそうになっていた訳では無いが、あの場面を見ればどう見ても犯罪者だろうに。
「くっ!」
馬鹿な事をやっている内に相手もそれなりに復活したらしく、何かをこちらに向かって投げつけて来た。
黒い物体。
それは土下座中の草加君の前に落下し、“黒い霧”を吐き出し始める。
もしかしてアレも呪具の一種!?
「んなぁ!? また煙幕か!? 流行ってんのかコレ!」
「んな訳あるかバカ! 早く相手を――」
言葉の途中で、盛大に草加君がむせ始めた。
まさか彼にさえ効果がある呪い!?
だとしたら完全に相手を舐めていた。
とにかくあの霧から草加君を引きはがさないと――
「……ん?」
彼に近づいて、違和感に気づいた。
臭い、臭いのだ。
コレは……火薬の匂いだ。
「ウゴホォッ! ゲホッ! き、気管の変な所に入った!」
「……」
転げまわりながら這い出してきた草加君が涙目でせき込んでいる中、さっきまでそこに居た筈の男に視線を向ける。
当たり前かもしれないが、居ない。
逃げられた……本物の煙幕を使って。
うん、そうだね、私が勝手に“黒い霧”と勘違いしただけだね。
でもさ、思うじゃん。
呪いがどうか言っている奴なんだから、普通そっち系の代物だって思うじゃん。
でも実際に投げられたのは本物の煙幕であり、ソレによって草加君でさえ相手を取り逃がした。
まぁ急に目の前で黒煙吹き出したら、そりゃ避けられないわな。
「つ、椿……ゲホッ! の、飲み物買って来て……マジで喉痛い」
「あ、うん」
取りあえず彼を助け起こしてから、再び自販機に向かった。
そして殴りつける様にコーヒーのボタンを押して、大きなため息を吐いて空を見上げた。
相手を捕らえるチャンスだったにも関わらず、取り逃がしてしまった。
あぁ、鶴弥ちゃん達に何て報告しよう……なんて思ったりもする訳だが。
今は何よりも――
「言動も行動も道具も、全部みみっちぃんだよバカタレー!!」
とにかく、叫びたい気分だった。
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