第200話 責任
翌日の朝、というか早朝。
印刷した書類に埋もれながら、スマホの着信音で目を覚ました。
いかん、また作業中に寝てしまったらしい。
書きかけの用紙によだれの跡を発見し、ゴミ箱に放り込んでからスマホを手に取る。
そこには――
「おはようございます、どうしましたか渋谷さん。いかんせん早すぎるモーニングコールだと思うんですが」
寝ぼけ頭でそんな事を呟くが、反応が返ってこない。
不味い、スベッたか?
なんて事を思っていると、向こうからか鼻をすする音が聞こえて来た。
『ぶちょー……』
「どうしました? 何かありましたか?」
一気に意識が覚醒していく。
何があった? 何故彼女は泣いている?
『昨日、何があったの? ウチ、全然分かんなかった……』
絞り出すような声を上げながら、彼女は泣き声を漏らす。
確かに昨日の夜の事は、まだ彼女には報告していない。
今日のミーティングの時にでも話せばいいかと思っていたのだが……。
「落ち着いてください渋谷さん。ゆっくりで構いません、話してください。一体、何が起きたんですか?」
『昨日、ウチらを送った後。それも、すぐって言ってた……冬華さん、事故にあったって。まだ意識が戻らなくて、それで……』
「…………は?」
事態は、予想よりずっと早く動いてしまったらしい。
――――
学校に休みの連絡を入れてから、私はすぐさま病院に向かった。
こういう施設は正直苦手だ、嫌でも昔を思い出す。
“烏天狗”を倒した後、先輩二人と椿先生が白いベッドに寝かされた光景。
病院につく前に“呪い”の痕は消えていた。
でも、安心なんか出来る訳がなかった。
生きている事が分かっていても、目を覚まさない黒家先輩。
その場で一番頑張って、その上一番傷付いた早瀬先輩。
怪異という存在すら知らず付いて来たのに、最後は皆と共に立ち向かってくれた椿先生。
その三人が静かに白い病室に横たわっている姿。
正直、生きた心地がしなかったのを覚えている。
本当に目覚めてくれるのだろうか? また一緒に居られるのだろうか?
そんな事ばかり考えてしまって、連れ出された食事もほとんど喉を通らなかった。
怖い、私はこの場所が怖いんだ。
もちろん皆無事だったという良い思い出もあるが、どうしても辛い思い出が先行してしまう。
「……ふぅ」
ひと呼吸おいてから、目的の病室のドアをノックするが。
返事は……ない。
「失礼します」
それだけ言って扉を開けると、真っ白い部屋の中に彼女達はいた。
昨日の夜普通に話していた婦警さんがベッドに横たわり、その隣で項垂れる渋谷さんの姿。
冬華さんの家族が来ているモノだと思っていた。
こんな事態だ、家族には連絡がいくものだろう。
しかし、私の予想は渋谷さんによってすぐさま覆されてしまった。
「……冬華さんのご家族、連絡が付かないんだそうです」
ポツリと、渋谷さんが囁くような声で呟いた。
泣き腫らした後なのだろう、普段より随分と枯れた様な声を上げている。
こんな彼女の声、初めて聴いた。
「それで職場に連絡したそうなんですけど、必要書類にだけサインしたら帰っちゃったって。なんでも、“人手不足”だから長くは居られないそうです」
彼女の言っていた人手不足というのは、そこまで深刻化していたのか。
警察の事は良く分からないが、本当にギリギリの人数で業務を回していたのかもしれない。
そんな様子、昨日は微塵も感じ取れなかった。
いや、考えようとしなかっただけか。
私は自分の事ばかり考え、彼女に余計なストレスを与えただけなのかもしれない。
「荷物の関係もあるから、せめて冬華さんの友人に連絡を取ろうって話になったそうで。それで連絡先の“友人”ってフォルダを開いたら……私しか連絡が取れなかったそうです」
そう言いながら、渋谷さんは肩を震わせる。
その声から“聞こえてくる”のは、明らかな怒り。
「冬華さんは、凄く辛い想いをしてたんです。でも、頑張って警察官になったって言ってました。なのに相談できる友達も居なくて、その上こんな風になって。誰も連絡付かないし、お見舞いにも来ないし。なんなんですか、もう意味が分かりません」
零れる涙を拭う事もせず、彼女はこちらに振り返った。
その瞳は、憎しみに染まっていたが。
「部長言いましたよね? 報告では、“神様”は願いによって作られるって! じゃぁなんで辛い想いをした人を助ける神様は居ないんですか!? どれもコレも個人に“力”を与えるばっかりで、なんで“普通”の人を助けてくれないんですか!? 冬華さんが何か悪い事をしたっていうんですか!? 悪い事なんて何もしてないですよ! おかしいじゃないですか!」
渋谷さんの叫びに、私は何も答える事が出来なかった。
普通の状態、というか“外側”からみているだけの第三者としてなら、色々と反論出来ただろう。
神様なんて不安定なモノに頼ろうとするな、とか
私に言われても困る、とか。
そもそも彼女の事を私は良く知らない、どうしろと言うんだ……とか。
いい訳なら、いくらでも浮かぶ。
でも、今彼女に必要な言葉はそうではない。
コレは、私のミスだ。
多少不自然であろうと、外に出た瞬間“アレ”を祓うべきだった。
もし見つかって、色々聞かれた所でどうとでも言い逃れ出来ただろう。
しかし私はソレをしなかった。
『警察に見つかると面倒だ』という理由と、“赤子を祓う”という罪悪感が邪魔をして私にはすぐさま行動を起こすことが出来なかった。
いや、それも言い訳だ。
結局私は、問題を先送りにしたのだ。
その結果が、コレだ。
「部長は、昨日何を見たんですか……何を“聞いた”んですか? あの時、既に“ナニか”を見つけていたんじゃないですか? なんで、なんでその時教えてくれなかったんですか? 教えてくれれば、もしかしたら何とかなったかもしれない。冬華さんがこんな目に合う事はなかったかもしれないに……違いますか?」
「……違いません、私のミスです」
それ以外に、どう答えられようか。
私は既にあの時気づいていた。
問題の“赤子”の霊が、彼女に憑いている事を。
私は前から知っていた。
怪異がもたらす被害とその結果を。
その全てを保身の為に後回しにした私を、彼女は責めているのだ。
「すみません、私は昨晩から“怪異”の存在には気づいていました。でも、立場上不利になる情報は漏らせなかった。まだ大丈夫、他の個体より育っているだけで、すぐに被害は出ない。そう思って、問題を先送りにしました。ごめんなさい、私の責任です。あの時私が祓っていれば、こんな事は起きなかった。本当に、すみません」
そういって、頭を下げた。
悔しい。
ただただ自分の浅はかな行動に腹が立つ。
私達の行動は、“私達の安全”の守る為の行動だったはずだ。
だというのに今私は、渋谷さんの心を深く傷つける事案を発生させてしまった。
そしてなにより、私の行動によって関わった“普通の人間”に被害を出してしまった。
こんなの、大失態どころの話ではない。
私は、馬鹿だ。
大馬鹿者だ。
黒家先輩が部活を作ってから、“オカ研”として一番の失態と言っていいだろう。
それを現部長の私がやらかしたのだ。
その想いと、未だに眠る冬華さんの姿を視界に収め、思わず涙が滲んだ。
泣くな、私には泣く資格なんて無い。
これは謝れば済む問題ではない。
責任を取る意味でも、私が一番しっかりしなきゃいけないんだ。
「……っごめんなさい! 違うんです! ぶちょーを責めたい訳じゃなくて、その……頭の中ごちゃごちゃになっちゃって。あの、その。とにかく頭を上げてください!」
こちらの態度で多少冷静さを取り戻したらしい渋谷さんが、急いで私の肩を掴んだ。
「すみません、自分を棚に上げて偉そうに……ウチは異能使わないと“見えない”し、全然役に立たないっていうのに……」
今にも泣き出しそうな顔を向けてくる彼女は、いつもよりずっと幼く見える。
多分メイクしてないのと、口調がいつもより丁寧だから余計にそう見えるんだろうが。
そんな彼女に向けて、どうにか涙を我慢しながら笑顔を作る。
「大丈夫です、貴女が役に立たないなんて事はあり得ません。そこは私が保証します。しかし、やはりコレは私の責任なんです。責められて当然です、貴女の感情は間違っていません」
「でもっ!」
「だからこそ、責任を持ってこの件を一刻も早く終わらせます。実害を出してしまった以上、悠長にはしていられませんからね」
もう、甘えるのは無しだ。
いくら敵意が無かろうと、純粋な願いであったとしても。
私が対峙しているものは怪異なのだ。
相いれない存在、私達の敵。
相手にその気がなかったとしても、結果的に生者にとっての害になる。
ならば、それを排除するのが私の仕事だ。
覚悟は出来た、ならもう後は行動するだけ。
「もしかしてぶちょー、今から動くつもり? ならウチも一緒に――」
付いて行く、そう言いかける渋谷さんに掌を向け言葉を遮った。
「貴女は彼女に付いてあげていて下さい。起きた時一人では、心細いでしょうから」
「でも……」
解決したいという気持ちはきっと渋谷さんも同じだろう。
けど、私達が二人で平日の昼間を出歩けば当然目立つ。
だからこそ、今は一人の方が動きやすいだろう。
それにさっきから冬華さんにチラチラと心配そうな視線を向けている彼女は、きっと今動いても集中できない。
「大丈夫です、無茶はしません。それに昼間の間は、人から話を聞いたりするのがメインになりますから」
そう言ってほほ笑みを向ければ、彼女は諦めた様に小さく頷いてくれた。
「ごめんねぶちょー、全部任せちゃって」
「いえいえ、コレは自分の尻拭いでもありますから。貴女はココに居てください」
「うん……いってらっしゃい、ぶちょー」
「えぇ、いってきます」
その会話を最後に私は病室を後にした。
さて、お仕事開始だ。
まずは昨日の“怪異”を捜さなければ。
他とは違う、あの個体を。
冬華さんに“憑いていた”アレは、病室の中には居なかった。
だからと言って自立移動というか、勝手に動き回ったり彼女から離れる様子は感じられなかった。
だとすれば……。
「まずはあのパトカーから調べて見ますか」
とりあえず、彼女が務めている交番に向かう事にしよう。
もしかしたら既に修理工場とかに出されているかもしれないが……その時はその時で考えよう。
とはいえ、学校をサボって歩き回っている私に警察が協力してくるかと言われれば……結構望みは薄いだろうけど。
それでも、やるしかない。
最悪忍び込んででも調べるしかない。
「今回ばかりは、最短で終わらせてみせますからね」
そう呟きながら、私は病院を後にしたのであった。
――――
「ごめんねぇお嬢ちゃん、事故車両は確かにウチにあるんだけどさ。そうホイホイ見せられる代物じゃないんだよ。一応証拠物品って扱いでさ、保険屋と整備屋が最初に見ないとね。どーしても一般の人に公開するわけにはいかないのよ、地元メディアとかも食いつきそうな話だしねぇ。『警察官、わき見運転!』なんて書かれちゃ、たまったもんじゃないし」
「ですから、私が最後の同乗者なんです! ドラレコ確認すれば分かる事じゃないですか! 私の落し物が残っているかもしれないんです! チラッとでいいので確認させてください!」
「そうは言われてもねぇ……そもそも、君中学生でしょ? 学校はどうしたの?」
「だから何度も説明している通り、私の友人が婦警さんと知り合いで、更に事故前の同乗者! それを踏まえて、彼女のお見舞いに行く為に学校には休みをもらったと説明したじゃないですか!」
ダメだこりゃ。
目の前に座るのは初老の男性警察官。
もはや「面倒くさい」という感情を隠す気もなく、大きなため息をついておられる。
確かに私の言い分と立場を考えると、相手としては面倒なのも分かる。
最後に乗った時に落し物をしたかもしれないから、それを捜させてくれ。
なんて、その場で思いついた嘘だったが……それ以外に妙案も浮かばなかったのだ。
赤の他人である私が、事故を起こしたパトカーを調べる事自体無理がある。
だが、多少でも関係性があれば見せてくれるくらい……なんて思った私が馬鹿だった。
相手はどうにか私を送り返す事ばかり考えて、ろくに会話が成り立たない。
立場というモノがあるから、当然と言えば当然なのかもしれないが。
もうこうなったら、やはり忍び込むしか……なんて考えたとき、背後にある交番の入り口から声が聞こえて来た。
「遅くなりました、保険会社の東坂と申します。本日はよろしくお願い致します」
「……は?」
その声が聞こえた瞬間、ゾッと背筋が冷たくなった気がした。
間違いない、生きている人間だ。
だと言うのに、なんだ?
なんなんだこの“声”は。
今まで生者でこんな声を上げる人間なんて、一人として居なかった。
業務的な言葉、語尾や口調を聞く限り多分笑顔で話しかけているのだろう。
だというのに。
吐き気がする程の憎悪が“聞こえる”。
「あぁ、お待ちしておりました。すぐ整備工場の人も来ますから、少し待っていてくださいな。悪いねお嬢ちゃん、そういう事だからさ」
そう言って、笑顔の警察官が私の横を通り過ぎる。
何故気づかない、こんなにも醜い“声”を上げているというのに。
駄目、その人に近づいちゃ。
「おや……そちらの方は?」
彼の意識が此方を向いた。
たったそれだけの事で、呼吸が荒くなり息が苦しくなる。
ダメだ、コイツは駄目だ。
関わったらいけない。
生きているにも関わらず、“烏天狗”と似た様な“声”が聞こえる。
だからこそ、余計に気持ち悪い。
来るな、こっちに来るな。
それ以上私に近寄るな。
「あぁ、なんでも事故車両に寸前まで乗っていた子らしくて。落とし物があるかもしれないって事なんで、何か見つけたら確認させて頂いていいですか? お嬢ちゃんも、それでいいかな?」
状況が分かっていない初老の警察官が、呆れた様な口調で私に問いかけてくる。
止めてくれ、今だけは私の事なんて無視して欲しかった。
震える腕を胸に抱く様にして、奥歯を必死に噛みしめる。
「へぇ……事故の前に、ですか」
彼の視線が、私の背中に突き刺さっているのが分かる。
ゾワゾワと鳥肌が立ち、薄っすらと涙まで浮かんできた。
間違いなく今回の事件と関わって居る人物だ。
ビビるな、私が見ておかなきゃ重要な手がかりを失う事になる。
それだけを心に、大きく息を吸ってから私は入り口の方へと振り返った。
「はい、それで構いません。よろしくお願いします」
よく噛まずに言えたと、自分でも思う。
そこには、狐目と言ったらいいのだろうか?
瞼を細く開け、私の事を興味深そうに見つめるスーツ姿の男。
そして彼の体からは、薄く“黒い霧”が渦巻いていた。
「へぇ……」
小さく呟く彼の口元が歪に吊り上がったのを見て、再びゾワッと寒気が走る。
間違いない、“コイツ”は気づいたんだ。
私がどういう存在なのかを。
「ここで待っていても仕方ないですから、とりあえず車両の方へ行きましょうか。悪いんだけど、お嬢ちゃんちょっと待っていてくれるかい?」
ヘラヘラと笑う警察官に一つ頷き返すと、二人は交番の外へ出て行った。
離れていく足音、遠ざかる会話。
十分な距離が開いた所で、「ぶはぁ!」なんて声に出しながら息を吐き出した。
なんだ、なんだアレは。
生きている人間に、“あんな声”が出せるのか?
多分異能の“耳”を持っていなければ、普通に聞こえるのだろう。
でも、アレは駄目だ。
昔よりずっと耳が良くなった私には、相手の強い感情なんかが“声”に乗せて聞こえる様になった。
そして今、彼から聞こえて来た感情は“憎悪”。
まるでこの世の全てを恨んでいるかのような、目の前の全てを呪っている様な黒い感情が“聞こえて来た”。
そんな訳の分からないドス黒いモノを、生きた人間が発したのだ。
周りに笑顔を振りまいて、普通の口調で、呪いを振り撒いているのだ。
キモチワルイ。
「とはいえ、逃げる訳にもいきませんよね……」
意を決して、私は彼らの後追った。
見つからない様に、建物に身を隠しながら。
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